彼女のテレパシー 俺のジェラシー

 翌日、朝の温室を見に行った川内は、教室に来てから俺たちに向かって言った。

「思うたんじゃけど、芽が出そうになったら、すぐ知らせたほうがええよね」

 それを聞いて、ああ、と思う。温室に一番行くのは川内だし、尾崎は今は立ち寄ることすら稀だから、教えられるものなら教えたほうがいいだろう。

「確かに。芽が出るの、見たい」

 と尾崎が賛同する。

「そんなに都合よく見れるんか?」

 木下が首を傾げる。

 芽が出たら知らせる、ならともかく、芽が出そうになったら、というのは無理なんじゃないのかな、と思うものだろう。
 いや、もしも川内が植物と話ができるというのなら、可能なのだろうか。

「わからんけど……もしかしたら、見れるかも」

 川内はぼそぼそとそんなことを言う。
 その表情を見て思う。
 可能なんだ。少なくとも、川内はそう思っているのだ。

「あっ、じゃあ、連絡先教える」
「ワシも」
「俺も」

 そう言って、それぞれがスマホを取り出す。

「もうグループにしよ」
「そうじゃの。ワシ、招待する」
「ど、どうやるん?」
「ハルちゃん、貸して」

 そんな風にワイワイと、連絡先を交換する。
 そうしてコミュニケーションアプリに、『山ノ神高校園芸部』というグループができた。

 しかし俺は申し訳ないが、そこから川内の連絡先にアクセスして、他の二人に知られずに日曜の予定を立てることを、考えていたのだった。

          ◇

 そうこうしているうちに、日曜日。
 結局、呉駅で待ち合わせすることになった。

 姉ちゃんが軍資金をくれたので、お昼ご飯を一緒に食べようと、十一時に待ち合わせだ。

 昨日の夜はスマホでいろいろ調べたのだが、横から画面を覗いてきた姉ちゃんが、

「あんたみたいな高校生が、こじゃれた店に行ったところでアタフタするだけよ。あっちに行きたいところがないか訊いて、特になければファストフードで十分じゃわ」

 と、ありがたいのかどうかはまだわからないがアドバイスをくれたので、街を歩きながら川内がどこに行きたいか聞こう、だなんて考える。

 バスに揺られて平谷線を下りる間も、ファストフードでいいのかな、こじゃれたところはダメと言われても、だからといってラーメン屋とかに入るのは変じゃないか? とか、ご飯を食べたあとはどうしたらいいんだ? とか今さら考える。

 ちなみに姉ちゃんに訊いてもみたが、「そんなんテキトーテキトー」とひらひらと手を振りながら言われた。やっぱり姉ちゃんの意見を参考にするのは失敗ではないのか、と不安にもなってくる。

 ちなみになにを着て行こうかとタンスの前で悩んでいたときも、勝手に部屋に入ってきて、

「あんまり気合い入れんさんな。かえって痛いわ。シャツにジーンズでええ」

 と、適当に選ばれた。
 今さらだけれど、もしかして遊ばれているのではないかと、血の気が引く。
 いや、姉ちゃんはあれで、そんなに意地悪では……いや意地悪ではあるが、そこまで悪い……いや、どうだろう。

 バスが呉駅に到着して、待ち合わせの金色の大きなスクリューのモニュメント前に向かう。

 いくらなんでも、目立つところにしすぎたかな、川内は目立つのは嫌だろうから別のところがよかったかもしれない、といきなり失敗した気分になりながら、足を動かした。

 すると、遠目に川内がモニュメント前にいるのが見えた。先に到着したのか。待たせてしまった。
 薄いベージュの麻っぽいワンピースで、川内の雰囲気と合っていて、かわいいな、なんて口元が緩む。
 いやそんなことを考えている場合ではない。時間的には遅刻ではないけれど、待たせるなんて、もっての外だ。

 慌てて走り出そうとすると、見覚えのない女子が三人、そちらに駆け寄ったのが見えた。

 川内はその三人を見て、視線を下に向けた。
 なんだ、あれ。

 川内を取り囲むように、三人の女子。その子たちは笑っている。傍から見れば、仲良しともとれなくもない。
 けれどその中心にいる川内は、やっぱり俯いたままで。
 周りの三人は楽しそうだが、川内は楽しそうには見えない。

 彼女たちはきっと、川内の友人ではない。小学時代、中学時代を同じ学校で過ごした同級生たちだ。川内の表情が物語っている。

 どうする? けれど、ここで見知らぬ人間が分け入るのも、おかしくないか。却って、感じ悪いと、川内が悪く言われたりしないか。

 イジメられていたなんて人に言いふらすなんてひどい、イジメてなんていないのに。

 そう言われるのが簡単に予測できるから、彼女らに不躾な態度をとってもいけない。

 いや、でも、放っておくなんてできないだろう。彼女らの話が終わるのを待ってはいられない。その間、川内が傷つく言葉をどれだけ浴びせられるか。
 『関係ない人間』と思われて、舐められても困る。一発で、無遠慮に、彼女らの中に分け入ってもおかしくない人間として突入しなければ。

 少なくとも、この状況を黙って見ているよりはマシだと覚悟を決めて、足を動かし、声を張る。

「遥!」

 その声に、四人ともがこちらにいっせいに振り向いた。
 川内が一番驚いたような顔をしていた。当たり前か。

「ごめん、待たせて」

 そう言いながら、手を振って歩み寄る。その間、誰も言葉を発しなかった。逆に緊張する。

「友だち?」

 なるべくにこやかに、穏やかな声でそう言ってみる。
 川内は、その言葉にはうなずかなかった。

「中学の……同級生」

 ぼそぼそとそんなことを言う。

「えっ、なに、遥ちゃん、彼氏?」
「う……うん」
「へえー……」

 三人ともが、まじまじとこちらを眺めてくる。
 それから、にっこりと、明らかに余所行きの表情で笑ってきた。

「こんにちはあ」
「こんにちは。ごめん、話が盛り上がっとるみたいなかった(だった)けど」

 言外に、邪魔をするな、という感情をにじませる。
 しかし彼女らはめげない。

「ああ、いえ、久しぶりに偶然会ったから、声掛けただけなんでー」
「そうなんだ、ごめんね」

 そう言って、話をぶった切る。
 それで立ち去るかと思ったら、三人は顔を見合わせて、そして川内のほうに振り向くと、言った。

「遥ちゃん、彼、あの話、知っとるん?」

 クスクスと笑いながら、そんなことを言う。
 俺に、『なんのこと?』と言って欲しいのだろうか。
 ムカつく。こんなヤツらの言うことを、黙って聞いていることはない。

「植物の話なら、知ってる」

 口調が強くなった。それに一瞬ひるんだ様子だったが、けれど彼女らはめげずに続ける。案外、しつこい。いや、しつこいからこそ、小学校から中学校にかけて、同じことでずっとからかってきたのか。

「ええー、じゃあ、信じとるんですかあ?」

 殊更に、驚いたように目を見開いてみせる。
 いったい俺に、どう言って欲しいのだろう。

「嘘おー」

 そう言って、ニヤニヤと笑う。
 イライラする。川内は、山ノ神高校に来て正解だ。

「少なくとも、笑ったりはしない。感じ悪いな」

 頭に来たので、思ったことをそのまま言った。愛想笑いを浮かべる必要は、微塵もない。
 俺は川内と違って、我慢強くはないのだ。

「な……」
「ごっめーん! お待たせえ!」

 急に大きな声がその場に響き、慌てて振り返る。聞いたことのある声だった。
「隼冬があ、寝坊するからあ」
「ワシっ?」

 尾崎と木下が揃って登場だ。
 いったいどうしてこんなところに。
 頭の中でクエスチョンマークが乱舞する。混乱なんてレベルじゃない。

 ……まさか、つけてきたのか。どうして? いつバレた?

 ついでに言うと、尾崎の出で立ちがもうヤバい。黒いシャツに金字で大きくドクロとなにやら英語のようなものが書かれているが、なんて書いてあるのか読めない。
 ジーンズのタイトスカートは短くて、そこから伸びる細い足に編み上げのサンダルを履いている。
 何本ものブレスレットと、金色のネックレスをして、目立つことこの上ない。
 派手な上に、威圧感がただごとではなかった。どこのヤンキーだ。

「千夏ちゃん」

 しかし、驚くと同時にほっとしたように、川内が息を吐きながら言う。

「なに? 誰?」

 三人の女子を舐めるように見ている尾崎の質問に、川内は俺への返答と同じように答えた。

「中学の、同級生」

 すると尾崎は、にこやかな表情から一変、眉をひそめた。

「……ああ」

 その表情の変化に驚いたのか、三人は少し身を引いた。
 しかも尾崎は腕を組んで、これみよがしに舌打ちする。
 あまりの態度の悪さに、こちらもドン引きだ。

「ウチらこれから遊ぶんじゃけど、ハルちゃんになんか用があるん?」
「え……いえ、別に……」

 三人は、身を寄せ合い始めた。いくらなんでもビビりすぎでは。いや、気持ちは少し、わからないでもないか。

「ほうなん? なんか三人が取り囲んどったけえ、イジメられとるんじゃないかって心配したんよー」

 残念ながら、尾崎のほうが三人をイジメているように見えるのが悲しいところだ。

「いや、そんな、イジメなんか」

 三人は慌てて手を振っている。
 尾崎は驚いたように口を開けて、そしてその前に開いた手を当てた。ものすごく、わざとらしい。

「ごめーん、じゃあ勘違いじゃわー。ウチが気にしすぎとるんかもしれん。ごめんね、感じ悪かったじゃろ? 許して」

 手を合わせて白々しくそんな風に謝る。

「え……は、はい……」
「ほんまー? 良かったあ」

 そう言って、川内のほうに振り返る。

「なんかされよったらウチがぴしゃげて(ぶん殴って)やろうか思いよったあ、危なあい」
「うん、大丈夫よ」

 川内はこくりとうなずく。
 三人はそれを見て安心したのか、そそくさとその場を立ち去ろうとする。

「じゃ、じゃあね、遥ちゃん」
「うん、じゃあね」
「お邪魔しましたー」

 すたこらさっさ、という効果音を付けたいくらいに、あっという間に三人の姿は見えなくなった。
 呆然とその姿を四人で見送る。
 しばらくして、低く小さな声がすぐそばで聞こえた。

「ブスが」

 ケッ、と吐き棄てるように尾崎が言っている。

「いや、口が悪いわ。怖えよ」

 木下が横で自分自身を抱くようにして、二の腕を擦っている。
 しかしそれには構わず、尾崎は川内を覗き込むようにして、柔らかな声音で言った。

「ハルちゃん、またなんかあったらウチに言いんさいよ、シメちゃるけえ」

 声は優しいが、言っていることは物騒極まりない。

「大丈夫よ」

 そう言って、川内は苦笑している。

「彼氏がおるけえ、嫉妬しとるんよ。モテん女の僻みよ、気にしんさんな」

 尾崎がそう言って、川内の肩を叩いている。どうやらあの三人による囲みを、そう解釈したらしい。

 いや、ちょっと待て。彼氏?
 なんでそれを知っているんだ。しかもなんでこの場に登場できたんだ。

「……なんで、ここにいんの」

 恐る恐る、そう訊いてみる。もしかしたら川内が言ったのかもしれないが、川内もさっきから驚いたような表情をしているし、違う気がする。

「だってー、なんかホームセンター行ったとかいう次の日から、態度がおかしいし」
「そういや、ワシ、自転車借りたじゃん? そのあと二人きりじゃったってことじゃろ? じゃけえなんかあったんかと思うて」

 二人揃って、しれっとそう言う。

「これは日曜にデートでもするんじゃないかって、呉駅で張っとった」
「はあっ?」
「仁方と焼山じゃろ? 待ち合わせするなら呉駅じゃ思うて」
「朝からじゃったら、十時くらいかなーって。せいぜい、二時くらいまで張れば会える思うたんよ」

 恐ろしい……。どんな探知能力だ。

「一生懸命、隠しとったのに……」

 顔を真っ赤にして、川内が言う。

「あ、ハルちゃんじゃないよ。主に神崎の態度がおかしかったんよ」

 つまり、俺のせいだった。
 やっぱり全然、自然じゃなかった。

「なんだよ、もう……」

 なんだか力が抜けて、その場に膝を抱えてしゃがみ込む。
 あはは、と楽しそうに笑う声が、頭の上から降ってきた。
 しかし、いつまでもここにいてしゃがみ込んでいても仕方ない。俺はひとまず立ち上がる。
 そしてもう二人きりのデートは諦めた。

「どこ行く? 尾崎、そんなに時間はないんじゃないん?」

 となると、一番忙しそうな尾崎に合わせるのがいいだろうと、そう訊いてみる。
 すると尾崎は、ニッと笑って言った。

「いやー、ちょうど今日、じいちゃんがショートじゃったんよね」
「ショート?」

 デイ、に引き続き、またわからない言葉だ。

「ショートステイ。何日か泊まりで預かってもろうとるんよ」
「ああ」

 ショートステイなら、聞いたことがある。それでもなかなか空きがないから頼めない、とニュースかなにかでやっていたような気がする。

「実は、預け先の施設が決まりそうなんじゃ。じゃけえ、他所で過ごすのに慣れとかんといけんしね」
「ほうなんか、よかったな」

 尾崎のじいちゃんを預ける施設が決まりそう。となると、尾崎も今のようにバタバタすることはないのかもしれない。尾崎のお母さんの負担も減るだろう。

「うん、ほんま、よかったわ」

 尾崎は満足げに嬉しそうに、うなずいた。

「じゃあ、時間あるんか」
「まあ、夜までってわけにはいかんけど」
「ほいなら、一緒に遊ぼ」

 ニコニコしながら、川内が言う。しかし尾崎は小さくため息をついた。

「ホンマは、あんたらの後をつけて遊ぶつもりじゃったんじゃけどなあ」
「おい」

 突っ込むと、尾崎は少し舌を出して、へへへ、と笑った。
 出てきてくれたので、こっそりと後をつけられるという惨事からは免れたということらしい。

「なんで出てきたん?」
「人数で勝とうと思うて。あっち三人じゃったじゃん? じゃけえ四人になろうと思うて」
「勝つって」
「数は大事よ?」

 尾崎は真顔でそう言う。どうしてそう、喧嘩慣れしているようなことを言うのか。そんなだから、先輩に目を付けられるとかいうことになってしまったのではないのか。

 唖然としている俺たちを尻目に、尾崎は続ける。

「あとねえ、男が出てきたら、ややこしいことになることもあるけえ、まあ仕方なくウチが出ようかなって」
「そうなん?」

 じゃあ俺が出て行ったのは、愚策だったのだろうか。いやでも、放っておくわけにもいかないし。
 鼻高々、といった感じで、尾崎は胸を張る。

「ほうよー。女の世界はねえ、いろいろと面倒なんよ」
「はあ……」

 となると、癪ではあるが、尾崎がここにいることに感謝すべきなのだろうか。

「あとー、ハルちゃんは仁方じゃけえ、いっつもは傍におれんけえね。牽制しとこう思うて」

 そう言って、尾崎は川内のほうに振り返って微笑む。

「ああいうタイプは、ウチみたいなんが苦手なんよね」

 川内はその言葉に苦笑で返す。そこは否定できないらしい。

 そこで少し会話が途切れて、その隙に木下が口を開く。

「どこ行くか決めとるん?」
「あ、いや、特には」

 首を横に振ると、尾崎がはしゃいだ声で言った。

「ほいじゃあ、『てつくじ』行こうや、『てつくじ』」
「『てつのくじら館』?」

 駅裏の海沿いに、資料館と隣接して本物の潜水艦が展示してあり、その内部に入れるのだ。
 地元スーパーの目の前に、潜水艦がどーんと空中に鎮座している姿はものすごく目を引くが、最近は見慣れてきた。
 それなのに、実は中に入ったことがない。すぐ近くの大和ミュージアムのほうは行ったことがあるのだが。

「あそこ、タダなのにけっこう面白いよ」
「へえー」
「ワシ、操舵席みたいなとこに座らせてもろうたで。マジ上がる」
「ハルちゃん、行ったことある?」
「私はないよ」
「じゃ、行こ行こ」

 そう言って、四人で歩き出す。
 最近は、尾崎が放課後にいないので、こうして四人で歩くのは久しぶりの気がする。

 川内は楽しそうにニコニコと笑っていた。
 木下が俺の横にそっと立ち、ひそひそと耳打ちしてくる。

「ワシのせいじゃないで?」

 その言葉に苦笑する。
 まあ、予想はつく。
 たぶん俺の様子がおかしいのに気付いた尾崎が、今日がそのショートステイの日だということで、二人を張ろう、と言い出したのだろう。そして、木下はそれに付き合わされたのだろう。

 そのとき、あ、と思いつく。
 もしかしたら尾崎が木下と二人で出掛けたくて、理由をつけて引っ張り出したのかもしれないな。
 その可能性については、木下には教えてやらないが。

「わかっとるよ。でも、四人のほうが楽しいし、二人じゃ何をしゃべってええかわからんかったけえ、良かった」

 そう返すと、木下はほっとしたように息を吐いた。
 実際、どこに行けばいいのか、とか、なにを食べたらいいのか、とか、いろいろ考えてはいたけれど、一番いい答えを四人で出せるような気がする。

 なにより、川内が楽しそうだ。
 まあちょっと、複雑な気持ちではあるけれど。

 安心したのか木下は、隣から声を張って、前を行く女子二人に声を掛ける。

「『てつくじ』行く前に、腹ごしらえしようや。腹減ったわ」
「なに食べる?」

 川内が尾崎に問うと、迷うことなく尾崎が言った。

「カレー食べよ、海自カレー」
「どこの?」

 海自カレーは、海上自衛隊の艦艇それぞれ独自のカレーを、呉市内の飲食店で食べられるという代物だ。全部で三十種類くらいあるが、全部を食べて回ったことはない。

「『大和ミュージアム』のとこに一戸ある」
「一番近いのは、そこのホテルの中の」
「ホテルに入れる格好じゃなかろうが」
「近いのは、こっちも。呉駅の中」
「ホンマじゃ、(のぼり)がある。そこじゃん」
「なんなら全部、廻ろうや」
「ええー? そりゃ無理じゃろ。腹に入らんわ」

 そんな風に話し合って結局、一番近い呉駅の一階にある食堂に入る。
 四人で席に着いて、女子二人はハーフサイズにしよう、なんて言って、来たら来たで香辛料を入れるか入れないかで揉めて、出るときには姉ちゃんから軍資金を得たことがバレて四人分払わされて。

 そのあとに『てつくじ』にも行って、モールス信号のクイズに挑戦してみたり、潜水艦の狭い寝台に寝転がってみたりして、楽しんだ。

 あんまり楽しかったから、次はどうする? なんて言っていたんだが、尾崎がポン、と手を叩いた。

「ウチら、もう帰らんと」
「えっ」
「もう三時過ぎたし。遅うなるって言うて出てないけえ、帰らんと。ねっ、隼冬」
「あっ、ああ、うん。歩いて来たけえ、けっこう時間かかるしの」

 大変わざとらしいが、どうやら二人きりのデートを邪魔するのはここまで、ということらしい。

「うん、わかった。じゃあまた明日」

 というわけで、乗ることにする。

「明日のー」
「じゃあねー」

 そそくさと二人は立ち去っていく。
 ぽつんと二人で『てつくじ』前に残されて、なんだか急に辺りが静かになった気がする。

「川内は、まだ大丈夫?」

 そう言って隣を見ると、彼女はしきりに足元を気にしていた。

「あっ、うん」

 言われて慌てて顔を上げてくる。
 どうしたんだろう、足が痛いのだろうか。

「足、痛い?」
「あっ、ううん、そうでもない」

 そう言って首を横に振っている。
 けれど川内はこういうとき、無理をしそうな気がする。けっこう歩いたし、痛くなっているのかもしれない。

「スーパーの中、カフェがあったよな。入ろ」
「うん」

 川内はほっと息を吐き、うなずいた。スーパーはすぐ近くなので、これくらいなら大丈夫なんじゃないだろうか。
 なるべくゆっくり歩いて、スーパーに入る。カフェを見つけて、コーヒーを買って席に着くと、人心地ついた。

「足、大丈夫?」
「あっ、うん。……新しいサンダルじゃったけえ、靴擦れできたみたい……」
「えっ、絆創膏、買ってくる?」
「あっ、大丈夫、持っとるけえ」

 絆創膏なんて持ち歩くのか。俺はハンカチですら怪しいのに。

「でも、ビックリしたよな、二人、出てきて」
「うん、面白かった」

 川内はくすくすと笑う。なんだかほっとした。
 あの三人がいたときには、どうなることかと思ったけれど。

「あの……待ち合わせのとき」
「あ、うん」

 尾崎が、『男が出てきたら、ややこしいことになることもあるけえ』と言ったことを思い出す。

「ごめん、いらんこと言うたかも」
「ううん」

 川内はふるふると首を横に振った。

「嬉しかった。ありがとね」

 川内はそう言ってにこりと笑う。心からそう言ってくれているような気がしたので、ほっと息を吐いた。
 あまり遅くなってもいけないので、結局、カフェを出て帰ることにした。

「足、大丈夫?」
「うん、絆創膏貼ったし」

 とはいえ、心なしかヒョコヒョコしているような気がして、ゆっくりと駅までの長い歩道橋を歩く。
 改札口前まできて、時刻表を見上げる。

「いいの、ある?」
「うん、十五分後にあるよ」

 そう言いながらバッグからICカードを取り出している。

「今日は楽しかった。ありがとね。お昼もご馳走になったし、お姉さんにもお礼言うといてね」

 川内はこちらを見て、にっこりと笑ってそう言う。
 今日のデートはこれでおしまい、の合図の気がしてなんだか寂しくなった。

 本当に、あっという間だった。
 明日には学校で会えるのだから、寂しく思うのはおかしいのかもしれないけれど、なんだか離れがたくて足を動かせなかった。

「バスは、大丈夫?」

 川内が首を傾げる。

「あっ、ああ、うん」

 ふいにそう訊かれて、慌ててうなずく。
 明日も学校で会える。コミュニケーションアプリで連絡も取れる。デートだって今日に限らず何度だってできる。

 でも、もっと二人で一緒にいたかった。

「あの……朝、温室に行ってもいい?」

 だから、そう言った。

「えっ、朝?」
「うん、なるべく邪魔にならないようにするし、手伝うし」

 放課後だって、昼休みだって、なんなら授業中だって席が前後なのだし、ずっと一緒といえばそうなのかもしれない。

 けれどどうしても、わがままと思われても、二人きりの時間が欲しかった。

 すると川内はしばらく困ったように考え込んだ。それからぼそりと言った。

「でも……私、変な人みたいなよ?」
「変な人?」
「うん……ずっと花に話し掛けよるよ? なんか……気持ち悪くない……?」

 そう言って、おどおどとしてこちらを見上げてくる。

「大丈夫、こないだ見たとき、別におかしいと思わんかったし」
「そう……?」

 少し不安げに考え込んでいるが、ちょっとして顔を上げる。

「ほいなら、大丈夫。いうて、私が許可出すのも変じゃけど。私のものじゃないんじゃし」

 苦笑しながらそう言ってくれて、ほっと息を吐く。

「うん、じゃあ、明日」
「明日ね」

 そう言って手を振る。川内は改札口の中に入っていく。入ってすぐにこちらに振り向き手を振ってきた。だから俺も手を振り返す。
 離れがたくはあったが、いつまでもこうしているのもどうかと思って、踵を返す。

 改札口の前の階段を降りる直前、もう一度振り返ってみたが、川内はもうそこにはいなかった。

          ◇

 翌朝、温室に向かうと、やっぱり川内はもうすでに到着していた。

「いったい、何時に来よるん?」

 この前と同じくらいの時間に到着したのだが、やっぱり遅かったらしい。

「さっき来たばっかりよ」

 微笑みながら川内は言う。
 ということはたぶん、これ以上早く来る必要はない、ということなのだろう。
 俺はよこしまな気持ちでここに来ているが、川内は純粋に植物の世話をしているのだから、邪魔をするのも気が引ける。

「なにしようか?」
「あっ……あのね、じゃあ、天井の屋根開けて。今日、暑そうなけえ」
「うん、わかった」

 制服も夏服ではないが、ブレザーは脱いで長袖のシャツで過ごすようになっていた。
 温室はとても心地良いが、そのうち暑すぎて長い時間過ごすのはしんどくなってくるのかもしれない。

 立て掛けてあった長い棒を手に取り、天井の窓を開ける。下から上に動かすので、けっこう力が必要だった。ギイッ、と嫌な音がするので油を差したほうがいいのかもしれない。

「下からハンドルとかで操作できるのじゃったらええんじゃけど」

 もちろんそういう便利なもののほうがいいだろう。でも公立高校にある温室だし、できるだけ安価なものになっているのではないだろうか。
 いや、もしかしたら歴代の園芸部員で手作りしたという可能性もある。ホームセンターに行ったとき、部品がいろいろ置いてあったから、それも不可能ではない気がする。

 でもなんにしろ、こうして川内の役に立てるのなら、少々不便なほうがいい、と思ったのは内緒だ。

「元気?」
「えっ」

 ふいに川内の声がして、慌てて振り返る。
 川内も驚いたようにこちらに振り向いた。
 違った。花に話し掛けていたのだ。

「あっ、ごめん、呼ばれたかと思うて」
「あっ、ううん」
「ごめん、気にせず続けて」
「う、うん」

 川内はうなずくと、また一つ一つの植木鉢に声を掛けながら水やりをしていく。

「今日も綺麗なね」
「もうそろそろ?」
「じゃあ、今度、広いところに移ろうね」

 俺はその優しく穏やかな声を聞きながら、次の窓を開けるのに取り掛かった。
「ショートは火曜日までなんじゃ。じゃけえ、今日は部活に出れるよ」

 教室に戻ったあと、ニコニコしながら尾崎が言った。川内は少し首を傾げて言う。

「大丈夫? 無理せんでええよ?」
「無理なんかしよらんよー。がんばるけえね!」

 そう言って、腕を上げて力こぶを作ってみせる。

「ほいじゃが、もうそんなにがんばることはないで?」

 肩をすくめて木下が言う。

「花壇はチューリップ植えるの待ちじゃし、畑はもう耕して苗も植えとるし、温室の花の水やりは朝、川内がやりよるし、プランターは芽が出るの待ちじゃし」
「そうなん?」

 少しがっかりしたように、尾崎が言う。
 男子二人としては、力仕事がなくなって楽になってきた、という感じなのだが、張り切っていた尾崎としては肩透かしといったところだろう。

「まあ、畑とか温室とか様子を見に行くんでもええんじゃない? なんもなけりゃ帰りゃいいんじゃし」

 そう言うと尾崎は肩を落とした。

「なんじゃあ。張り切っとったのになあ」
「でも毎日様子を見るんは大事なよ? 一緒に行こ」

 川内がそう言うと、尾崎はうん、とうなずいた。
 あんなに気が強いのに、相変わらず尾崎は川内の言うことだけはよく聞く。

          ◇

 結局、特にやることもなく、放課後は温室内でワイワイとしゃべるだけになってしまった。
 そこに浦辺先生がやってきて、尾崎の顔を見て嬉しそうに笑った。

「四人、揃ったのう」
「じいちゃんが施設に入居したら、また毎日部活に来れるよ。あと少し」

 と尾崎がニコニコとして返した。敬語などどこにもないが、それに注意する気も失せたらしい。

「ほうか、そりゃあ良かったのう」

 浦辺先生はその答えに小さく笑って、そして続けた。

「いうか、尾崎は案外、真面目じゃのう」
「案外って」
「最初は、名前だけの幽霊部員になるんか思いよったで」

 腰に手を当ててそう言う。

「昔は、園芸部員もいっぱいおったみたいなが、ほとんど幽霊部員じゃったらしいんじゃ」
「へえー」
「まあワシが赴任する前の話じゃけえ、ようわからんが。ワシが山ノ神に来てからは、部員が一人か二人のときしか知らんのう」

 それは顧問が浦辺先生だからでは……と思ったが、口には出さなかった。
 そのとき、あ、と思いつく。なるほど。それは先生自身もそう思っていて、だから顧問が誰か黙っておけという話になったのか。

「でもお前ら全員二年生じゃけえ、三年になって引退したら、園芸部がまたなくなるで」

 またなくなる。それはちょっと寂しい。
 俺は川内目当てのようなものだけれど、それでも畑を耕したり花壇を整えたりして、それなりに愛着もある。
 あれがまた元に戻ってしまうのは、ちょっと嫌だな、と思う。

「一年生、勧誘せんと」
「とりあえず、ポスターとか書くとか?」
「野菜育ててバーベキューやるいうて書いたら、釣られるヤツもおるんじゃないか」
「……それは……止めとけ。非公式なけえ」
「あっ、今までのポスターあるよ。たぶん生徒会室にある」

 川内が立ち上がりながらそう言った。

「保存されとるんか」
「うん、参考にしようと思うて、一回、見してもろうたことある。取ってくる」

 言うが早いか、川内は踵を返して温室を出て行った。どうやら張り切っている様子だ。
 その背中を見送っていると、ちょいちょい、と尾崎が俺の肩を指で叩いた。
「え、なに?」

 振り返ると、尾崎が神妙な顔をして口を開いた。

「あのあとさあ、あの三人に会わんかった?」

 不安げな声音で、そう言う。どうやらずっと気になっていたのだろう。川内がいなくなるタイミングを計っていたのかもしれない。

「ああ、うん、会わんかった」
「ほうなん? ほいならええけど」

 尾崎がほっと息を吐く。

「なんか感じ悪かったじゃん? じゃけえ、心配じゃって(していて)。ハルちゃん、なんかあっても我慢しそうじゃし」

 それを聞いた木下が、肩をすくめる。

「心配しすぎなんじゃないんか。ちぃと(ちょっと)過保護で?」
「ほうかもしれんけどー」

 尾崎が口を尖らせる。

「ハルちゃん、なんか言われても言い返しそうにないし、心配にもなるわ」
「まあ、わかるけどのう」

 そう言って、三人で黙り込む。
 確かに、少し心配ではある。俺は、小学校、中学校時代の話も聞いたし、それで泣いていたのも見た。
 俺の知らないところで、またからかわれたりしているのではないかと、不安にはなる。
 そして川内は、たぶん、それを誰にも相談してこない気がする。

 すると、それを黙って聞いていた浦辺先生が、ふいに言った。

「お前らって、全員中途半端なんよな」
「え……」

 いったいなんの話が始まったのかと、三人とも浦辺先生のほうに振り返る。
 先生は、腕を組むと、続けた。

「ワシはいろんな高校に行っとるけえ、そう思うんじゃが、学校自体が中途半端な立ち位置じゃけえかのう。ものすごい進学校でもないし、落ちこぼれとるわけでもないけえ、まあそういう生徒が集まっとると言われればそうなんじゃが」

 ……ひどい言われようの気がする。
 というか、先生はどうして今、この話をし始めたのだろう。

「規則が厳しいだの、シャトルバスを出せだの、ブーブー言う割に、何もせんのんよな。生徒会を通して、みんなでそういう要望を出せばええのに、そういうことはやらん。ブーブー言うばっかりよ」
「だって……」

 そうすると、心証が悪くなる気もするし、学校生活になんらかの影響があるかもしれない。
 なにより面倒だ。
 皆の意見を取りまとめ、学校に対して意見する、その労力はいかばかりか。
 それなら三年間、我慢したほうが楽だ。

「気持ちはわからんでもないが、張り合いはないよのう」

 ため息混じりに、そう言う。

「じゃあ、言うたところで先生らに張り合われるん?」
「そりゃそうじゃろ。まあ、何もせんほうが、ワシらは楽で?」

 楽なら文句を言わないで欲しい。
 しかし、浦辺は続けた。

「でも、川内はワシのところに来たで」
「えっ」
「園芸部はもうないんですか、って。昔はあったのに、どうしてないんですか、って」

 その言葉に温室内は、しん、となる。
 一年のときは園芸部の部員はたった一人だった。先輩もいなかった。
 川内は一年間、ただ一人の部員として、活動していたのだ。

「部員がおらんだけで、別に復活させてもええで、言うたら、じゃあ入るから復活させてください、言うたで。あれは大人しそうじゃけど、けっこう強い子じゃわ」

 そう言って、うんうん、とうなずく。
 確かに。
 もし俺だったら、たぶん、何もしない。仮にやりたいことがあったとしても、もうないのなら、と諦める。

「芯が強い、いうのはああいう子のことよ。強そうに見えて弱いとか、弱そうに見えて強い、いうのはいくらでもあるんじゃけえ、決めつけるなよ」

 尾崎はその言葉に、少し目を伏せた。
 気の強い尾崎。向かうところ敵なし、といった感じの彼女だけれど、お母さんが倒れたと聞いて、明らかに動揺して、冷静さを失っていた。もちろんお母さんが倒れただなんて大変なことだけれど、いつもの尾崎からは考えられないような狼狽えようだった。
 そのことを思い出しているのかもしれない。

「ただ、助けを求められたら、絶対に手を貸せ。友だちて、そういうもんじゃろ」

 言われて、俺たちは顔を上げる。
 そして顔を見合わせてうなずいた。
 それは大丈夫。絶対に見捨てたりしない、と無言で確認し合った。

 浦辺先生はその様子を見て、口の端を上げた。

「あと、お前らでどうにもならんようになったら、ワシに言え」

 そう言って胸を張る。
 浦辺先生は怖いけど、頼もしい。確かに、なにかあったらなんとかしてくれそうな気がする。
 なんだか少し、見直した。

「去年と一昨年のしかなかったー」

 そのとき、川内が温室に帰ってきて、その話は終わりとなった。
 それからも毎日、朝は温室に向かった。

 あまり手伝えることはなくて、窓を開けたり、あるいは閉めたり、じょうろに水を汲んだり、その程度のことしかできなかった。

 川内はいつも、「元気?」「かわいいね」なんて声を掛けながら水やりをする。

 慣れているはずなのに、ときどき、自分が話し掛けられたのかと思ってパッとそちらに振り向いてしまうこともある。
 川内はそんな俺に気付かないまま、柔らかな声で、穏やかな表情で、植物たちと接している。

 もしかしたら本当は、俺が朝、温室に来るのは迷惑なんだろうか、と不安になってくる。
 そもそも、最初から川内は、『一人でやりたい』と言っていた。
 気弱そうに見えて頑固なところもあるから、そこはもう揺らがないのではないだろうか。

 俺は実は、邪魔者なのではないだろうか。
 俺だけが、川内と二人で過ごしたいと思っているのではないのだろうか。
 俺だけが、この温室の中で異物なのではないだろうか。
 そんな不安が、毎日、俺の中に降り積もっていく。

 けれど今日も温室は、穏やかで暖かで居心地のいい空間なのだった。

          ◇

「そろそろ、芽が出るかも」

 とコミュニケーションアプリで連絡が来たのは、朝、自転車を漕いでいるときだった。
 グループでメッセージが来たので、当然、尾崎と木下にも届いているだろう。
 俺は自転車を漕ぐ足の動きを速くして、心臓破りの坂を上りきる。

 走って温室に向かうと、川内はしゃがんで植木鉢を覗き込んでいたが、こちらに振り向いてにっこりと笑った。

「よかった、授業中とかじゃったら、絶対無理じゃもん」
「どれ?」
「サボテンよ」

 川内は植木鉢を指差す。
 俺も隣にしゃがみ込んで植木鉢を覗いてみるが、どこにも緑色はない。

「え、出てない?」
「うん、これから出るんじゃもん」

 川内は当然のようにそう言った。

「これ、種。土は被せてないけえ」

 川内が指差して教えてくれる。俺には周りの土との違いはいまいちわからなかった。

「千夏ちゃんが来るの、待っとるんよねー」

 そう言って、植木鉢に向かって笑う。

 まさか本当に。芽が出るタイミングがわかるというのだろうか。
 あの二人が学校に来るのは、あと一時間くらいか。いや、メッセージを受けて早めに来るのかもしれない。

「それまで、水やりしよこ(していよう)?」
「あっ、ああ、うん」

 じょうろに水を汲んで、そしてまた植木鉢を覗き込む。やっぱり土の茶色しかない。
 そうしてソワソワと他の植木鉢への水やりの合間に何度も見てみるが、どこにも緑色は見つからなかった。

「まだよー」

 くすくすと笑いながら川内が言う。
 そうこうしているうちに、尾崎と木下が同時に温室に走り込んできた。

「出たんっ?」
「どれっ?」

 ハアハアと息せき切って、川内のほうにやってくる。

「これ。サボテン」

 川内が植木鉢を指差すと、二人はしゃがみ込んで土の表面を覗き込んでいる。

「まだ出てないんか? もしかして今から?」
「まさか、そんな都合よくは……」
「あっ、これ!」

 尾崎が植木鉢の上を指差す。
 俺も慌てて後ろから、膝に手を当てて屈み込んで見てみる。

 まさか。そんな。
 よくよく見ると、小さな小さな白い点があったのだ。
 嘘だろう。さっきまで、絶対になかった。だってあんなに何度も見たのに。

「さっきは、なんにもなかった気がしたのに」

 愕然とする俺を他所に、尾崎と木下ははしゃいだ声を出している。
 二人はさっき来たから、なんとも思わないのだろうか。

「見落としとったんじゃろう」
「今出たとか!」
「ええー? さすがにそれはないじゃろ?」

 いや、今、芽が出たのだ。
 尾崎が来るのを待っていたかのように、発芽したのだ。

「うわあ、なんか感動するう」
「ホンマに芽が出るんじゃのう」

 尾崎と木下は、弾んだ声でそんなことを言っている。
 川内はニコニコとして、植木鉢を眺めていた。

 そのとき初めて俺は、本当に川内は植物の声を聞いているのかもしれない、と思ったのだった。