「小さい頃は、皆わかるんかと思いよったけえ、私、普通に花に話し掛けたりしよって」

 川内は小さな小さな声で、しゃべり始める。

「お母さんは最初は、言葉がわかるんじゃね、いいね、って言いよったんじゃけど、大きくなってきたら、まだそんなこと言いよん(言ってるの)、ってなって……」

 幼い頃は、微笑ましいと思われていたことが、成長するにつれ、そうではなくなっていった。
 川内の声が、震え始める。

「私……それで、小学校のころから……痛い、とか……嘘つき、とか……言われて……」

 じわり、と涙が浮かんできていた。
 けれどそれを懸命に堪えようとしているように見えた。

「それで隠しとったんじゃけど……でも、中学校に上がっても知っとる人がそのまま一緒じゃし……ずっとそれで、からかわれとって……」

 ああ、そうか。
 ふっ、と腑に落ちた。

 それで、川内は、山ノ神高校を選んだのだ。
 なるべく、小学校や中学校で同じだった人間とは一緒にならないように。
 今度こそ、その秘密を漏らさないように。

「近所の子らとか、忘れかけたりしても、お母さんが『この子、まだ変なこと言いよらん?』って言ったりして、また再燃して」

 苦し気に、絞り出すように、川内はしゃべり続ける。

「学校……行きとうのうて(たくなくて)……でも、お父さんもお母さんも、そんなん許してくれるわけなくて……夢みたいなこと言いよるけえよって……」

 ぱた、と川内の膝の上に置かれた手に、水滴が落ちる。一粒落ちたら、それがきっかけになったかのように、ぱたぱたといくつもの涙の粒が落ちてくる。
 どうしたらいいのだろうかと、制服のブレザーのポケットを探ってみるが、ハンカチは入っていなかった。
 そうこうしているうち、川内は自分のポケットからハンカチを取り出し、目元に当てている。

 笑われて。からかわれて。肉親でさえ味方になってくれなくて。
 そういう小学、中学時代を経て、彼女はいつも俯くようになったのだ。

 のほほんと生きてきた俺には、彼女に掛ける言葉は思いつかなかった。

 温室に、川内の泣き声が充満していく。
 そこにある花々は、彼女を見守るように、存在している。もしかしたら彼女にとって、植物とは、友だちなのかもしれないな、と感じた。

「ご……ごめんね……泣いて」

 ハンカチで目元を何度も拭いながら、川内が言う。

「いや……」
「あの……内緒に、しとってね」

 上目遣いでこちらにそう言う。彼女の目は真っ赤になっていた。

「ああ、うん。あっ、えっと、尾崎にも黙っとるん?」

 高校での一番の親友は、間違いなく尾崎だろう。なのに彼女も聞いていないのだろうか。
 俺の問いに、川内は小さくうなずいた。

「千夏ちゃんには……言えん。もしも、千夏ちゃんまでおらん(いない)ようになったら……」

 そう言って言葉を詰まらせる。
 親友だから。居心地がいいから。なおさら言えないのだ。
 もちろん尾崎が笑うような人間だとは思えない。川内だってそう思っているだろう。
 けれど今まで受けてきた苦痛を思えば、臆病になるのは仕方ないことではないか。

 この高校で、唯一この話を聞いてしまったのが俺なのだ。
 ならば、曖昧にせずに、ちゃんと応えなければならない、と強く思った。

「正直、俺、信じとるんか、信じてないんか、ちょっと自分でもよくわからんのんじゃけど」
「うん」
「でも、ちゃんと、川内のこと好きだから。ちゃんと考える。笑ったりしない」

 そうきっぱりと言うと、川内は再度、ハンカチで目元を拭い。
 そして涙で濡れた瞳をこちらに向け、いつものように穏かに微笑んで、言った。

「ありがとう」