学校に帰って、荷物を下ろして、その日はひとまず部活動は終了、となった。
 浦辺先生が立ち去ってから、木下はこちらに振り向くと、真剣な表情で言った。

「絶対に、冷やかすなよ」

 これはどう考えても、「押すなよ! 押すなよ!」とは違うと思ったので、俺と川内はコクコクとうなずく。

「それと、いらん気を使うなよ」

 まるで赤べこかなにかみたいに、俺たちはとにかくうなずいた。

「とにかく、今までと同じようにしてくれたらええけえ」

 木下はため息とともにそう言う。

 でもまあ、今までもずっと夫婦漫才を見せつけられてきたわけで、木下と尾崎が普通にしていてくれたら、俺も普通にできる気がする。
 つまり、特になにも変わってはいない。たぶん。

「……帰ろうか」
「……うん」

 とはいえ、気まずくはある。
 なんとなく静かになってしまって、俺たちは口数も少なく帰路につく。

 冷やかすな、ということは当然、どういう経緯で付き合うという話になったのか、とか、恋人同士と言えるようなことをしているのか、とか、そんなワクワクとするような下世話な話を訊くのも、遠慮したほうがいいのだろう。

 いろいろと聞きたいのは山々だが、そのうち言いたくなったら言うだろう、と心の中で納得して、自転車を引く。
 というか、そういうことを聞いてしまったあと、尾崎にどんな制裁を受けるかと想像すると、なんとなくヤバい気がする。
 うん、なにも訊くまい。

「私、サボテンの発芽の仕方、ちゃんと調べとくね」

 川内がそう言うので、俺たちはこれ幸いと、それに乗る。

「なんか詳しそうじゃったけど」
「本かなにかで見たことあるいうだけ。忘れとることもたぶんいっぱいあるし」
「ほうか。そりゃあ助かる」

 次第に自然に会話できるようになって、ほっと息を吐く。
 すると、木下がポケットに手を入れてスマホを取り出した。そしてじっとその画面を見つめている。

「どしたん?」
「ああ、大したことない。また買い物じゃ」
「大変じゃのう」
「まあついでじゃけえ、そうでもない。ワシ、エコバッグ持ち歩いとるんで。レジ袋は金が掛かるけえのう」

 どこか得意げに、木下は自転車のカゴに入れていた自分のカバンを手に取ると、その中から小さな布のようななにかを取り出した。どうやら畳まれたそれを広げると、バッグになるらしい。

「そんなんあるんか。なんか、主婦みたいなのう」

 そう言うと、木下はふふんと鼻を鳴らした。

「最近は、ご飯炊いたりとかもしよるんで。母ちゃんが千夏んちに差し入れしよるけえ、うちのご飯くらいは手伝わんと」
「おおー」

 思わずそう声が出た。自転車を引いていなければ、きっと拍手していたに違いない。
 俺は調理実習以外で、料理をすることはまずない。

「千夏んちは、じいちゃん用に柔らかいのとか味が薄いのとかを別に作らんといけんけえのう。大変そうじゃけえ、母ちゃんがときどき差し入れしよるんじゃ」
「へえー」

 なるほど、老人のものだけ食事を別にしないといけないのか。それは確かにしんどそうだ。

「バスの時間あるけえ、走るわ。じゃあまた明日の」

 言うが早いか、手を振りながら、木下は走り出した。
 ふと思いついて、隣を歩く川内に言う。

「ごめん、川内。カバン、いい?」
「あっ、うん」

 川内は言いたいことに気付いたようで、自転車のカゴの中に入れていた自分のカバンを取り出した。
 俺は自転車に跨ると、木下の背中に追いつけるようにペダルを踏む。

「木下!」

 俺の声に、木下は足を止めて振り向く。
 自転車を降りながら、俺は言った。

「これ、乗ってけ」
「え?」
「駐輪場に置いといたらええけえ。俺どうせ、いっつも自転車引きよるし」
「……カギは」
「予備のを持っとる。じゃけえカギしてってええわ」

 木下は少し考えて、そして自転車のハンドルを持った。

「助かる。ありがとの」
「気を付けてな」
「うん」

 そう言って笑う。よかった、わずかながらでも役立てそうだ。

「じゃあまた明日のー」

 自転車に乗った木下は、そう言って去っていく。みるみるその背中は遠くなっていった。
 追いついてきた川内が隣に立って、一緒にその背中を見送った。