彼女の頬に涙が零れ落ちる。
初めて見る彼女の涙だった。

彼女がとても愛おしい。
こんなにも人を愛しく思えたことはない。

それなのに僕は何もできない。
何も言えない。

どうして何もできないんだ。
なんで何も言えないんだ。

これほど自分が無力で情けないと感じたことはなかった。
僕も涙が溢れそうになる。

でもそれは悲しさからじゃなかった。
悔しかった。

彼女を守りたいのに、死の怖さから守ってあげたいのに。
今の僕はあまりにも無力だった。

その時、僕は何の意識もないまま両腕で彼女を引き寄せた。

頭の中は真っ白だった。
まるで雲の中にいるようだ。

僕はその小さな彼女の身体を包みこんだ。

優しく。
そして強く。

それしか・・・できなかった。

初めて抱いた彼女の身体は思ったより華奢で今にも壊れそうな感じがした。

彼女の髪が僕の頬に絡んだ。
そして彼女の頬の温もりが僕の頬に伝わる。

彼女の香りは僕の心までも包み込むようだ。

「僕が一緒にいるよ。何もできないけど、これからずっと一緒にいる。君はひとりじゃない」

そう。僕ができることはそれしかないんだ。

「だからもう無理しないで欲しいんだ。何でも言って欲しい。僕じゃ何もできないかもしれないけど・・・それでも・・・何でも言って欲しい。僕がずっと一緒にいるから・・・」

彼女はしばらく黙っていた。

「ありがとう、ハルくん・・・・・」

彼女の微かな声が空間ではなく直接肌を通して僕に伝わった。

彼女の体を包み込む力が無意識に強くなっていった。
そして僕の背中にある彼女の腕の力も強くなるのを感じていた。

「フフ・・・」
彼女が静かに笑う。

「どうしたの?」
「ハルくんの・・・匂いがする・・・」

弱々しいけれど、とても優しく安らかな声だった。

「そう? 僕には葵さんの匂いしかしないけど・・・」

それを聞いた彼女はまた笑った。

「当たり前じゃん・・・・・」

背中にある彼女の腕の感触がさらに強くなった。

しばらくの時が刻まれた。
僕は雲の中に浮かんでいるような気持ちだった。

「あのね・・・」

彼女が掠れた声で呟く。

「私ね、頑張ったんだよ、ずっと・・・・・」
「うん・・・・・」

「ずっと明るく、元気に。辛い時もけっこうあったけど、頑張ったんだ・・・」
「うん・・・・・」