そうして記念碑の正面まで来た研究部の三人。白い鉄格子の扉はぴたりと閉じられている。
「たぶんこれで鍵を開けられるはずだ」
 大地はスマートフォンの画面に映したQRコードを、扉の横の読み取り機にかざした。そしたらピッと鳴り、
「開いたわ!」
 三人を出迎えるように、左右それぞれの扉が開く。
「塔に上る場面を誰かに見られたら面倒だわ。急いで頂上へ行きましょう」
「そうだな、さっさと上ろうぜ」
 三人は塔を巻くように伸びる螺旋階段を、急ぎ足で駆け上がってゆく。
(この頂上に何が……っ)
 いつまでも変わらない階段の先。めげずに上へと進み続ける大地、レミ、あおい。レミのスニーカーがパタパタと鳴り、パーカーのフードがハタハタと揺れる。
 遠のく地上。
 緩やかに距離を詰め寄る、頂上の至大な鐘。
 そして。
「……はぁ……はぁっ……。――着いたぞ、テッペン」
 腰に添えたアクセサリを鳴らすように肩で呼吸を繰り返し、大地は天を仰いだ。夕日の残滓によって妖艶に照らされた黄金の鐘が、彼の瞳を贅沢に占領した。
「大地くん、ここから街を見渡せば答えがわかるかもって……」
「どうだかな。確証はねえけど」
 メガネを掛けた大地は手すりに身体を預け、街を見下ろした。高さ300メートルのこの場所から眺められる、街にあるすべてが模型ように見える。夕日は地平線へと沈み、空は真っ青に映える。いわゆるブルーモーメントという現象が街を支配した瞬間、
「……んッ、これか!?」
 ARオブジェクトの赤いフォントが街に浮かび上がった。
 ――『ソ』『コ』『ガ』『ア』『イ』『ノ』『セ』『カ』『イ』――
「そこが……あいのせかい?」
 一文字ずつ読み上げたあと、大地は首を捻る。
 レミとあおいも頭の上にクエスチョンマークを浮かべ、
「アイって、愛情の『愛』? 愛の世界? 意味がわからないわ……」
「そこが……? そこって、そこの“扉”のこと?」
 あおいが指差した先には、飾りつけが一切ない、無地の折れ戸が一つだけあったのだ。
「そういうこと、だよな? ああ、行ってみようぜ、その“アイノセカイ”ってヤツに」
 ここまで来たからには次の行動に選択肢はあるまい、大地はそう決心をし、
「――――、開けるぞ」

 レミとあおいが後ろで見守る中、大地は握ったレバーハンドルをゆっくりと回し、扉に力を込めると、そこには――――――。


第二章  |虚数空間の世界〈イマジナリーパート〉
 
 
        1
 
「……は? ……なンだ、これ……?」
 滑らかな外周に沿うように通路が一周確保され、狭い通り道が壁から中央の太い柱へとアスタリスクの文字ように集まる。建物内はネットワーク・トポロジーでいうスター型とも言い表せる構造だ。どうやら三人は展望デッキへと躍り出たらしい。
 否――、内部の様相など外の景観と比較すれば、取るに足らないことだ。
 呆けたように口を開いたのは、最初に足を踏み入れた逢坂大地。続いてドアを潜った深津檸御も、中原あおいも、彼と似た反応を顔に滲ませた。
「ちょ……ッ! どうなってんの、いったい……?」
 棒立ちする大地の横を抜け、レミが一歩、また一歩、透明なガラスの床を踏みしめる。そうして側面すべてを覆う窓ガラスに近寄り、
「どうして外が――――、ビルで埋め尽くされてるのよ? だって、ここから見えるのは薄っぺらい街並みでしょ? なのにどうして……」
 あおいは確かめるようにガラスに触れ、
「し、信じられない……。バーチャル映像でも見てるのかなって最初は思ったけど……。この眺め、本物みたい」
 大地は唖然と周囲を眺めたのち、目に見えるものが嘘かと思い目をつむり、徐々に目を開き直した。けれども、それでも視界に映る景色に変化はない。幻ではなくすべてが現実。
(これ、まさか……あの銀髪に会った時に見た……? さっきのもこんな景色だったよな?)
 この場から望めるのは、高さ数百メートルからの景色。しかれど目前のガラス壁から伺う街並みは、比較的平坦な建物が並ぶものではない、それとは真逆の世界だった。地上から高々と建つ超高層ビル群が、上空を支配する暗闇を拒むように眩くネオンを灯している。
「レミちゃん、“未来人の落とし物”ってこの世界から持ち運ばれた物なのかな? 未来の技術が詰まってる、あの」
「さあ? そりゃあビルが並べば近未来的って考えたくもなるけど……」
 大地は様々な角度から世界を観たいと思い、360度に展開するパノラマに沿って足を動かす。近傍の街並みは多彩な光で輝いているが、視線を遠くへ、世界をより見通すように眺めると、言葉にし難い冷たさを錯覚する、青白い輝きが街を覆っていた。
「見慣れないモンが結構あるな」
 水平線の先には空に長く伸びた、軌道エレベーターらしき棒状の建築物が、上空に浮揚するベルナール球型のスペースコロニーへと繋がっている。目線を下げれば陸橋がビルとビルの合間を抜けるように通り、モノレールやバスがそれぞれ専用の線路、道路上を走っていた。
「未来都市の交通システムも密集してやがるけど、ここのはそれ以上に複雑なのか?」
 まるでSF作品に出てきそうなサイバーパンク都市だと、大地はマヒした頭で感想を抱いた。
「なあ、シンポジウム帰りのバスの中で言ったよな? 《パラレルレンズ》を掛けたら高層ビルの光景を見たって。まさにコレなんだよ」
「ならこの景色、全部がARの産物だってこと? いや、メガネすら掛けてないのに見えるのは……。あおい、訊くだけ無駄だけど、何か考えられる?」
「ドアを潜った瞬間、特殊な装置で私たちに催眠をかけて……とか? ここは仮想世界で……とか? ごめんなさい、それ以上は……」
「女の声は〝夢と空想の世界〟とか言ってたし……。ああもうッ、ワケわかんねぇ!」
「んん……。大地が言うには、未来都市でもこの景観っぽいものを見たのよね?」
「そうだ、銀髪の女とセットでな」
「女はともかく、未来都市でも見たってことなら……。私たちは全く別の場所にワープしたとかじゃなくて、あくまでも未来都市の裏にある世界に来たって考えでもいいのよね?」
「仮にワープだったとして、量子力学的なチカラを考えれば……。でも、ミクロならともかく肉体レベルのマクロな物体でテレポーテーションなんてとてもじゃないけど無理か……」
 考えてられるかッ、と大地は整髪料で立たせた橙髪をクシャっと掴み、
「とにかく降りてみようぜ。眺めるだけじゃ何も始まらねぇっ」
 燦然と輝く景色から身を翻し、塔の中心に繋がる通路をたどる。柱には筒状の透明なエレベーターが設置されていた。
 だが、大地が通路の中腹に差しかかった手前、
「二人とも、注意して!!」
 突発的な叫びに、大地は瞬時に顔の向きを転換し、
「な、なんだッ!?」
 機械的な音を立て、側面の窓ガラスが下にスライドを始める。それに伴い内部の空気が外へ、衣服を靡かせる勢いで流出する。すると上からワイヤーで吊るされた、厳重装備を施した謎の黒づくめの三人が大地らの立つフロアへと降り立ったのだ。
「レミ!! あおい!!」
 大地は腹の底から喚呼したが、黒づくめが手にするライフルを目の当たりにし、背筋を凍らせる。だが己の太ももを強く叩き、集団に最も近いレミへと駆け出した。
 黒づくめの一人が、レミを標的に容赦なくライフルを構える。それ以外の二人の黒づくめは大地、あおい確保のために動く者、装備を構える者に別れる。
「キャッ!!」
 銃口を向けられたレミは甲高い声で鳴き、涙目で蹲った。一方で彼女を狙う黒づくめは遠慮なしに、レミのしゃがみに合わせて銃の照準を下げた。――――が、
「ハアァッ!!」
 その黒づくめは横になぎ倒される。そして代わりに現れたのは――あおい。彼女は大きく回した右足を地につけると同時に、蹲るレミの片手を掴み、小柄な身を放り出した。するとあおいの背後に回っていた黒づくめにレミの身体が直撃し、グラついた隙を逃さず、あおいは滑らかな回し蹴りを敵に浴びせる。それを合図に、銃声が次々と鳴り響いた。
「レミ、あおい! エレベーターだ! あの中に突っ込め!!」
 ふらついたレミの身体を受け止めた大地は、そのままレミをエレベーターへ突き飛ばす。
「ハァッ!!」
 赤リボンで結われた二本の紺髪を躍らせるように、あおいは無駄のない動きで黒づくめらを立て続けになぎ倒す。そして拳、脚を豪快かつ繊細に振るいつつ、自らも確実にエレベーターへ近づいていく。幸いにもエレベーターに繋がる通路に敵の邪魔はなく、大地の後を追うように彼女は中へスライディングを決めた。
「よし、揃った!!」
 最後の一人が飛び込んだのを見届け、大地は空間に投影されているスクリーンから『閉』に触れる。直後、閉まった扉越しにガキンッ、ガキンッと、鈍い銃音が密室に響き渡った。
「あっぶねぇ……、アイツらマジで殺す気だったろ」
 レミは額に浮かんだ汗をパーカーの袖で拭い、
「はぁ、はぁ。ゴム弾だから死にはしないでしょうけど、それでもあおいがいなかったら……」
「ふぅ、よかった。私の研究が役に立って。防護は任せて」
 理科、特に生物学と物理学に明るい特性を活かし、スポーツバイオメカニクスに基づく『ヒトの運動における最適な行動パターン』を研究しているあおい。生物学的、物理学的観点から最も無駄なく、かつ効率のよい筋肉の動きを研究し、それを護身術へと当てはめているのだ。
「すげぇな。あれだけ動けるなら心強いわ。普段の泣き虫が嘘みたいだな」
「みんなを守りたいって考えると、不思議と身体が動いちゃうんだ」
 それにしても、と投影型ディスプレイに関心を向けた大地。ボタンの配置は普遍的なエレベーターのそれと変わりないが、空間に投影された薄緑色のディスプレイは別だ。
「見てみろよ、コレ。こんなの現代(いま)の科学で実現できるか?」
「す、すごい! やっぱりこの世界、とっても科学が発達してるんだよっ」
 パッチリと目を輝かせたあおいは、様々な角度から興味津々に投影物を観察する。
「……あのー、喜んでるトコ申し訳ないんですけど……」
 水を差すような言葉。大地とあおいがレミに注目すると、
「これ、閉じ込められたんじゃないの? この中にすんなり逃げられたのも、ひょっとしたら向こうの罠で……」
「オイオイ……。まるでオレたち、袋のねずみ状態ってことじゃ……」
 大地の頬に一筋の汗が伝う。このエレベーター内に逃げ込んだ際の記憶を探ってみても、レミの発言に間違った点は何ら見つからない。
「だ、大地くん……、何階に降りようとしてる?」
「一階だ! 急いでたから『1階』をタッチした!」
 レミは上、側面、下――……、密閉された箱の中を隈なく見回し、
「……一階に着いた瞬間、蜂の巣なんてことも」
「バカ、変なこと言うんじゃねぇ!」
 とはいえ、このままでは連中に捕まるのは確実。どうする……、苦虫を噛みつぶしたような顔で大地は思考を巡らせたが、

『そんなお困りのキミたちに、この私が力を貸してあげてもいいのだけれど?』

 何の前触れもなくエレベーター内に響いたのは、あおいやレミとも違う少女の声だ。
「え、誰? あおいが言った?」
「ううん、私じゃないよっ。レミちゃんでもないならいったい誰が……」
 レミとあおいは顔を見合わせて確認し合う。だが、大地一人は、
「まさか、銀髪の……」
 聞き慣れてはいないが、聞き覚えのある声質、口調。独り言のように囁くと、その戸惑いに呼応するように、
『そう、キミの想像する姿が私だ。声は逢坂クン以外のお二方にも届かせてある』
 声は三人の戸惑いを意に介さず滑らかに響き、
『さて、現状は十分に把握していると思うけど、このままでは治安維持対策本部(アンチクライム)に捕まるのは明白だ』
「ちょっと、そもそもアンタは何者なのよ?」
「アンチ……クライム? それって、さっきの黒い人たちのこと?」