「泣いたって容赦はしない。キミたち神代一族の人間だって、泣き喚いた当時の私を躊躇なく実験に使ったんだ」
 蒼穹祢の瞳から一筋の雫が頬へと伝い、シャギーカットの妹の赤髪を濡らす。
(こんな時……、どうすればいいの? いや……無理よ……。どうすれば……)
 蒼穹祢は妹の頭から顔を離し、恃む想いで一天を見上げる。
「……ああ」
 そしたら空に散りばめられている星々の中、――闇夜を裂いた一筋の光が瞳の奥で弧を描いた。
「さ、この奥義で終わりにしようじゃないか」
 最期を見届けるためか、セリアは目を細めて姉妹を見下ろしている。彼女の広げた両手には絶望的な黒色の渦――〈ブラックエンド(Bluck_End)〉が、時を追うごとに空気を食らって膨れていく。
 そんなセリアを前に蒼穹祢は、ふっと肩の力を抜き、妹の頭に手を置いて、
「私、――流れ星見ちゃった。ヒナ、久しぶりに……してみない? こんな時だけど……お互いのお願い、星に込めて」
 涙で目元を濡らす緋那子は姉の優しい顔を見て、こくりとうなずいた。
 二人は立ち上がる。
 姉が、妹が両手を差し出し、掌と掌を合わせて指を絡ませる。
 一度、互いの呼び名を口にした姉妹。
 両者は言われるまでもなく額を、胸を合わせ、静かに目をつむった。
 流れ落ちた星をまぶたの裏に浮かべ、たった一つの願いを星に込めて心に唱える蒼穹祢。
 唱えた願いは、“あの頃”と全く同じ望み。

 ――どうか、緋那子といつまでも一緒にいられますように――

 蒼穹祢は奇跡を信じ、そっと、希求どおりの未来を思い描いた。
 あの流れ星がスクリーンに投影された人工の産物であるとしても、二人が想いを馳せた〝宇宙〟へ祈りを捧げたことに変わりはない。
 姉妹の背面には、燦然と光を帯びた大きな満月。その月球を彩る無数の星々。
 二人は指を絡ませたまま、そっと額を離した。
 まもなく、姉妹はセリアを見据えて、
「私は諦めない。緋那子を二度と手放さないって、決めたから」
「もう、絶対に離れ離れになんかならない。だから、私は諦めない」
 黙然と姉妹を眺めていた虚数世界の創造主は嘲笑をし、溜めたエネルギーを差し出した右手に凝縮させ、
「今さらまじないをしたところで、奇跡なんて起きるはずがないのに。ここは虚数空間の世界(イマジナリーパート)、オカルトを排除した科学の街だよ。奇跡という名のご都合主義を信じるなんて――……」
 セリアが最後の技を実行に移そうとしたその前に――、
「…………ッ!?」
 蒼穹祢は目を疑った。
「どういう、こと?」
 ――――セリアの背後から、セリアの暗黒を上書きするほどの光が放たれたのだから。
 セリアは姉妹に向けていた視線をぎこちなく背面へと向け、
「……まさか、…………まさか。そんな、確実に仕留めたはずじゃ……」
 真紅の瞳を微動させ、彼女の声は震えていた。蒼穹祢も緋那子も、固唾を呑んで光を見守る。
「なぜ……、どうして……キミが、立ち上がっているんだ……っ」
 姉妹から、セリアから離れた場所。そこに立っていた一人の影は――――。
「科学まみれの世界でも、願えば奇跡は起きるんだよ。それがわかったら、少しはテメェも奇跡を祈ってみたらどうだ?」
 ゲームオーバーとなったはずの、――逢坂大地だった。光の残り香を身に纏わせ、剣を手に携えて。
「そんな、不正行為でも……? いや、それならば私が気づくはず……」
「ンなことしてねえよ。テメェと相手する間は正々堂々と立ち向かってるわ」
 口元を歪めて笑った少年は、セリアに向けて着実に歩み寄る。
「くっ、邪魔をするな!」
 セリアは細い腕を大地に差し向け、本来は姉妹を仕留めるための黒龍〈ブラックエンド〉を彼へと放った。しかし、
「なに!? どうして……?」
 大きく口を開けて大地の身体を食らう寸前に、黒龍は跡形もなく霧散したのだ。
 妹の手を、無意識に力を込めて握った蒼穹祢。瞳から頬にかけて一筋の雫が伝い、
「本当に、願いが……、奇跡が……。……いえ、あの光……」
 見覚えがあった。たしかそれは、目覚めぬ人へたった数十秒でも構わないから想いを伝える猶予をくれたらと、そう望んでしまった自分自身がゲームに加えた設定(ねがい)により生じるエフェクト。
 妹が姉の左手を握ってくれる。姉もまた、妹の右手を握り直す。
 セリアは漆黒の氷柱を右手の掌に出現させ、
「敗者が邪魔をするなって、言っているだろうがッ!!」
 声を荒げた彼女は前へと踏み込み、大地に氷柱〈ブラックアイシクル〉を突き刺そうとする。しかし単調な動きは容易く躱され、
「なあ、セリア。オレはツマンネェことが大っ嫌いなんだよ」
 それでもなおセリアは身体を捻り、左手の掌に発現させた小さな黒球を大地に構えたが、すでに彼はセリアの頭上で剣を掲げており、
「せっかくその手でつくったあの二人の幸せを、テメェの恨みで何もかも塗り潰すってツマンネェ展開は、このオレがケリを付けてやるよ!!」
 剣は振り下ろされ、――セリアは膝から崩れる。
 白銀の髪を風に泳がせた世界の君臨者は、――最期に天を仰ぎ、
「……そういう、ことか。――――私の、負けだ」

 そうして完全に意識を失うと、音もなく地面に横になる。同様に役目を終えた大地もまた喪神し、その場に倒れ込んだのであった。


終章  とある双子姉妹と宇宙にまつわる一つの物語 -Epilogue-



 ――――〈拡張戦線〉から三日後。

「もう三日も経ったか、あの戦いから。なんか……あっという間だな」
 段差に腰を下ろして壮観な科学の街を眺めながら、逢坂大地は当時の状況を回想する。
(たしかセリアにトドメを刺したあと、もう一回気を失って――……)
 セリアが敗れたことで通信網が回復し、蒼穹祢がすぐさま〈拡張戦線〉の運営に連絡。倒れた研究部の三人は無事回収され、待機所で意識を回復させた彼らは神代姉妹とあいさつを交わし、未来都市へと帰還したのだった。ちなみに〈拡張戦線〉の結果だが、研究部チームは34チーム中14位と、初参戦ながらも健闘できたようだ(無論、不正行為で撃破したエネミーは勝利ポイントの対象外だ)。
「あの時はお疲れさま。ふふ、私が労うのもおかしいが、まあ気にしないでくれ」
 天空には夜のスクリーンに散りばめた星々と、横断するように忙しく飛び交う流れ星。目線を下ろせば、宝石箱をひっくり返したように煌びやかなイルミネーションの海。そんな虚数空間の世界(イマジナリーパート)の主である少女――セリアは片膝を抱えて大地の隣に座り、腰に伸びる銀髪をそよ風に任せ、
「敗れる前にわかったけど、最後のキミの復活、あれは奇跡でもなんでもなくて〈リバイバル〉の効果だったんだね」
「ああ。レミがゲームオーバーの直前に〈リバイバル〉を送ってくれたんだよ。さすがはリーダーなだけあって、冷静に状況を読んでるモンだぜ」
「そうよ、私の機転が勝利に繋がったってワケ。ほ~ら、もっと私を讃えなさ~い」
 研究部部長の深津檸御は得意げな顔で大地を肘で小突くと、大地の代わりに中原あおいがレミの金髪を撫で、
「偉いね、よしよし」
 私は子どもか! とツッコミながらも、レミは頬を緩ませる。
 部室で見るような二人のやり取りを見て心ともなく笑った大地だが、
「そんでセリア、オレたちをここに呼んだのはどうしてだ?」
 虚数空間の世界(イマジナリーパート)を一望できるこの場所は、大地らが初めてこの世界を訪れた際に踏み入れたあの塔〈ポイント・ゼロ〉の頂上だ。先日は敵対していたはずのセリアからメールで誘い出されて、放課後、疑心暗鬼でここへと足を運んだのだが。
「キミたちにいくつかの真相を話そうと思って。もちろん、宇宙飛行プロジェクトに絡んだね」
「真相を? セリアが?」
「そう。まずは『アンドロメダ=ペガサス号空中分解事故』の事故原因から話させてほしい。ま、最後のネタ晴らしというわけだ」
「《NARSS(ナース)》を恐れた他国の陰謀があった、とかかな? ロケットに仕掛けられたとか?」
 あおいはそう予想を立てたが、セリアは首を横に振って否定し、
「未来都市もまずそれを疑ったけど、《NARSS(ナース)》の計画自体は他国に漏れていないんだ。どうやらロケットの製造工程に問題があってね。製造は未来都市と虚数空間の世界(イマジナリーパート)の間で極秘に行われたんだけど、虚数空間の世界(イマジナリーパート)の存在を広めたくない意向があってか、両者間のやり取りは非常に複雑なものになってしまったらしい」
「その複雑さのせいで、設計から外れたロケットができたってわけ?」
「そうだね。それ以外にも、海外との間にあった技術格差が近年縮まっている事実を受けての焦りも原因に挙げられるかな」
 そして未来都市が情報の開示を拒む理由も、《NARSS(ナース)》に代表される虚数空間の世界(イマジナリーパート)の〝明かし難い陰〟が常に絡むからだとセリアは述べた。また、高校生を搭乗員にする事実を公表する予定は本来なかったが、死亡者が出たためにやむを得ず公表する経緯になったそうだ。
「なるほどな」
 大地を始め、研究部の三人は腑に落ちた様子でうなずく。が、ここでレミがむむむっと首を捻り、
「で、どうしてそれをセリアが話すのよ? ただのお人好し? 敵だったクセに?」
「ふふ、“ある人”の頼みでね。彼女とは個人的な親友でもあるけど」
「ある人……? それって、私たちの知ってる人?」
「研究部の顧問、――滝上梢恵だよ。彼女は三つの目的を達成させるために、キミたちにあの研究を課したのさ」
「た、滝上先生が!? 先生って虚数空間の世界(イマジナリーパート)を……セリアを知ってるのか!?」
「梢恵も神代一族の遠い親戚でね。今は教師という立場だが、かつては虚数空間の世界(イマジナリーパート)を拠点に、情報生命体に関わる研究にも携わっていた。その縁で私と彼女は知り合ったというわけだ」
「親戚……? ああ、だからか!」
 大地が城ヶ丘高校の生徒を紹介してほしいと先生に頼んだ時、神代小町が呼ばれたのはそういうことだったのだろう。大地は今になって納得する。
「じゃあ、先生が私たちに話してくれればいいじゃない」
「研究員のころを思い出したくないのか、はたまたその経歴を話すのに抵抗があるのか……どうだろう? 本人に訊かないことにはわからないが」
 セリアが肩をすくめたら、大地のポケットが振動した。振動元のスマートフォンを取り出すと、チャットアプリの研究部グループにメッセージが届いていた。
「お、タイムリーだぜ。滝上先生からだ」
 文面は、『おそらく事の真相をセリアから耳にしているはずだが、やはり彼女に押し付けたままなのは気が引ける。だから今度、食事でもしながらいろいろと話そうか』。レミとあおいも各々のスマートフォンでメッセージをチェックしている。
「梢恵には遠慮せず訊けばいいさ。彼女の過去でもなんでもね。さて、次は梢恵の三つの狙いについて、順を追って話させてもらおう」
 セリアは人差し指を立て、続きを語り始める。
「一つ目は虚数空間の世界(イマジナリーパート)を知ってほしいという狙いだ。研究部というからには、数々の研究の成果でもあるこの科学都市を見てほしかったのだろう」
「つーことはオレたち、先生にまんまと踊らされてたってことかよ」
「キミたちが“未来人の落とし物”と呼んだ例のUSBメモリを渡せば、勘のいいお三方ならきっとこの世界を探し当てるはずと信じてね。……ただ、私が誘導しておいて申し訳ないが、未来の記念碑からの潜入は予想外だったらしい」
「あとで知ったけど、塔のほかにも入口はたくさんあるのよね……」
 梢恵はいろいろと反省していたよ、と苦笑いで教えてくれたセリアは、感慨深げに世界を眺めながら、
「空間自体は私の空想が基にはなっているけど、立ち並ぶ建物も、街を徘徊するロボットも、複雑な公共交通システムも、すべては人の弛まぬ努力が生んだ代物だ」