黒球が身体にヒットし、コネクタからの強烈な電流に視界は点滅する。残りHPもとうとう五分の一を切った。
「深津クンのように、自分が的になるうちに援護射撃で私を潰すつもりかな? たしかに、キミと相手をする間はあの二人に近づけない。だけど近づけさえすれば、姉妹を消すのは赤子の手を捻るようなもの」
 下で這っている少年などもはや脅威ではないとでも言いたげだ。双子姉妹のがむしゃらな反抗をただただ愉しんでいる。
「つまりウロチョロと面倒なキミさえ蹴散らせば、私の勝ちは確定なのさ」
「……ハッ、あの姉妹を見くびるなよ?」
 大地はおぼつかない足取りで立ち上がりながら、そう吐き捨てた。
「出会って間もないのにそう言えるのかい? それは単なる強がりで、ただの粋がりにしか聞こえないけどね」
 言われなくてもわかってる、そんなことは。大地は口ごもる。だけど……。
 懸命に援護をしてくれる姉妹を、大地はチラリと見て、
「二人はまだ諦めてない。それに姉ちゃんのつらそうな顔と、笑顔でそれを受け止めた妹を見せられりゃあなァ――……」
 それからセリアに標的を定めた。それは彼女との対戦の中で、一番の強さを秘めた瞳。
「……――やらなきゃならねぇんだよ、オレは」
 セリアの攻略は難しい。数学で例えるなら、非線形の偏微分方程式を解析的に解くようなものかと、大地は考える。ただ、だからといって姉妹の絆が壊される現実など見たくはない。
 贅沢に星々を飾る天に幾ばくか近づいた、空という名の海に囲まれた場所で相対す両者。
 橙髪をそよ風に靡かせた少年は幻惑の月明かりを背に、おもむろに剣先を敵に差し向け、
「今から正真正銘、テメェを攻略してやるよ。覚悟しろ、このエセ堕天使が」
 セリアはどこか眠たげな瞳を白銀の前髪で隠すと、ニタリと口元を裂き、
「いいね、楽しみだ。ここで決着を付けようじゃないか」
 容赦はしない、そう宣告するように彼女は鋭く右腕を振るった。鋭利な漆黒の鎌〈ブラックエッジ〉が飛来する。
 大地は這うように身体を屈め、襲来する鎌を無傷でやり過ごし、
(一つ気がかりがあるんだよ。“あの間”のセリアの行動に……)
 コンクリートに付けた手の反作用を活かし、大地はバネのように跳ね起きた。剣を構え、セリアに狙いを絞って突っ走る。
「何を血迷った、バカ正直に向かってくるとは」
 セリアの貶む声を聞くと同時に、大地は光を失った。
(この技だ! この時間、セリアは……)
 セリアとの距離はおそらく5メートル弱。大地は前のめりの勢いに急ブレーキを掛け、
(この技、連発されたら堪ったもんじゃない。けど……、オレと直接対決をしてまだ三回目だ)
 彼は右へと方向転換して走り、そしてまたも転換し、今度は左方向へ一直線に駆け抜ける。その際、仮想ウィンドウからウェポン〈バースト〉を選択して、
(気がかりはまだある。こんな暗い中であの弓や鎌、翼を発動されたらキツイ! けど実際は――……)
 ……――実際は錐状の凶器を生やした掌底〈ブラックギムレット〉、数千の羽根飛ばし〈ブラックサウザント〉――……、どれも威力の乏しい技だ。なおかつ威力の高い技は、必ずと言っていいほど霧が晴れてから発動するという約束。
(要は容量不足なんだろ!!)
 辺りを一瞬にして黒一色に染めてしまうほどの出力量。ならば技の支配に割くため、その間他の攻撃に使えるリソースは限られてくるはず。
 そのまま全速力で走る大地。そして、
「やっぱな、読みどおりだ!」
 ――――視界は一気に開けた。潮が引くように闇が晴れたのではない。満ちた月の光が大地を射す。背後を向けば、黒い瘴気が空間を食らっている。
「さすがにだだっ広い屋上全部を覆うなんて無理だよなァ! ンなことしたら他の攻撃が一切使えなくなっちまうからな!!」
 霧からまた一歩遠のき、大地は剣を構えた。すると霧の中からセリアが紅色の瞳孔を光らせて、鋭利な凶器を伸ばした掌を構えながら形貌を呈す。
「おらあああああああああ!!」
 それを見計らっていた大地は銀髪の頭に目掛け、思い切り剣を振り下ろした。
「……あがッ……うっ!」
 頭が一刀両断され、崩れたビジュアルにたちまち修復が施されるも、それでも大地は途切れなくセリアに剣を差し向け、
「ハアアアアア!!」
 腰を捻り、引いた肘を伸ばして、剣先をセリアの腹部へと突き刺した。
「ああああッ!! うぐぅっ……!」
 血流こそないが、セリアは顔を歪めて苦痛に堪える。しかし彼女は霧が引くと、反撃とばかりに翼を目いっぱい広げた。幾枚の羽根が少女を飾るように舞う。
「だからなんだァ!!」
 大地は禍々しい闇色の両翼を視界に入れるや否や、瞬時に後ろへ切り返した。セリアから離れるようにひた走れば、劈くような風の音が耳に届くものの、翼は彼に当たりなどしない。
 急上昇する堕天使の証は、ほどなく宙に散る。
 安全圏まで距離を隔てた大地は身を翻し、
「〈ブラックアウト〉の範囲には限度があるんだよ! そんでそれが発動中にもテメェ自身が制限される! 直前に羽根さえ撒かせなきゃ〈ブラックサウザント〉は無理だろうから、近接用の技に絞られるはずだ!」
 大地が霧から出さえすれば、セリアは近接攻撃で攻め入る際、必然的に霧から身体を露出させなければなるまい。ならばそれを見計らってカウンターを叩きこめばいいだけのハナシ。
 セリアは目を伏せ、それまでの飄々とした音色とは打って変わった、低音の冷たい声で、
「わざわざ攻略法をしゃべってくれるとは……。まったく、とんだ屈辱だよ」
 攻撃力アップのウェポン〈バースト〉の効果を上乗せした二度の刃、加えて神代姉妹の懸命な援護も相まって、セリアのHPは残り五分の一を切った。
「いくら仮想体とはいえ、女の頭を両断するとはね。キミには優しさの欠片もないのかな?」
「ハッ、十分すぎるくらい足りてるわ。勇気と優しさは研究部の入部資格なんだ、覚えときな」
「……あはは、覚えておくよ。深津クン、中原クンの分も併せてね」
 大地は油断という気持ちの隙を心から追い出し、剣を握り直す。
(近接攻撃の〈ブラックエンジェル〉は避けられるはずだ。厄介なのはそれ以外の攻撃。舞ってる羽根で〈ブラックサウザント〉を放たられるとマズイから、もうセリアから離れられん)
 あの羽根の嵐〈ブラックサウザント〉は、おそらくセリア自身も巻き込まれる諸刃の剣だろう。現に、セリアとの近接戦闘中に〈ブラックサウザント〉の使用は確認していない。
 自らのHPゲージ、そして高く舞う無数の羽根を視認し、
(こっから先、小さなダメージも命取りになる……。だったら――――……)
「……――タイムリミットはあの羽根が落ちるまで、か。それまでに私を片さなければ、キミの負けになるだろう」
 羽根の落下を怖がり遠くに逃げようが、避けるのが困難な無限の弓矢――〈ブラックサウザント〉を許してゲームオーバー。今、大地に残されたHPでは、選択肢はただ一つ。
「ああ、それまでにテメェを――真っ向から倒す!」
 大地は剣を脇に構えると、たんっと足の裏を鳴らし、敵元へと駆け、
「ハアアアアアァァ!!」
 セリアの胴体を両断するように一閃、剣を振り切った。だが彼女は左足を引いて微動することで剣を避け、錐が生えた掌底で大地の顔面に食ってかかる。
 鋭利な先端を捉え、大地は後退りを試みた。が、剣を振り抜いたあとでは、
「ぐぅっ!」
 掌底は間一髪で避けられたものの、体勢が微崩れしてしまい、
「終わりだ」
 空振りも計算のうちと言わんばかりに、セリアは左手の掌を千鳥足の大地に振るう。
(くっ、避けきれねぇ! 食らったら――……)
 ふらついた足元では後ろへ、横へ避けることがまず不可能だ。
(だったら――下だ!!)
 咄嗟に判断し、両足をわざと滑らせ、宙に身を放り出した。大地の全身は重力の働きを受け、地面へ背中から落下する。
「……ぐふぅっ!!」
 肺に溜まった空気を吐き、背中の鈍痛に顔を歪めたが、セリアの掌底は危ないところで躱した。悔しさの滲むセリアの童顔が目に映り、その先には幾枚の黒い羽根が降り落ちている。
(チッ、時間がねえ!)
 大地は柄を握り直し、セリアの足元を薙ぐように剣を振る。しかし彼女は「よっ」と声にしがら跳ぶことで刃を躱した。だがセリアが浮く合間に大地は立ち上がり、掬うように剣を思い切り振り上げた。シルバーのネックレスが派手に舞う。
「……やっ、しまっ――――」
 先端ではあるが、刃がセリアの身を縦に斬りつけた。ほんの一瞬、彼女は怯みを見せる。
「今度こそ最後だァァァ!!」
 大地は雄叫びを上げ、辟易するセリアを両断するように剣を振り抜こうとした。
 けれども。
「……なっ、に…………」
 刃が下ろされることはなかった、
 大地の胸を貫くのは、――漆黒の氷柱〈ブラックアイシクル(Bluck_Icicle)〉。
 彼は恐る恐る、胸元の貫通箇所から柱がたどる先を目で追うと、
「切り札は最後まで取っておくものだよ。なぁに、〈ブラックギムレット〉を応用させてもらっただけさ」
 勝ちを確信したのか、セリアの声は誇らしげだ。
 痺れが影響し、大地は身動きが取れない。そして――、空を降る羽根の一枚がオレンジ色の髪にそっと触れた。それを皮切りに、次々と羽根が大地の髪や肩に舞い落ちる。
(クソ……、…………。先輩、ヒナ…………)
 次第に遠のく意識。膝の、肩の力が抜けてゆく。
 その時、少女たちの絶叫が薄らぐ意識をかすかに刺激した。声の方に瞳孔を寄せると、援護射撃をやめ、一心不乱に自分の名を叫ぶ姉妹が見えた。呼応したいところだが、手足どころか、指先すらも動かない。
 意識が消失してゆく中、背を向けた銀髪の敵手から最後に、
「姉妹の敗北という現実をその目で見なくて済むのは、不幸中の幸いなのかもね」
 冷徹な声が羽根とともに降り注ぐと、大地の意識は完全に途絶えてしまった。

       5

「大地、くん……」
「ヒナ、まだ諦めないで! セリアのHPだってわずかよ!」
「う、うん!」
 姉妹は憂慮を和らげるように近づき合い、それぞれの武器でセリアを攻めていく。だが、
「しまっ――……!!」
「お姉ちゃん!」
 ――――黒くシャットアウトされる両者の視界。胸によぎる不安が一気に膨れ上がる。
「ヒナ、とにかく走るのよ! 逢坂くんがしたように!」
 蒼穹祢と緋那子は手を繋ぎ、夢中で暗黒の中を駆け回る。セリアと遭遇しないことを祈りながら。
 だけど、甘くない現実を見せつけられるように、
「近接型の彼を失った今、キミたちの未来は――……」
 闇を抜けたら、忌み敵は目の前で佇んでいた。その大きな漆黒の両翼をすでに広げ、
「……――決まっているのさ」
 羽ばたきは二人に振るわれた。付近の大気ごと巻き添えにする一撃は、仮想体である二人の身体を数メートルに渡って吹き飛ばす。
 地を跳ねるように転がる両者の身体。やがて勢いは停止し、
「お、おねぇ……ちゃん……」
「ヒナ…………、まだ……生きてる?」
 ゲームオーバーにはならずとも、二人の残りHPは微々たるものだった。
 セリアは姉妹へ歩みながらほくそ笑み、
「私の攻撃を一撃でも貰えばもう終わり、そんなことは言わなくてもわかっているね?」
「くぅ……っ」
 勝てない……、絶望の淵に突き落とされた蒼穹祢の心。
 蒼穹祢と緋那子。両者は立つことができず、上体のみを起こしたまま寄り合い、
「お姉ちゃん……、おねえ……ちゃん……っ」
 口元が痙攣し、水分が滲む妹の大きな瞳。彼女とて年ごろの少女、死は何よりも怖いものだ。
「ヒナ……ッ。……大丈夫、大丈夫…………!」
 蒼穹祢は緋那子の赤髪に腕を回し、自分の豊かな胸元に抱き寄せ、
「ま、守ってあげるから……。だから、泣かないの! 泣か……ない……のぉ……っ」
 気持ちを押し殺すように腕の力を強めた。緋那子の震えと温かみが嫌というほど胸に伝達する。それと視界に入ったのは、中学に入学する記念で一緒に選んだ惑星型の髪飾り。