レミは神妙な面持ちで蒼穹祢に付いている。彼女もヒナの記憶喪失の手がかりが潰えたことに落胆して……ではないようで、
「?」
 レミはスマートフォンを高速でタップする。すると大地のポケットの中が振動した。レミがメッセージを送ってきたようだ。
『昨日この女に宇宙飛行プロジェクトを訊いた時、悲しそうというか悔しそうというか、そんな反応をされたのよ。それが引っかかってて』
 大地たちが“未来人の落とし物”と呼ぶUSBメモリの情報から、高校生宇宙飛行プロジェクトと〈拡張戦線〉には繋がりがあることは確定している。そして〈拡張戦線〉に携わる蒼穹祢が高校生宇宙飛行プロジェクトに触れられた時の反応が意味深だということは、やはりプロジェクトには何かが隠されているのだろうか?
『ただ、この場で迫ることはやめておきましょう。余計に口を割らなくなるのが怖い』
 追加のメッセージを読み、大地は黙ってうなずく。
「それにしてもよく虚数空間の世界(イマジナリーパート)を訪れることができたと思うわ。昨日の私の発言がきっかけで来られたの?」
「先輩の他にもヒントをもらったんですけど、一番助けてくれたのは情報生命体を自称する女ッスね」
「情報生命体……? まさか、セリアのこと? 顔を合わせたの?」
 蒼穹祢の反応には、困惑のようなものが含まれていた。
「何か知ってそうな口ぶりね。アンタがこの世界を知る理由も併せて聞きたいけど」
「私は神代一族の人間よ。この世界を創り上げた家系の人間ですもの、虚数空間の世界(イマジナリーパート)を知っていることは当然のことじゃないかしら?」
 彼女はさも当たり前のように述べたが、大地とレミは再び顔を見合わせ、
「世界を……創り上げた? って、それマジかよ!」
「もっと知りたい?」
「知れることならなんでも知っておきたいわ」
「そう」
「じゃあ、質問いいっすか?」
「答えられるような質問であればね。どうぞ」
 レミの言いつけを忘れず、宇宙飛行プロジェクトの質問は避け、代わりに、
「先輩もさっき反応したけど、セリアっていったい何者なんですか?」
 三人は広いフロアに入ると、
「その質問に答えるために、少し昔話をすることになるけどいいかしら?」
「……、昔話?」
「ええ。虚数空間の世界(イマジナリーパート)と神代一族、そして一人の少女にまつわるおはなしよ」
 あたかも闇に語りかけるかのごとく呟いた蒼穹祢。その端正な顔つきは罪を覚えたようにどこかつらそうで、哀しみを隠すようにまぶたは下がる。
 さながら自身にも聴かせるかのように、蒼穹祢はおもむろに口を開け、

「そう、これは神代一族のわがままに巻き込まれた一人の少女、そして世界の〝ソウゾウ〟が絡んだ、――――あまりにも残酷なおはなし」

       ◇

「はぁ……っ、……ヒナちゃん、こっち!」
「うん!」
 あおいとヒナを追いかけ回す三体の〈バタフライ・ダミー〉。かれこれ五分近く逃げ回ってはいるが、背後の敵手が消え去る気配は一向にない。
 あおいはグッと、フィンガーレスグローブをはめた右拳を握り、
(ここはもう、相手するしか……っ)
 半ばゲームオーバー覚悟の決意をして、身体を捩って立ち止まろうとした。だが、
「あおいちゃん……、……なんか思い出して……きたッ……」
 並走しながら、ヒナはふいにそんなことを口にしたのだ。
「思い……出した?」
 捩りかけた身体を戻してみたら、ヒナは駆け足ながら仮想ウィンドウへのタップを繰り返していて、
(ウェポンでも使うの……?)
 あおいが思い及んだら、

 パリンと、背後で何かが砕け散った。

「えっ? まさ……か?」
 あおいは恐る恐る振り返る。するとあの蝶の少女は三体とも失せていて、引き換えに粉々になった白銀の破片のみが地面に降り注いでいた。
 ヒナは足の動きを緩め、
「やっぱり、成功した……っ。不正行為《チート》、できちゃった」
「でもヒナちゃん、それだとまた……っ」
 不正行為によるペナルティが五体の〈バラフライ・ダミー〉の発生に繋がった。ならば彼女らを不正行為で消したところで――……。
 だけれども、数十秒が経過しても警告のナレーションは流れてこない。
「ど、どういうこと?」
 おかしい。本来であればフェーズ5が送り込まれてくるはずなのに。ならどうして今の行為は見過ごされたの? と、あおいが思ったところに、
「SQLインジェクションじゃダメなんだよ。データベースなんて表面的なところじゃなくて、もっと根本を弄らないと」
「根本? それって……」
 例えるなら、レミの不正行為は〝外科手術による整形〟で顔の形を変えるような行為。しかしヒナが行ったのは〝遺伝子を操作〟して顔の形を変えたようなもの。コンピュータやシステムのことは詳しくないけど、あおいは薄っすらとそう考えてみた。
 それにしても、あのレミですら失敗した不正行為を完璧に行うなんて――……、
(……――ヒナちゃん、何者?)
 あおいは記憶回復の有無をヒナに伺ってみたが、
「ううん、まだまだ。私が誰なのかっていうのは全然……。でもね、自分が何を知ってるか、何ができるかはなんとなく掴めてきたよ。たとえば宇宙なんか――……」
 しかし〈拡張戦線〉は立ち話を許してくれるほど易しいゲームではない。彼女らを囲むように、フェーズ4までのエネミーがシルエットを現す。
 エネミーと自らのHPゲージを見比べたあおい。二重まぶたの瞳を歪め、滅多にしない舌打ちを無意識のうちに鳴らす。
「どうしよう、このままじゃゲームオーバーに……。不正はいくらなんでも、もう……」
 握った拳で身構えるものの、戦意は徐々に揺らいでしまう。
 けれど赤髪の彼女は違った。
「あおいちゃん、ちゃんとした攻略法がある!」
 ヒナは自信満々に叫ぶと、煙幕のウェポン〈ホワイトアウト〉を発動させた。そしてあおいの手を取り、白煙に乗じて近くの十五階建てのビルに突っ走っていく。
「ヒナちゃん、建物(なか)にもエネミーが!」
「大丈夫! エンカウントを防いでウェポンを頂いちゃう攻略法を思い出した!」
 扉を潜り、迷わず階段へと向かったヒナは、
建物(なか)でのエネミーの出現条件は宝箱を開けて57秒後だったはず! だったら部屋の奥から一斉に宝箱を開けて、時間内に部屋を閉め切ればOK!」
 ただしその手法が使えるのは一フロアにつき一部屋のみ。さらに保有ウェポンの数が一定数を超えると、そのプレイヤー周りに出現するエネミーが増大する仕様には注意が必要――。
 スラスラと、身に染みた知識を語るようにヒナは攻略法を話す。
(いったい、記憶を失くす前のヒナちゃんって……!?)
 こうして三階まで駆け上がったヒナとあおいは廊下半ば、やや狭めの部屋に入室し、宝箱の模索を行った。
 あおいは目を凝らし、棚という棚、机下、床などを隅々探っていると、
「ねえ、あおいちゃん」
 ふいに、ヒナが尋ねる。どうしたの? あおいが訊き返すと、
「せっかくだしあおいちゃんたち研究部のこと、もっと知りたいなーって思って」
「あ、まだ詳しく話してなかったっけ? うん、喜んで教えてあげるよ」
 あおいは部の活動内容、九人という部員数、加えて自身の研究についてまずは語った。
 ヒナはうんうんと興味深そうにうなずいてくれ、
「大地くん、レミちゃんとは普段から一緒に行動する仲?」
「実は部活単位で活動することはそんなになくて、一人での活動がメインかな。部員全員が顔を合わせるのは毎週金曜日の定例会くらい。大地くんとは、元々交流はあったけど毎日のように話すのはここ最近になってから。レミちゃんは……ふふ、中学時代からの知り合い」
 中学時代――、自分で触れたその一言に、苦笑いとともに彼女はあの出来事を思い起こした。
「ん、中学時代に何かあったの? そんなふうに聞こえちゃったけど」
「レミちゃんと初めて会った時のこと、思い出しちゃって。うん、私の反抗期のこと」
「えー、あおいちゃんの反抗期? ちょっと想像できないなぁ」
「自分で言うのも恥ずかしいけど、私って中学のころから勉強がよくできて。だから周りからたくさん期待されてたけど、いつしかそれが鬱陶しく感じちゃって」
「なんかその言葉、他人事に聞こえないかも。なんでかな、思い出せないのに……」
「ヒナちゃん……?」
「あ、ううん! どうぞ、続きをっ」
「うん。それで反抗したくなったんだ。期待なんて知るもんか、って。夜遅くまで遊ぶとか、授業サボるとか、そんなことばっかり」
 今思えば恥ずかしくて、バカみたいな行為だったとしみじみ反省してはいるけれども。
「結果、成績も下がってみんなから幻滅されちゃいました」
 苦しさを胸に抱いたあおい、心なしか目線を落とし、
「でもね、私はそれでいいと思ってた。勝手に期待して勝手に失望してれば? って。だけどね、同級生だったけど面識のなかった女の子が急に現れて――……」
 ――――呆れた、こんなのと争ってたなんて。
 かつての深津檸御が容赦なく言い放った言葉だ。抑揚の付け方、酷く幻滅する表情までハッキリと記憶に残っている。
「それで思ったんだ。私をライバルって認めてくれる人がいるならしっかりと向き合わないといけないし、じゃないと自分が恥ずかしくなっちゃうんだなって。頑張るのは自分だけじゃないってことをレミちゃんが教えてくれた」
 “頑張る自分”なんて言うのも、それはそれで恥ずかしいかな、とあおいは内心笑った。
 けれども、ヒナはあおいを嘲ることはなく、
「ライバル同士、悪いと思うことを面と向かって言うこと、大事だよね。気を遣って逃げてる関係、そういうのは後々になってお互いが傷つくのかな……」
 ヒナはどこか寂しげに口ごもると、宝箱を把握し終えたのか膝を伸ばし、豊満なバストが強調されるように身体も伸ばした。あおいも立ち、発見した宝箱の位置を互いに教え合う。
 担当を部屋の両サイドそれぞれで決め、ヒナの合図で回収を始めようとしたが、――ヒナは嬉しそうに笑って、
「私、楽しい。みんなとプレイして、あおいちゃんとおしゃべりして。記憶はまだ戻らないけど、すっごく楽しいことは確かだよ。ありがとう、あおいちゃん」
 お返しと言わんばかりに、あおいもニコリとほほ笑み返して、
「どういたしまして。私もヒナちゃんと出会えてよかった。うん、最後まで頑張ろうね」

       ◇

「少しくらいなら話に時間を割いても大丈夫なはず」
 蒼穹祢はそう言うと、部屋の中央を陣取る会議用のデスクに腰掛けた。大地、レミをじっくりと瞳で捉え、白いスーツに包まれた脚を組む。
 きめの細かい青髪を彼女はサッとかき上げ、
「驚くでしょうけど、この虚数空間の世界(イマジナリーパート)は成立してから一〇年ほどしか経過していないのよ」
「マジで!? あんだけの科学、建物を……。そんな、たった一〇年で!?」
「開発に関しては、大量の資金と人材をつぎ込めばどうとでもなるわ。二〇年先を進む科学も、世界中から優秀な人材を集めれば成し遂げられるのもおかしな話じゃない。けれども――……」
「……――この空間自体を創ること、それは並みの科学では不可能。そういうこと?」
 蒼穹祢の言葉を先読みするように、レミは口にした。
「そう。複素平面で例えるなら〝虚軸〟と呼べるこの空間を創ることは規格外なこと。そしてその空間(せかい)は、一人の犠牲の上に成り立っているという事実があるわ」
「それが、神代一族と関係が……?」
「世界創造のメカニズムを完成させ、世界の創造主となったのは、私にとって大叔父の息子にあたる人なの。本家の跡取り、――つまり神代小町の父よ。だけどその名は、たとえ創造主であっても虚数空間の世界(イマジナリーパート)で知られてはいないわ」
「あの、神代小町先輩の……父?」
 事実を知るのはごく一部の上層部か神代一族の人間程度、と蒼穹祢は補足を加える。