目を開けると夜だった。

 満天の星空と、海賊船。

 ああ。さっきのは、夢だったんだな。

 横に村松さんがいた。夢とちがって服を着ている。でも砂の上に坐っているのは夢と同じだった。

 村松さんは砂をいじりながら、小声で鼻歌を唄っていた。

 まるで子どもみたいだな、と思った。

 清伸は、寝転がったまま訊いた。

「なんの歌ですか?」

 村松さんが、ちらりと一瞥をくれた。

「正義はいいねーって歌だよ。なんだか疲れちまった」

 村松さんは手についた砂を払い、ため息をつくと、

「なんかさ、なにかに見られてるような気がするんだよ。死神だか神だか。そんなのが、本当にいるのかどうかも知らんが」

 立ち上がって、空を見上げる。

 清伸も同じ空を見た。

 満月が、蒼白く光っていた。

「おまえを赦す気はない。が、とりあえず復讐は中止してやる。決意が鈍った」

 どう返事をしていいのかわからない。

 世間の誰もが赦さない幼女殺人犯を、村松さんは見逃してくれた。

 こんな人が、ほかにいるだろうか。

「あっちの突堤で」

 村松さんが指差す。

「誰も見てないことを確認して、子どもを落とす予定だった。でもやめた。さて、元々おまえに殺させるつもりで多美に産ませたあれを、どうするか。おまえにくれてやる義理はないし、おれにとっては邪魔なだけだ。なにかいい考えはないかな」

   *   *   *

「あの、その話、ベンチでしませんか」

 小宮が言った。反対する理由もないので、そうした。

「今夜は満月ですね」

 くだらないことを言う。

「それがどうした」

「ぼくがあの事件を起こしたときも、満月でした」

「よく憶えてるな」

「八月の半ばだったんです。ぼくは夏休みの最中で、世間でもお盆休みと呼ばれて会社などが休みになる時期でした」

「だから?」

「盲点だったと思うんです。一つの町に、二人も変質者がいるわけない。幼女を誘拐したやつがいたら、女の子を殺したのも、そいつにちがいないっていう」

「なにが言いたい?」

「いたんですよ、もう一人。でもその人は変質者じゃない」

 小宮の顔を見た。その瞬間、初めて思った。

 こいつは案外、バカじゃない。

「ぼくには誘拐する動機はあっても、殺す動機はありません。そして、その一線を越えることは、どうやってもできない人間なんです。だけど、それを知っているのはぼくだけです。ぼく以外の人すべては、実際に女の子が殺されてるんだから、小宮清伸はそういうことのできる人間だと思い込んだのです。だから、ほかに犯人がいるかもしれないなんてことは、考えもしなかった」

「証拠はどうなんだ」

「思い込みのせいです。唯一の物的証拠は絞殺に使われたドライヤーでした。ぼくがそのコードをうっかり触っただけで、凶器を使用した証拠にされました。あとは、全部警察と検察のストーリーどおりに自白したせいで、有罪になったんです」

「じゃあ真犯人は誰だ」

「ぼくも今夜まで、真相は知りませんでした。でも今は知っています。事件当時、村松さんには愛人がいました。事件後すぐに、二人は同棲を始めました」

 自然と手が拳(こぶし)になる。

「多美さんは、会社のお盆休みを使って、愛人の家庭を盗み見ることにしました。普段の村松さんが、奥さんや娘さんとどういうふうに過ごしているか、見てみたかったのです。楽しそうにスーパーで買い物をする三人。ところがそこで、とんでもないものを目撃します。友華ちゃんが、怪しげな男のあとについていくところです」

「…………」

「多美さんはそれを追って、ぼくが家に友華ちゃんを連れ込んだことを知ります。多美さんは驚きましたが、村松さんに知らせることも、警察に通報することもしません。おそらくぼくが友華ちゃんを殺すことを期待したのでしょう。多美さんは知っていました。子どもさえいなくなれば、村松さんが妻と別れて、自分と一緒になってくれることを」

「…………」

「彼女は誘拐事件がどう進展するのか気になります。そこでときどき、ぼくの家をこっそり見に来ます。あるとき、ぼくが家から出てくるところを見ました。友華ちゃんにビデオを観せておいて、買い物に出たときです。いつもはビデオに夢中になって、ぼくが出て行くのにも気づかなかった友華ちゃんでしたが、そろそろ両親のところに帰りたくなったのでしょう。その日は鍵を開けて家から出ました。それを見た多美さんはハッとします。誰かが友華ちゃんを見つけて保護すれば、自分の期待とは正反対のことが起こる。村松さんがますます子どもを大事にするようになり、家族の絆がいっそう強くなるのです。それを考えると絶望します。唯一の解決策は、子どもが無事に還らないことです。多美さんは友華ちゃんに近づき、危ないから家に戻りましょうねなどと声をかけ、急いでぼくの家に入ります。誘拐犯の家で子どもを殺せば、殺人容疑は自ずとその誘拐犯にかかる。今やれば安全だとの判断から、多美さんは殺害を決意し、ぼくの部屋に行って、友華ちゃんの首をドライヤーのコードで絞めました」

「……証拠は?」

「物的証拠はありません。目撃証言もありません。ですが、多美さんが村松さんの愛人だと知った瞬間に、ぼくには一気に真相がわかったのです。多美さんだけに、動機と機会がありました」

「それだけで、犯人とは言えない」

「そしてなによりも、多美さんは子どもを殺せる人です。死なせる目的のために、純を妊娠して産むことができたのです。多美さんには幼女殺しができる、ということを、この復讐計画全体が証明しているのです」

 そう。多美ならできる。そして、やったろう。

 多美。

 満足していればよかった。公園で子どもと遊ぶ幸せに。なのに、愛人に溺れた。

 子どもさえいなければ別れるんだがなと、何度も寝物語に言った。

「……小宮」

 小宮の膝に、手を置いた。

「赦してくれ。おまえの母さん、殺しちまった」

「ぼくこそ、友華ちゃんを誘拐しなければ」

「多美を赦してやってくれ。おれが唆したようなものなんだ」

「多美さんのおかげで、ぼくには純という生きる希望ができました」

「あの子を育ててくれ。頼む」

「はい」

 小宮と二人、ベンチを立って、並んで歩いた。

 海賊船の横を通って、駐車場に戻った。

 車がない。

 シルバーのフィアット500が駐めてあった場所に、なにかが落ちていた。

 拾って見た。イタリアで多美に買ってやった、カメオだった。

 悟った。

 多美が、自分の子どもを連れて、永遠に去ったことを。

 きっと、小宮が真相に気づいたことを、女の勘で知ったのだろう。

 バカな男どもを嘲笑うかのように、鮮やかに逃げた。

 と――

 駐車場に、えらく痩せた、ちっちゃな男が歩いてきた。

 ぎょっとした。

 海賊船で見た死神だった。

「多美さん……純……」

 死神は、呻くように言ってうずくまった。

 そこへ。

 どこから現れたのか、金髪の大女がぬっと立ち、

「サ、純亜、帰るよ」

 死神の手を引いて立たせると、よっこらしょと背負い、夜の闇に飛んでいった。

               (了)