アパートに帰った。

 多美に、今度休暇を取れたら、イタリア旅行にでも行こうと言った。ローマ法王に、クソを投げるつもりだった。

 翌日、だらだらと十時過ぎまで寝た。ふと、小宮がどこまで供述したか知りたくなり、熊野刑事に電話をかけた。

「ああ村松さん。どこにおられるんですか。ずっと探してたんですよ」

「なにかあったんですか」

「被疑者の母親が、昨夜自殺しました。列車への飛び込みです。ニュースでごらんになりませんでしたか?」

「……いえ」

 驚きは大きかった。勝手に死なれた。

「所持していたハンドバックの中から、村松さんの出した手紙が見つかりました。母親の突発的な自殺の理由の一つと考えられますので、事情をお伺いしたいのです。唐木署まで来ていただけますか」

「事情もなにも、わたしはその女とは会ったこともないんですよ。手紙を出しただけで」

「あの手紙を送った経緯についてお聞きしたいのです」

「謝ってもらいたかったからですよ、人として」

「われわれとしては、非常に重要な証人を失いました。これはとても痛い」

「証人どころか、ある意味共犯でしょう。だいたい日曜から木曜まで、家に女の子が監禁されていたことに気づかないなんて、そんなバカな話はない。あいつは息子がなにかやってると気づいてながら、見て見ぬフリをしてたんだ」

「被疑者の部屋は二階にあって、最近は母親を決して中に入れなかったそうです。とくに夏休みになってからは、一日中閉じ籠ることも多かったといいます」

「それは自己弁護でしょう。幼児の声というのは響くんだ」

「われわれもそこは追及しました。それが彼女には堪えたのかもしれません」

「完全な責任放棄だ」

「しかしですね、月曜日には息子と面会することになってたんですよ。まさかその前に死ぬとは思いませんでした」

「おれの手紙が原因だと、警察ではもう決めてるんですね」

「遺書が見つかっていないものですから、断定的にはなにも言えません。どうでしょう、あとは署でお話ししませんか」

「じゃあ行きます」

 唐木署へ。話は取調室ですることになる。固いパイプ椅子に坐ると、手紙を書いた日時、場所、動機などについて淡々と訊かれたので、淡々と答えた。

 自殺の件はそれで終わり、和樹は小宮について訊いた。

 熊野刑事は煙草を吸いながら、

「誘拐するのは誰でもよかったそうです。被疑者は小学校六年生のときにはすでに、小さい女の子を連れ帰る夢想をしていたといいます」

「はっきり小宮と言ってください」

「小宮の夢は、幼児をさらってきて飼うことだったそうです」

「いたずら目的ですね」

「そうではないと今のところは言ってます」

「小宮の部屋に児童ポルノはありましたか?」

「ありませんでした。ただ、ホームビデオの本体に保存されていた動画の中には、幼児を映したものがありました」

「……友華ですか?」

「いえ。小宮の自宅近くの公園で、子どもたちの遊んでいる姿を撮影したものです。子どもを誘拐したいと思っても、いきなりそれはできないので、公園で隠し撮りをしながら子どもたちを観察していたそうです」

「変態め」

「ところが、公園に幼児が一人でいるという状況はない。近くに必ず大人や大きい子がいる。だから公園でやるのはあきらめました。ではどこで狙おうかと考えたとき、思いついたのが、スーパー森のトイレでした」

「ああ」

「あそこのトイレは駐車場の反対側にあって、人目につきにくい。子どもが一人でトイレに入ったときに、まわりに誰もいないという状況が大いに考えられる場所でした」

 事実、そうなった。

 友華には、一人でトイレに行かせるようにしていた。家でできるようになったのだから、外でもできるよと言って、あえてついて行かなかった。

 まさか、変質者がいるとは思いもせずに。

「小宮はトイレの入口から道に向かって、おもちゃのBB弾を撒いておきました。友華ちゃんはそれを拾っていき、路地に誘い込まれました。そこで待ち伏せしていた小宮は、これがもっと欲しいかい、ぼくの家はそこなんだ、あげるからついて来てと言います。子どもの扱いに慣れていた小宮は、巧みに友華ちゃんを家に入れます」

「なんでそんな簡単に……」

「小宮はアニメを次々に観せたりして友華ちゃんを手なずけ、いい子にしてたらパパとママにまた会えるけど、ぼくの言うことを聞かなかったり、勝手に部屋から出て行ったりしたらもう二度と会えないよと言います。友華ちゃんは素直にうなずいたようです」

 思わずテーブルを叩いた。灰皿が鳴る。

「小宮は友華ちゃんと一緒にお人形さんごっこをやったり、粘土で動物を作ったりしました。そういうことをするのが夢だったのです。食事は下から運んできて、自分の分を分け与えました。部屋に籠るのはいつものことだったので、母親は不審に思いませんでした。たまに話し声が聞こえても、テレビの音と思って気にも留めなかったそうです」

「……夜も泣かずに寝たんでしょうか」

「ということです。毎晩遅くまで遊ばせて、疲れて自然に眠るようにさせたそうです。翌日起きたらビデオを観せておいて、そのあいだにお菓子などを買いに出ました。友華ちゃんはビデオに夢中になっていて気づかず、また逃げるという発想もなかったようです。ですからなんのトラブルもなく、木曜日の朝を迎えました」

「その日ついに、友華が騒いだんですね。それで口を塞ごうとして――」

「いえ、そうではないと言っています。友華ちゃんの様子はいつもと変わらず、前日までと同じように買い物に出ました。それが午前十一時です。十五分か二十分くらいで帰ってくると、部屋の中で友華ちゃんが首にドライヤーのコードを巻きつけて死んでいた。小宮はそう供述しています」

「ふざけやがって」

「最初は事故だと思ったと言ってます。首にコードを巻いて遊んでいるうちに、固く絞まってしまったのかと。でもすぐにそんなはずはないと思い直し、誰かが家に入ってきて、友華ちゃんを殺したんだと考えます」

「じゃああのへんには、あいつのほかにも変質者がうろついてるってのか!」

「まだ現実を認めたくなくて、空想を語っているのかもしれませんね」

 怒りで目の前が赤くなる。

 それは血の色だ。小宮の血。それが噴き出るところを、どうしても見たい。

「村松さん」

 熊野刑事が身を寄せてきて、訊いた。

「もし、小宮が少年刑務所を出てきたら、どうしたいと思ってますか?」

 和樹は刑事を見た。

「そうですね」

 このときなぜか、不意にロックの旋律が胸を流れた。

 ポンポロポッピッピー
 あー、正義は正しいよー、正義はいいねー
 正しいことはー、正しいってー、いつも言いたいねー
 ポンぺロパッピッピー

「赦します」

「赦す?」

 刑事が驚いた顔をした。和樹も驚いていた。なんてことを、おれは言ったんだ。

「だって、小宮を赦さなかったら、おれは神様に赦してもらえない。でももし小宮を赦したら、ちょっとくらい、神様に褒めてもらえるでしょう?」

 いったい本当に、なにを言ってるんだ。