「それで、雪を好きになる瞬間の話をまだ聞いてないんだけど……」

「それなんですが、ごめんなさい。あと少しで電車来てしまうんですよ」

「そっか、じゃあその話は楽しみに後日に残しておくとして、気を付けて帰ってね」

「はい、秀先輩もありがとうございます!」
 
 お互い挨拶を済ませると、日曜日に千香が参加するむねの連絡を終えると同時に、先ほど交換したばかりのお互いの連絡先に、さっそく一件のメッセージが入り込んだ。

『明日、戸次先輩の家に着ていく服を買いたいので、一緒に付き合ってください』

 彼はそのメッセージを読み上げると、笑みがこぼれだし、即座に返信を済ませる。

『あいつって、けっこう露出が多いのが好きって言ってたぞ』

『それが、間違っていたら刺します』

 あからさまな殺害予告に対して、今度は堪えることが出来ず周囲を気にしながら小声で笑うと、そして改めて少し考えるが、 雪道と遊ぶようになって数年が経過するのに、彼の好みを聞いたこともないし、考えたときも無かった。

『たぶん、雪は外面よりも内面派だと思うが』

『それでも、最初なので失敗したくないんですよ!』

『分かった。 じゃあ、十時に今の駅に集合でいい?』

『ありがとうございます!』

 今までしていたやり取りの画面を閉じると、今度は話題の中心人物である雪から連絡が入った。
 彼らしくとてもたんぱくな一文が、余計に心を躍らせてくれた。

『何食べたい?』

 彼はその問いに対して真っ先に浮かんだことを返信する。

『また、あのナマズ料理が食べたい』

 素直に食べたい気持ちと、いきなりナマズ料理はどうなのだろうかいう心配もあったが、雪道からの返信を確認すると、少し安堵した気持ちになる。

『ごめん、まだ旬じゃないんだ』

『じゃあ、雪のおススメでいいよ!』

『そう答えられると一番こまるんだよな』

『すまん、すまん、でもまだ俺の彼女が何が好きとか把握していないから、本当に任せるよ』

 その後は返信が無かったが、食材の買い出しに行っているであろう、おそらく彼女と一緒に。
 自分の入り込む隙間は無いと思っていたが、ここに来て何か変われそうな予感がする。

 むしろ変わらないといけないとは、常々思っていたが、自分の気持ちを押し殺すことで、今の関係を保てているのも事実であり、それに十分満足していた。

「まったく、千香は凄いな」 

 彼女の前向きな姿勢と、想い人に近づくためになんて回りくどいやり方を選択したのだろうか、しかし、その行動力に当てられたのか、自分も何か行動を起こせるような気がしてきた。
 もし、軽く失敗しても大丈夫、そんな気持ちが沸々と湧き上がってくる。

 駅から反対方向の自宅に向かって歩きながら、明日の服装と食事をする場所を考えていると、急に不安になり財布の中身を確認すると、十分な軍資金が入っているのを確認でき、胸をなで下ろすと、唐突にカレーが食べたくなり、明日の昼食はカレーに誘うと考えたが、初めてのデートでカレーは如何なものかと自制するもう一人の彼がいた。

 やはり自分が食べたいものは一応アピールだけはしてみようと思うが、今まで、男女の交際経験が無い秀にとって、すべてが未体験であり、圧倒的に経験値が不足している。

 それでいても、気が楽なのは本当の彼女でない点と、立花 千香という存在が大きいと思われる。
 今日初めて出会ったのに、力を抜いて接することができて、とても居心地がよかった。

 もうすぐ、月明かりが建物全体を照らし出す時間帯が差し迫るなか、足取り軽くゆっくりと歩いていく。

 次の日の土曜日は、天気は晴れているが幾分か冷たい風の残る空気が少し薄着をしてきたことを後悔させている。

 集合時間の二十分前に秀は到着しており、しっかりと整えてきた髪型を再度確認するために、駅のトイレの鏡を使って軽く手直しを加えたが、イマイチ自分では納得のいく出来栄えではないが、そうこうしているうちに待ち合わせ時間がきてしまい、急いで向かうとちょうど駅の改札を降りたところで目が合った。

「おはようございます先輩!」

 とびきりの笑顔に白地の服がとても好印象で、服を買いにいく必要があるのかと、疑問に思ってしまうほど彼女は魅力に溢れていて素敵だった。
 そして、ここで既に断念しなければいけない事案が発生した。

 それは、昼食にカレーは誘い難くなってしまったので、急いで候補地を再度脳内検索エンジンにかける。

「おはよう千香」

「秀先輩もちゃんと遅れずにきましたね」
 
「二十分前にはいたよ」

「うわ、それ言われると今度から気を使っちゃいますよ」

「嘘だよ、本当はニ、三分ぐらい前に到着したんだ。証拠にこの風で乱れた髪型をなおす暇すら無かったから」
 
 おどけた表情で話す彼に対して、少し疑いの眼差しを彼に向けたが、あまり気にしないようにしたのか、直ぐに気持ちを切り替えて、彼の私服をまじまじと見つめる。
 
「そんなジロジロ見ないでくれると助かるが」
 
「いや、確かにこりゃ凄いですね。見た目は完璧なイケメンで服のセンスもまぁまぁって、どれだけ神に愛されているんですか」

 少し棘のある言い方が気になるが、そこはあえてツッコまないでおく。

「自分では普通なつもりなんだけどな」

「へぇ、仮にも彼女との初デートで普通で来たんですか?」

「なんだよ、さっきから攻撃的だな。じゃあどんなのがお望みなんだ?」 

「そりゃ、ここにいる人が戸次先輩なら、服のセンスとか時間に遅刻してきても、全部許せちゃいますね」
 
「無茶言うなって、だったら最初から雪を誘えばよかっただろ? 俺に文句があるなら今日は解散ってことで」

 そう言って、彼は少し不機嫌になりながら後ろを振り向き、一歩踏み出すと不意に後ろから服の端っこを掴まれた。

「あの……ごめんなさい。だって初めてなんですよ、男子と二人っきりで出かけるのって」
 
 今までの表情とまるで違い、今にも破裂しそうなほど顔を赤らめてながら謝罪を申し出てきたが、単純に強がっていただけで、とてつもなく不器用な表現しかできないでいたのだ。

 そんな態度の彼女を見て、彼は大きなため息をつくと踵を返して向き直った。

「そんな意味のわからない態度じゃなくて、もっと普通でいいと思うよ。そりゃ、俺があいつの代わりになるのは無理だが、千香のことは一生懸命に応援するから、俺といるときぐらいは無理するな」

 なんだか、歯が浮くようなセリフを言ってしまったことを少し後悔しているが、それを聞いた彼女は少しだけ顔を上げると、一つだけ質問をしてきた。

「あの、私の服装って変じゃないですかね?」
 
「大丈夫、お世辞抜きで素敵だと思う」

 その言葉を聞いてようやく笑顔になると、ゆっくり彼の横に並び、小さな声で「ありがとう」と述べた

 その後の買い物は、概ね予想通りで午前中のうちには、選びきれずに一旦休憩をかねて昼食をとることになったり、二人は何を食べたいのか歩きながら相談を始めた。

「何食べたい?」

「先輩は何食べたいんですか?」

「だから、質問に質問で返すなって」

「え? 私の意見を通してもいいんですか?」
 
「いいよ、特に嫌いな食べ物っていったら、なれずし系以外なら大抵食べれるから」

「大丈夫です。 なれずしを食べようという発想にはなりませんから」

「なら、好きな食べ物言ってもらえると、そのお店紹介できるから」

「わかりました! 実は私昨日から無性にカレー食べたいんですが、どこか美味しいカレー食べれませんか?」

「うそ……」

 予想外の返しに一度歩みが止まってしまった。

「やっぱり、変ですかね。 先ほど素直でいいよと言ってくれたので、思い切ってしまいましたが」

「いや、実は俺もカレー食べたかったんだけど、その服とか心配ない?」

「あぁ、大丈夫ですよ。 一応汚れないような工夫しますし、これがカレーうどんとかだったら、難しいですが、来るとき、カレーはさすがに無理かなって思って、この服を選んできたんですが、ちょっと後悔してます」

 お互い食べたいモノが一緒ということもあり、若干興奮している千香は、熱いカレーへの想いを語り、秀に食べたいという欲求を伝えた。

「でも、せっかくお互い食べたいのが揃っているなら、このチャンスを逃す手はないと思うんですよね」

 目を輝かせながら力説する彼女を見ていると、隣にいる秀は少し笑みを浮かべて、自然と手を差し出しておススメのお店に案内すると言った。
 千香はその手を少し照れた表情で握り返し、秀は千香に歩幅を合わせながら、楽しみなカレーが待つお店まで他愛のない会話を楽しんだ。

 
 彼がチョイスしたお店は、以外にも本格的なインドカレーのお店で、手作りのナンと食後のチャイが人気のお店だ。
 もちろん、カレーも本場仕込みではあるが、日本人の舌に合わせた味付けで、よく雪道と訪れている。
 
「うお、凄く本格的なんですね」

「そうだな、雪とよく来るんだけど、ランチは三種類から選べる。俺はいつもキーマで、雪はマトンかチキンだけど、北インドカレーだから、女性も食べやすいと思ってね」

「え? インドカレーに種類ってあるんですか?」
 
「それ、雪にも同じ質問したら二時間ぶっ続けで語られたから、あいつに詳しいことは聞いてくれ」
 
 店先にディスプレイされている商品メニューを眺めながら、カレーについての雑学を雪道に教わった長い文面ではなく、彼なりに要約した情報を教える。

「簡単に説明すると、北は小麦が原材料の主食で濃厚なカレーがメイン、南はスパイシーなサラサラとしたカレーで主食も米になるって言ってたような気がする」

「知らなかったです。 さすが戸次先輩ですね」
 
「あいつ、一般常識ないのに偏った知識だけは豊富なんだよな」

「そうなんですね。 なんでも知っていると思っていました」
 
「そうでもないよ、俺らが観るテレビの情報とかは皆無だし、世間がオリンピックで盛り上がっているなか、一人で世界の宗教図鑑を眺めて興奮していた変態だよ」
 
「それは、ますます好きになりますね」

「なんでそうなるんだよ」

 理解しがたい返答だが、彼女はいたって真面目に雪道の情報を聞いており、その姿勢を少しは見習っていこうと改めて感心した。

「まあ、ここにいてもあれだからお店入ろうか」

 二人は静かに流れる音楽と、このお店のインド人店主の娘さんがウエートレスをしており、その人に席まで案内してもらうと、秀はいつものメニューを注文した。
 少し迷って千香はマトンを注文すると、食事が来るまで、先日の続きの雪道を好きになった切っ掛けを聞くことにした。

「昨日はどこまで話ましったけ?」

「確か、寝顔に惚けていたら寧音が来たところで終わってたと思うけど」

 はいはい、それで興味をもったんですが、次の日は金曜日だったのでみんな勉強しないで、帰ろうってなったんですが、私は用事があるってことにして、図書室に向かったんですよ。そしたら、いなかったんです」

「珍しいな毎日いるイメージだったけど」

「そこで、私も帰ろうとして駅まで歩いていると、目撃してしまったんです」

「俺の知らない雪の秘密でも見つけたのか?」

 「それはわかりませんが、けっこう寒い日だったのは覚えています。大きな買い物袋をもった戸次先輩を見つけて、帰り道が同じ方角だったので少しだけ、観察していたら」