最初は真剣に勉強しているが、次第に集中力が切れだして、小声で雑談をするようになり、しまいには勉強にまったく手がつかない状態になっていく、そんな時に背後から図書委員に注意をされると、今まで盛り上がっていた空気が一気に冷え込み、帰ると言い出す友達もでてきて。
 だから、その日はその場で解散になり、また明日勉強しようと約束をして友達と別れたが、帰り道で筆箱を図書室に忘れたのを思い出して、急いで戻ると同じ場所で同じように勉強している彼の存在が目に飛び込んできた。


 最初は、まだやっていると思いあまり近づかないでいたが、図書室が閉まるまであと十分そこらしかなかったのに、彼は片付ける素振りもなく、集中して勉強に励んでいた。

「あいつらしいな、声をかけたのも俺のほうが先だったし、なんでいつもそんなに勉強しているの? って」

「で? 戸次先輩はなんて答えたんですか?」
 
「深夜のアニメを観るために、学校にいる間は勉強したんだってよ」
 
「え……予想外の答えがきましたね」

「そうなんだよ、思わず笑っちゃてさ、それからちょくちょく一緒にいることが多くなって、それで寧音とも親しくなれたんだ」

 セリフを言い終えてから、少しだけ彼の横顔が悲しみを帯びたが、それはそれで今の環境にある一定の満足感も抱いているようだった。

「ごめん、話を中断させちゃって、続きをどうぞ」

「いいんです。 戸次先輩の貴重な情報を入手できましたから!」

「いいね、その前向きな感じが」

 ニコリと笑ってから、彼女は図書館での話を続けて語りだした。

 筆箱を見つけて、急いで鞄にしまい込むと、ちょうど図書室の担当の先生が見回りに来たタイミングで、親しそうに勉強をしていた彼と会話を始めた。

「戸次、いつも精がでるな」

「いいえ、これから帰ったら妹の世話と夕ご飯を作らなければならないので、今しか勉強する時間がないんですよ」

「そうか、大変だな」
 
「そうですか? 別に大変だと思ったときはありませんが」

「ブレないな君は」
 
「うちの親は今、海外ですから俺がしっかりしないと」

「でも、君の妹さんもそろそろ高校生だろ?」
 
「そうですね。 来年の春からこちらでお世話になります」
 
「そうか、楽しみにしているよ」

「別に、これと言って楽しい存在ではないですが」
 
「そうかい? 私はとても楽しみだがね」

「妹に伝えておきます。 では」

「気を付けて帰りなさい」

「先生も、あんまり頑張らないでね」

「それはどういう意味だい?」

 少し緩んだ口元だけを覗かせながら、軽く手を振りながら扉から出ていった。
 そのやり取りで、彼がここの常連であることや、軽い家庭の状況が把握でき、なぜかその場から少しの間動けずにいる。
 そうしていると、見回りの先生に「早く帰りなさい」と注意を受けて、早々に退室していくが、自分のこれからの日程を改めて思い描いてみると、帰宅すると当たり前のようにご飯と家族が待っていて、夜はお気に入りの音楽を聴きながら雑多な情報のやり取りを友達と数回交わして、おやすみなさいを言い合う。
 もちろん、それが今は楽しく不満など一切ないが、自分とは少し違った状況の彼に少しだけ興味が湧いた。

 次の日は昨日よりも一人少ない人数で図書室に訪れると、そこには昨日と同じ位置に例の彼が座り、綺麗な動作で勉学に励んでいる。
 そして、今日も彼から逃げるように遠巻きに移動して一番奥の席に着くと、昨日と違って勉強に各自集中しだした。
 しかし、その時間も前回よりも三十分ほど長いばかりで、やはり徐々に集中力が切れて、その日はそこで解散となったが、切りの良いところで終わりたいと思い、一人残ると伝えると、また図書室に静寂が戻ってきた。
 少し背中を伸ばそうと思って、椅子から立ち上がって無意味に本棚に置かれている本を眺めながら歩いていると、視界の端に机に頭を置いて静かに眠っている人物が入り込んできた。
 それは、いままでこの空間で一緒に勉強をしていた彼で、寝たままでも右手にはペンを握りしめているのが、なぜか滑稽に思えて興味本位で近づいてみると、図書委員が換気のために僅かに開けた窓から肌寒い風が入ってくると、彼の不揃いな前髪が揺れると同時に、とても綺麗で整った顔が現れた。

「その瞬間、うわ‼ めっちゃイケメン。 って思いましたね」

「それで好きになったの?」

「いいえ、これはあくまで興味をもつ切っ掛けになっただけです」

「話長くなりそうだね」
 
 苦笑いを浮かべた秀を横目に、彼女は構わず話を進める。

「たぶん、時間にするとほんの数秒だと思うんですが、その表情に見惚れていたら、図書室にある人物が入ってきたんですよ」

「わかった。 それが寧音だろ?」

「正解です。 びっくりして、急いで視線を逸らして勉強していた机に戻ったんですが、朝日先輩は迷わず、戸次先輩のところまで歩いていくと、前髪を戻してから隣の席で読書を始めたんです」

 薄っすらと目を閉じて、その時の想い出を正確に伝えるために、一語一句ゆっくりと語っていく。

「そして私は思ったんです。あ、この二人付き合っているのかな? って、それに朝日先輩ってば凄い美人さんで、正直言いますよ、しばらく惚けて眺めていたくらいです」
 
「その気持ちわかるよ。 今でも男子からそんな視線で眺められているよ彼女は」

「やっぱり! でもあの姿は眼福なのでライバルですが、今後は遠慮なく眺めさせていただきます」

「なんだそりゃ」
 
 今度こそ、二人は同時に笑い出すと不意に秀の携帯電話が鳴りだし、ディスプレイを見た彼の表情が一瞬で凍り付いた。

「ヤバい、忘れてた」

 ディスプレイに映し出された名前は、今この二人の話題の中心人物で迎えに来るはずの友だちを学園でずっと待ち続けていたのだ。

「もしもし……ああ、ごめん忘れてた」
「あ、うん、いやいいよ。 ああ、すまないな」
「それと、一つ報告があるんだが、忘れた原因の大半はこれかな?」

 秀はちらりと隣を歩く千香を見て、一度深呼吸をすると告げる。

「俺に彼女ができた」