すべては春の日の出会いから始まった。
 
 春の新学期が始まり、いよいよ受験や就職活動を迎える気配が漂ってくるなか、木下 秀はいつも放課後に決まって友達と一緒に遊んでいる。
 今日はバスケ部から借りてきたお古のボールをもって四人で楽しんでいると、次第に夕暮れが近づき、一人また一人と帰路につく友人たち、しかし彼はきまって一番最後まで残り、夕日と月明かりの混じる空間で、楽しそうにドリブルをしながら汗をかいていた。
 
 そんな彼に突然背後から声をかける存在がいた。

「先輩!」

 突然のことに驚き、手元が狂い今まで均一な音色を奏でていたボールは、彼の手元を離れて近くの草むらに音もなく離れていく。
 汗を首に巻いたタオルで拭いながら、声の主の方へ体の向きを変えると、そこには沈みかけた西日を浴びながらスポーツドリンクをこちらに差し出すような恰好をした女性が立っていた。

「えっと、誰?」

「私ですか?私は立花 千香って言います」
 
「で? その立花さんが何用ですか?」

「決まっているじゃないですか、コレ見たらわかりませんか?」

 彼女は少しこちらに近づいてから、手にもったスポーツドリンクをこちらに差し出してくれた。
「くれるの?」

「いらないなら私が飲んじゃいます」

「いや、ありがたく貰っておくよ。ありがとう」

「いえいえ、先輩が頑張っておりましたので」

「先輩ってことは君は何年生?」
 
「一個下ですよ」
 
 柔らかく微笑む彼女はとても魅力的でいて、自然と警戒心が薄れていくのがわかった。

「それで、俺になにか用か?」
 
「そうですよね、普通こんな状況になったら何かあるんじゃないか? って考えますよね」

「そうだな、下心無しでこんな事はしないし、わざわざ遅い時間まで学園に居残って俺に何を伝えたいのかな?」

「なんだと思いますか?」

 彼女は更に近づくと下から秀を見上げてくる。

「質問に質問で返すなよ。まあ、告白とかそんな類ではないのはわかるな、あまりにも雰囲気が無さすぎる」
 
「え――‼ 酷くないですか? もし告白だったらどうするんですか?」

「そうだな、今日一日考えて、明日優しく断るかな?」

 そう言い放つと、彼女はクスクスと笑い出し、彼にあげたドリンクを奪い取ると一気にそれを飲み干した。

「おい、それ俺の……」

「ぷはぁ、意外とキツイ……」

 涙目になる彼女を見て、なんだかどっと疲れが押し寄せてくるが、簡単には逃がしてもらえないだろう。

「頼む、手短に要件を言ってくれないか? これから、図書館で真面目に勉強している友達を迎えにいかないといけないから」

 辛そうな表情を更に大げさに作った彼女は、今度は真剣な表情になり、先輩に伝えたいことがあると告げる。
 
「先輩にお願いがあるんです」

「それは、俺じゃなきゃダメなのか?」

「はい、あなたでないとダメなのです」 

「で? その内容は?」

「私と付き合ってください」

「は?」

 今までの流れからは予想もできない内容が飛び出してきた。

「え? 聞こえませんでしたか? 私と付き合って欲しいと言いました」
 
「それって、その男女の交際って意味?」

「それ以外なにがあるんですか?」
 
「いや、だってそんな感じが一切しないからさ」

「さすが、木下先輩、女性からの告白には慣れていますね」
 
「それはどんな意味だ?」

「木下 秀 三年Aクラス、運動神経抜群で部活等には参加しておりませんが、その容姿と相まって、かなり女性に人気があるようですね」

「そんなことは無いよ、だって今まで彼女がいた経験すらないから」
 
「でも告白された回数は相当な数とお聞きしましたが?」

「そんなデマな情報どっから聞いたんだよ」
 
「そうですか? わりと有名ですよ、隣のクラスの子が先週告白して断られていますから」

「でも、こんな軽く言っていい内容じゃあないだろ。」
 
「そうですね、真剣な告白でしたら私だってもっと別なシチュエーションで行うと思います」

 その話を聞いている秀は呆れてきた。
 なぜ彼女はこんな状況を作り出しているのだろうか?

「本当の狙いはなんだ?」

「先輩、私と協力しませんか? 今までの態度で私は確信しました。 先輩好きな人がいますね?」

 何かに心臓がえぐり取られるような感覚が彼を襲い、今までの運動から落ち着きを取り戻した心臓が時間を巻き戻したかのように脈打ちだしたのだ。

「ど、どこでその情報を⁉」
 
「やっぱり、見ていればわかりますよ、いつも一緒にいる朝日先輩ですか?」

 その名前を聞いた瞬間に、少し冷たい風で冷えた身体が再び火照りだすのが感じられた。
 
「おい、なんで寧音のことを知っているんだ?」

「そりゃあ、必死に調べましたよ」
 
「なんであいつの事を調べる必要があるんだよ?」

「だって、私……実は」
 
 急に顔を赤らめて俯くと、両手を後ろにまわしながら黙ってしまった。
 今までの態度からは想像もできない変わり身の早さだった。
 
「まさか? おまえも寧音の事が好きなのか?」

「はぁ⁉ なんでそうなるんですか? 私が好きなのは、そのえっと……戸次先輩です」

「え? 戸次ってあの、戸次 雪道のこと?」

「はい……」
 
 耳まで真っ赤になった彼女は、その一言を振り絞ると再度俯いてしまった。

「えっと、それでなんで俺と付き合うって話になるの?」

「だって、あの人の隣にはいつも凄い美人な朝日先輩がいて、まるで二人は一緒にいるのが当たり前のように過ごしているじゃないですか?」

 モジモジと落ち着きのないような素振りで辺りを見渡しながら話し続ける。

「そこに、見ず知らずの私が突撃しても絶対勝ち目ないと思うんですよね。でも、私が調べたところによると、まだ二人は付き合っていません。そこで、先輩とお付き合いしたフリをして、戸次先輩に近づこうという作戦なのです!」

「おいおい、俺はダシに使われるってことなのかよ?」

「大丈夫です。 先輩の協力もします。私が戸次先輩とお付き合いできるように協力していただけたら、私も先輩と朝日先輩がお付き合いできるようにご協力いたします。これって WIN WIN の関係だと思うんですが、いかがでしょうか?」

「いや、俺がいつ寧音の事を好きだなんて言ったんだよ。」
 
「普段の行動を見ていれば気が付きますよ。先輩も歯痒いはずです。 あの二人の関係が現状のままでは先輩は一切手が出せないと自分で気が付いているんですよね? だったら、私たちがお互い協力しあって、自分の想いを成就できたら凄く幸せじゃないですか?」

 秀は少し考えてから、大きなため息をつくと。

「そんなに俺は行動に出ていたか?」

「はい、物凄く出ております」

「まいったな、普段は抑えているつもりなんだけど、どちらも大切な存在なんだ、今の関係を壊したくない。」

「おそらく、まだあの二人には気が付かれていないと思いますが、周りからみたらバレバレですからね。」

「え?それって他のやつにもバレているってことなのか?」

「むしろバレていないとお思いですか?」

「嘘だろ信じられない」
 
「証拠に、同学年からの女性からは一切告白されていませんよね? 先週はテニス部の後輩から告白されてたとお聞きしております」

「頼む、一度でいいからその情報流している奴を俺の前に連れてこい」
 
「だから、お互いの願いがかなう良い条件だと思うんですけどね? どうですか?」

「立花さん、あなた性格悪いって言われない?」
  
「そんな酷いことを言ったのは先輩が初めてです」
  
 彼女はそっと右手を出して握手を促すと、彼も渋々といった表情で握手を交わした。

「では、今日からよろしくお願いしますね秀先輩」

「条件がある。 もし今の関係が壊れそうになったら遠慮なく協力体制は解除だ、いいな?」

「はい、むしろいつまでも付き合っている設定では、戸次先輩とは付き合えませんから、程よいところで別れる作戦です」

「それってどっちらがフラれるの?」

「もちろん、私が先輩に酷いフラれ方をして傷心しているところを戸次先輩が慰めてくれて、二人は急接近っている設定です」
 
「やっぱり、この話は無かったことに」

「嘘ですから、自然消滅したってことにしませんか? それで友達からリセットって感じで、理想では、私のことを略奪してくれると嬉しいのですが」

「あいつはそんな度胸ないよ」

「ですよね。 だったら期間は限られていますが、全力で頑張りましょう!」

「わかったよ、千香に負けた」

「さっそく名前で呼んでくれましたね?」

「だって、不自然だろ?」

 二人は手を取り合ったまま笑い出すと、すっかり暗くなった道を駅まで彼女を送るために、歩き出した。
 
「ところで一点気になることがあるんだが」

「なんですか?」

「どうして雪の事を好きになったんだ?」
 
「そりゃあもちろん、イケメンだからです」

 全力で赤面しながら答える彼女を見て、単純な回答に思わず吹き出して笑ってしまったが、疑問も残る。

「あいつがイケメンだってこと知っているの一部しかいないぞ、いつもあの目障りな前髪が邪魔して素顔がほとんどみれないからな」

「あれでいいんです。 もしあの前髪が無くなったらライバルが増えすぎてしまいますからね」

「で? 顔が好みなのは理解できたが、切っ掛けについてはまだ聞いてないけど?」

「そんなの凄く単純なんですけどね」

 そう言いながら、これまで下を向いていた彼女は薄暗い星空を見上げると、雪道との出会いについて語りだす。
 進級する直前のテストで苦手な世界史の追試の勉強をしようと思い、図書室に友達数人で訪れると、そこには見慣れない上級生が一人で静かに勉強しており、彼女たちは彼から逃げるかのように奥の席で勉強を始めた。