荒田咲は何も言わずに鼻をすすった。返事しにくいに決まってるんだから当然だ。僕は彼女に顔を近づけて、差し込む光のあたたかさを実感する。やっぱりこの人に差し込んでるようだ。当たり前だ。変えられない現実に嘆く人を、せめて世界は照らすべきだ。生きていればこんなこともある、と、世界は彼女を、あたたかく包み込む存在であるべきだ。


卒業おめでとう、荒田咲。





fin





ジー、と暖房の鈍い音がする。ちょっと他のことに集中してしまえばすぐに意識から出ていくほどのわずかな音だけれど、耳を澄ませばいつもそこにあって、スイッチが切られたときは教室に静寂が広がって気づく。あ、暖房の音がしていたのだ、と。


「高須賀、ちょっと話があるんだけど」


無駄、と頭の中で一度叩きつけてみるけれど、こう言われる瞬間はやはり慣れなくて恥ずかしい。私の目を見る男の子は緊張を顔に浮かべているけれど、まっすぐな、決意したような目をしている。

とても魅力的だ、と思う。しかし、話がどの程度読めているかに関わらずこの場合、え、あ、うん何?と、何も知らない顔をしてとぼけなければならないというのは、なかなか苦しいルールである。


男の子について行く途中、渡り廊下を歩きながらぼんやり考える。
比較的暖かくて、この地域にしては珍しく天気もよくて、深い青色の空と雪のコントラストが綺麗で、みんなの機嫌もいい。こんな日がずっと続けばいいのに。この景色が、世界中のどこでも見られたらいいのに。


「俺、高須賀のことずっと可愛いと思ってて」


彼の熱視線は確かに嬉しかったはずなのに、急激に冷めていく。私は年齢を重ねて、だんだんと自分が有利な位置に移動していくことを実感していた。どこがターニングポイントだったんだろう、幼いころはあんなに排斥されたのに。


「私の……顔?」


今の声は少し低かったかな、と思う。声が低いと言えば、クラスメイトの荒田咲は、容姿こそここら一帯じゃ誰にも負けない美しさだけれど、少しくぐもった低い声の持ち主だった。きっとそんなこと気にならない男の子ばかりだとは思うけれど、私は時々その違和感を感じていた。


「いやっ、顔っていうか、顔だけじゃないけど、顔も……そうだな、顔も可愛いと思う」