キサさんは散歩と言ったけれど僕たちは車の中にいた。
運転手は先ほどの女性だ。須藤と名乗った女性は開口一番、謝罪の言葉を述べる。
「すみませんでした。家庭の事情を鑑みずに軽はずみな行動を」
バックミラー越しに申し訳ない表情を見せる。
車はキサさんの指示で適当に町の中を走っている。助手席に座っているキサさんはさっきと打って変わって不機嫌だった。
「許す必要はないよ。勝手な行動して、私の大切な人を傷つけて、全く許せないよ」
「申し訳ございません」
「もう一度言うけど、須藤さんは気に入らないのかもしれないけれど、これは私が選んだことなの」
「はい」
先ほどからこの調子である。キサさんは相当怒っているそうで、何度言っても怒りが収まらない様子だった。
「ここで止めて」
「はい」
須藤さんは言われるがまま路肩に車を止める。そこには丁度、ショッピングモール反対の看板が掲げられていた。相変わらず景観を損ねる看板は、白地に黒い文字と地味ないでたちで自分の主張を押し付け続けている。
「ついでにトランク空けて」
「はい」
キサさんは何も言わずに車をおりてトランクから何かを取り出すと、そのまま作業に没頭してしまう。その姿は僕が絵を描いている時と似ているように思えた。
須藤さんは運転席から我が子でも見るように目を細めてキサさんを眺めている。
「キサさんも怒ることあるんですね」
「私も驚いています。彼女があそこまで感情的になるのは初めてでしたから」
驚いているといいながらも、どこかほっとしたような表情を浮かべてキサさんを眺めている。
黙々と作業をするキサさんは、まるで僕がいつもしているような内に溜まった感情を吐き出しているようにも見える。
「あんなキサさん初めて見ました」
「それでしたら私が来た意味もあるのでしょうか」
「それは肯定出来かねます」
「すみません」
深々と頭を下げて詫びる。言葉ではそう言ったけれど、僕の怒りはキサさんに殆ど吸われてしまったようなもので、燃えカス程度しか残っていなかった。ただし、絵を描かなければという感情は残ったままであり、右手は鉛筆を走らせたくて疼いている。
「二人のご関係は?」
自分を誤魔化すように質問をする。
「私は彼女の支援者です。現在の資金提供は私が殆どを行なっております」
爆薬がどれほどの値段なのか知る由もないが、安くないことくらいはわかる。
それに簡単に手に入るわけがない。
「苦労するのでは?」
「私は良い作品を作るためならばどんなことでもしますよ」
並々ならない覚悟を言葉から感じるだけじゃない。微かに警戒心も感じた。僕はまだ信用されたというわけではないらしい。
「貴方が彼女を守ってくださったのは本当に感謝をしています。ただ、彼女の近くに男性が居ることを私は懸念しているのです」
「そのための手切れ金ですか」
「その気持ちは今も変わりませんよ。彼女はあなたに尋常ではない感情を抱いています。それも全てを犠牲にしても厭わない勢いです。支援者の立場としてそれは看過できません。彼女が作品を作らないのであれば、作りたいと思える環境を作るのも私たちの役目だと私は考えておりますので」
「そうですよね」
この人の言っていることはもっともだ。こんな片田舎の高校生一人にどうしてここまでするのだろう。
「貴方は彼女とどういった関係なのですか?」
答えによっては強硬な手段も辞さないといった言い方だった。バックミラーに映る瞳は僅かな挙動も見逃さないように僕を捉えて離さない。下手な嘘は命取りになる。しかし、本当の事をすべて話そうと思えるほど、僕はまだこの人を信用していない。
「ただの協力者です」
「ならば特別な感情はないと?」
特別という言葉に恋愛の意味も含まれていることはすぐにわかる。この人は根本的に僕たちの関係を勘違いしている。
「あなたの考えている感情はありません」
突き刺すような沈黙が車内を包む。
「僕はあの人に憧れているだけですから」
自分に言い聞かせる。
キサさんと居る時に感じるあのよくわからない感情は憧れなのだと。
「そうですか」
それ以上、須藤さんは何も聞いてこなかった。その代わりに言い聞かせるように呟く。
「彼女がいつまでもここに居ることはありませんよ」
「……わかっていますよ。そんなこと」
でも、考えないように先延ばしにしていた。
すべてが終わったあと、僕はこの町を飛び出してどうするのだろう。どんなに頑張ろうが若い僕にとってその努力は背伸びでしかなくて、キサさんについていっても困惑させて、足枷になってしまうだろう。どうしてこんな僕の為にキサさんは色々としてくれているのだろうか。彼女にだって目的があるはずだ。
この町を壊したい目的がないとおかしい。
車の外で一人盲目的に作業をするキサさんを眺める。
「準備完了。ここからは瞬き厳禁ね」
看板の周りに何やらを仕掛け終えたキサさんは上機嫌になって戻ってくる。
「あんなつまらない看板は壊れてしまえ」
手にしていたスマートフォンをタッチする。
静寂に包まれていた深夜の町にいくつもの破裂音が響いた。
一つ一つが響くたびに看板は様々な色を投げつけられるように塗られ、それらは計算しつくされたように文字を隠すことなく極彩色の看板へと変貌していく。
芸術が生まれる瞬間がそこにあった。治まりかけていた衝動が呼び起こされ、右手が見えない鉛筆を握る。
色の照射が終わった後も僕は目の前の芸術にくぎ付けにされて言葉が出てこない。
「うん。わるくない。帰ろうか」
改めて思い知る。この人はこんなことを平気でやってのけることが可能なんだ。それなのにどうしてこんな辺鄙な田舎町を壊そうとするのだろう。
無邪気な笑顔の裏に何を隠しているのですか?
色々なことを教えてもらって少しだけキサさんの事をわかったつもりでいるが、僕はまだその事を聞けていない。
運転手は先ほどの女性だ。須藤と名乗った女性は開口一番、謝罪の言葉を述べる。
「すみませんでした。家庭の事情を鑑みずに軽はずみな行動を」
バックミラー越しに申し訳ない表情を見せる。
車はキサさんの指示で適当に町の中を走っている。助手席に座っているキサさんはさっきと打って変わって不機嫌だった。
「許す必要はないよ。勝手な行動して、私の大切な人を傷つけて、全く許せないよ」
「申し訳ございません」
「もう一度言うけど、須藤さんは気に入らないのかもしれないけれど、これは私が選んだことなの」
「はい」
先ほどからこの調子である。キサさんは相当怒っているそうで、何度言っても怒りが収まらない様子だった。
「ここで止めて」
「はい」
須藤さんは言われるがまま路肩に車を止める。そこには丁度、ショッピングモール反対の看板が掲げられていた。相変わらず景観を損ねる看板は、白地に黒い文字と地味ないでたちで自分の主張を押し付け続けている。
「ついでにトランク空けて」
「はい」
キサさんは何も言わずに車をおりてトランクから何かを取り出すと、そのまま作業に没頭してしまう。その姿は僕が絵を描いている時と似ているように思えた。
須藤さんは運転席から我が子でも見るように目を細めてキサさんを眺めている。
「キサさんも怒ることあるんですね」
「私も驚いています。彼女があそこまで感情的になるのは初めてでしたから」
驚いているといいながらも、どこかほっとしたような表情を浮かべてキサさんを眺めている。
黙々と作業をするキサさんは、まるで僕がいつもしているような内に溜まった感情を吐き出しているようにも見える。
「あんなキサさん初めて見ました」
「それでしたら私が来た意味もあるのでしょうか」
「それは肯定出来かねます」
「すみません」
深々と頭を下げて詫びる。言葉ではそう言ったけれど、僕の怒りはキサさんに殆ど吸われてしまったようなもので、燃えカス程度しか残っていなかった。ただし、絵を描かなければという感情は残ったままであり、右手は鉛筆を走らせたくて疼いている。
「二人のご関係は?」
自分を誤魔化すように質問をする。
「私は彼女の支援者です。現在の資金提供は私が殆どを行なっております」
爆薬がどれほどの値段なのか知る由もないが、安くないことくらいはわかる。
それに簡単に手に入るわけがない。
「苦労するのでは?」
「私は良い作品を作るためならばどんなことでもしますよ」
並々ならない覚悟を言葉から感じるだけじゃない。微かに警戒心も感じた。僕はまだ信用されたというわけではないらしい。
「貴方が彼女を守ってくださったのは本当に感謝をしています。ただ、彼女の近くに男性が居ることを私は懸念しているのです」
「そのための手切れ金ですか」
「その気持ちは今も変わりませんよ。彼女はあなたに尋常ではない感情を抱いています。それも全てを犠牲にしても厭わない勢いです。支援者の立場としてそれは看過できません。彼女が作品を作らないのであれば、作りたいと思える環境を作るのも私たちの役目だと私は考えておりますので」
「そうですよね」
この人の言っていることはもっともだ。こんな片田舎の高校生一人にどうしてここまでするのだろう。
「貴方は彼女とどういった関係なのですか?」
答えによっては強硬な手段も辞さないといった言い方だった。バックミラーに映る瞳は僅かな挙動も見逃さないように僕を捉えて離さない。下手な嘘は命取りになる。しかし、本当の事をすべて話そうと思えるほど、僕はまだこの人を信用していない。
「ただの協力者です」
「ならば特別な感情はないと?」
特別という言葉に恋愛の意味も含まれていることはすぐにわかる。この人は根本的に僕たちの関係を勘違いしている。
「あなたの考えている感情はありません」
突き刺すような沈黙が車内を包む。
「僕はあの人に憧れているだけですから」
自分に言い聞かせる。
キサさんと居る時に感じるあのよくわからない感情は憧れなのだと。
「そうですか」
それ以上、須藤さんは何も聞いてこなかった。その代わりに言い聞かせるように呟く。
「彼女がいつまでもここに居ることはありませんよ」
「……わかっていますよ。そんなこと」
でも、考えないように先延ばしにしていた。
すべてが終わったあと、僕はこの町を飛び出してどうするのだろう。どんなに頑張ろうが若い僕にとってその努力は背伸びでしかなくて、キサさんについていっても困惑させて、足枷になってしまうだろう。どうしてこんな僕の為にキサさんは色々としてくれているのだろうか。彼女にだって目的があるはずだ。
この町を壊したい目的がないとおかしい。
車の外で一人盲目的に作業をするキサさんを眺める。
「準備完了。ここからは瞬き厳禁ね」
看板の周りに何やらを仕掛け終えたキサさんは上機嫌になって戻ってくる。
「あんなつまらない看板は壊れてしまえ」
手にしていたスマートフォンをタッチする。
静寂に包まれていた深夜の町にいくつもの破裂音が響いた。
一つ一つが響くたびに看板は様々な色を投げつけられるように塗られ、それらは計算しつくされたように文字を隠すことなく極彩色の看板へと変貌していく。
芸術が生まれる瞬間がそこにあった。治まりかけていた衝動が呼び起こされ、右手が見えない鉛筆を握る。
色の照射が終わった後も僕は目の前の芸術にくぎ付けにされて言葉が出てこない。
「うん。わるくない。帰ろうか」
改めて思い知る。この人はこんなことを平気でやってのけることが可能なんだ。それなのにどうしてこんな辺鄙な田舎町を壊そうとするのだろう。
無邪気な笑顔の裏に何を隠しているのですか?
色々なことを教えてもらって少しだけキサさんの事をわかったつもりでいるが、僕はまだその事を聞けていない。