午後の授業も終わり、いつもならすぐに帰るけれど昼休みに唯織から、放課後に用があるから待っていて欲しいと言われたので待つことにする。正直、あまり良い予感はしない。
「おまたせ。遅くなってごめん」
アトリエに行くのは人目につきにくい真夜中にするべきかと考えているとようやく唯織が教室に来る。
「生徒会おつかれ。それで僕に用があるんでしょ」
「うん……ちょっと相談があってさ。生徒会室に来てくれない?」
唯織はぎこちない曖昧な表情を作る。
「わかった」
きっと予感は的中する。大方の様相は付いていた。
唯織は生徒会の副会長なので色々と行事になると忙しくなる。そんな彼女がこの時期に僕に声を掛けてきたということはあれしかない。
生徒会室に行くとホワイトボードに様々な単語が並べられ『彫刻』『銅像』『巨大絵画』『壁画』『貼り絵』『切り絵』など、多岐にわたる。さらにコの字型に並べられた長机の上には数枚の写真が並べられていた。
さっきまで議論をしていたのが伺える。
「予餞会の事なんだけどさ」
やっぱりそうか。思わず小さいため息が出る。
この高校では毎年、卒業する三年に向けて作品を送るという行事がある。高校を卒業すると町を出て行く人が多いからだ。ほとんどの生徒が大学進学である昨今、交通の便も良くないここから大学に通う意味ははっきりいってない。大学進学を希望する生徒は町を出ていきそれっきり帰ってこない。
農業だって盛んにおこなわれているわけでもないこの町では、たいした就職先がないからだ。
そこで最後の思い出作りと称して予餞会が開かれている。
ただ、普通の予餞会は学期末なのだが、これもこの町特有で学期末に催すとすでに町を出てしまった人は参加が難しくなるので、毎年冬になる前の秋頃、今の時期に予餞会を行なう。
「今年は校舎の高さと同じくらいの貼り絵を制作することで決まったんだけど……」
唯織は間を開けて、こちらの様子を伺う。
「ごめん。無理だよ」
唯織の言葉を最後まで聞く必要はない。切り絵の下絵を描いてほしいということだろうが、僕が関われば面倒なことになるのは目に見えている。最悪な場合、予餞会を台無しにしかねない。
「少しは考えてよ」
「僕が描く絵がどんなか忘れてる?」
僕が描くのはこの町が破壊されている絵だけだ。
それ以外は描く気がない。
「でも昔は」
「絵なんて誰も描ける。僕である必要はないと思うよ」
「皆もそう言ってたけど、私は朱鳥しかいないと思ってる」
唯織は確信をもって断言する。
皆が反対するのもわかる。いまや予餞会は学校だけの行事ではなく町の行事となっている。そんな大事な行事に僕が表立って出るわけにはいかない。
「思うのは勝手だけど、実際出来ないから」
事実、三階建ての校舎と同じ大きさの絵の下絵なんて想像ができない。
「結論は今じゃなくて良いから」
「だから」
「ちゃんと」
唯織は声を張り上げてじっと僕を見つめる。
「ちゃんと考えてから結論を出して」
「……わかった」
結論なんて初めから決まっているけれど、今の唯織は断る選択肢をさせてくれそうにない。昼に僕を呼び出した時からそのつもりだったのだろう。
面倒な事になった。僕には他にやらなければならない事があるというのに。
「とりあえず、資料は用意したから」
唯織は机に並べられた写真をかき集めて僕に渡す。
「過去十年分。予餞会で制作した作品の写真」
「参考にするよ」
アイディアを考える時、他人の作品を見すぎるのはあまり良くない。見すぎるとその作品に寄せてしまうからだ。それに僕は初めから結論を決めている。こんなことをしても何も変わらない。
「それじゃあ、片付けて帰ろうか」
唯織は残念な表情を欠片も見せずホワイトボードの文字を消していく。本当はやり場のない不満で一杯なのではないだろうか。その不満は僕が首を縦に振ればたちまち解消することだろう。けれど、僕は二度も同じ過ちを犯したくない。
片付けを終えて生徒会室を出る。
唯織は生徒会室の鍵を返しに行くので駐輪場で落ち合うことにした。
昇降口の手前まで来て足を止める。昇降口には館山が待ち伏せしていた。僕じゃない他の誰かの可能性を考えたかったが、僕の下駄箱の前なのでその望みは薄い。今日は会わないと思っていたのに。
「おせーな。何してたんだよ」
苛立ちを露にしてこちらを威嚇する。
「約束してたっけ?」
「別にしてねえけど」
相変わらず理不尽だ。館山の表情にはいつもよりも疲れが滲み出ているためか、目つきが余計にきつくなっている。
「用があるんじゃなかったの?」
「お前、今朝の件と関係あんのか?」
前置きなしの質問に心臓が跳ね上がる。
「無いけど……どうしてそんな質問するの?」
「近くでお前に似てる奴を見たって先輩が言っててな」
館山は悪い噂の絶えない先輩とよくつるんでいる。かなり注意していたつもりだったのに見られていたのか。
「確かに近くに行ったけどそれは大きな音がしたから様子を見に行っただけだよ」
目を逸らさないようにすれば大丈夫。自分に何度も言い聞かせる。
心臓が痛いほどに弾む。
あそこから出て行く場面を見られたわけではないのだからこの嘘がばれることはない。
「だよな。お前があんなこと出来るわけないよな」
「そうだよ。風車の爆破なんて僕には」
きつい視線が鋭利な刃物のように鋭くなる。
「どうしたの?」
「別に……他に誰か見てたりしないのか?」
「誰も見てないよ」
なんだか尋問でも受けているような気分になる。
「誰がやったのかわかったらすぐに伝えろ」
「うん。」
「先輩たちがぶっ殺してやるって息巻いてたからな」
その言葉を聞いて背筋が凍る。
「やっぱりあの場所って」
「先輩たちのお気に入りだよ。それを誰かが壊しやがった」
でもあの所にそれらしき痕跡はなかった気がする。たむろしていたのならゴミくらい落ちていそうなものだけれど。
「まあいいや。わかったら伝えろとは言ったが、無理に首を突っ込むなよ」
こんな危ないことに首を突っ込みたくはなかったが、僕はこの件に関して当事者だ。用心した方がいいだろう。それを早くキサさんにも伝えないと。
それにしてもどうして館山は僕にあんなことを聞いたのだろう。あやしいと思うなら黙って後をつけるなりすればいいのに。
「ん? あれは館山? またなんかされたの?」
「なにもされてないよ。ちょっと話をしただけ」
「なんであいつは朱鳥ばっかり構うんだろう」
それはきっと僕が館山を傷つけたからだ。館山が今のようになったのは僕が起因していることを唯織は知らない。
館山も幼い頃はあのアトリエで開かれていた絵画教室に通っていた。
館山があそこに来なくなったのは僕の絵がコンクールで入賞してからすぐの事だ。
僕の絵を見て館山は絵を描くことを辞めてしまった。
全方位に喧嘩を売っているような背中に僕は心の中で謝ることしかできなていない。
『お前の所為で絵が嫌になった』
言葉が頭の中でこだまする言葉を振り切るように、大きく息を吐いた。
「おまたせ。遅くなってごめん」
アトリエに行くのは人目につきにくい真夜中にするべきかと考えているとようやく唯織が教室に来る。
「生徒会おつかれ。それで僕に用があるんでしょ」
「うん……ちょっと相談があってさ。生徒会室に来てくれない?」
唯織はぎこちない曖昧な表情を作る。
「わかった」
きっと予感は的中する。大方の様相は付いていた。
唯織は生徒会の副会長なので色々と行事になると忙しくなる。そんな彼女がこの時期に僕に声を掛けてきたということはあれしかない。
生徒会室に行くとホワイトボードに様々な単語が並べられ『彫刻』『銅像』『巨大絵画』『壁画』『貼り絵』『切り絵』など、多岐にわたる。さらにコの字型に並べられた長机の上には数枚の写真が並べられていた。
さっきまで議論をしていたのが伺える。
「予餞会の事なんだけどさ」
やっぱりそうか。思わず小さいため息が出る。
この高校では毎年、卒業する三年に向けて作品を送るという行事がある。高校を卒業すると町を出て行く人が多いからだ。ほとんどの生徒が大学進学である昨今、交通の便も良くないここから大学に通う意味ははっきりいってない。大学進学を希望する生徒は町を出ていきそれっきり帰ってこない。
農業だって盛んにおこなわれているわけでもないこの町では、たいした就職先がないからだ。
そこで最後の思い出作りと称して予餞会が開かれている。
ただ、普通の予餞会は学期末なのだが、これもこの町特有で学期末に催すとすでに町を出てしまった人は参加が難しくなるので、毎年冬になる前の秋頃、今の時期に予餞会を行なう。
「今年は校舎の高さと同じくらいの貼り絵を制作することで決まったんだけど……」
唯織は間を開けて、こちらの様子を伺う。
「ごめん。無理だよ」
唯織の言葉を最後まで聞く必要はない。切り絵の下絵を描いてほしいということだろうが、僕が関われば面倒なことになるのは目に見えている。最悪な場合、予餞会を台無しにしかねない。
「少しは考えてよ」
「僕が描く絵がどんなか忘れてる?」
僕が描くのはこの町が破壊されている絵だけだ。
それ以外は描く気がない。
「でも昔は」
「絵なんて誰も描ける。僕である必要はないと思うよ」
「皆もそう言ってたけど、私は朱鳥しかいないと思ってる」
唯織は確信をもって断言する。
皆が反対するのもわかる。いまや予餞会は学校だけの行事ではなく町の行事となっている。そんな大事な行事に僕が表立って出るわけにはいかない。
「思うのは勝手だけど、実際出来ないから」
事実、三階建ての校舎と同じ大きさの絵の下絵なんて想像ができない。
「結論は今じゃなくて良いから」
「だから」
「ちゃんと」
唯織は声を張り上げてじっと僕を見つめる。
「ちゃんと考えてから結論を出して」
「……わかった」
結論なんて初めから決まっているけれど、今の唯織は断る選択肢をさせてくれそうにない。昼に僕を呼び出した時からそのつもりだったのだろう。
面倒な事になった。僕には他にやらなければならない事があるというのに。
「とりあえず、資料は用意したから」
唯織は机に並べられた写真をかき集めて僕に渡す。
「過去十年分。予餞会で制作した作品の写真」
「参考にするよ」
アイディアを考える時、他人の作品を見すぎるのはあまり良くない。見すぎるとその作品に寄せてしまうからだ。それに僕は初めから結論を決めている。こんなことをしても何も変わらない。
「それじゃあ、片付けて帰ろうか」
唯織は残念な表情を欠片も見せずホワイトボードの文字を消していく。本当はやり場のない不満で一杯なのではないだろうか。その不満は僕が首を縦に振ればたちまち解消することだろう。けれど、僕は二度も同じ過ちを犯したくない。
片付けを終えて生徒会室を出る。
唯織は生徒会室の鍵を返しに行くので駐輪場で落ち合うことにした。
昇降口の手前まで来て足を止める。昇降口には館山が待ち伏せしていた。僕じゃない他の誰かの可能性を考えたかったが、僕の下駄箱の前なのでその望みは薄い。今日は会わないと思っていたのに。
「おせーな。何してたんだよ」
苛立ちを露にしてこちらを威嚇する。
「約束してたっけ?」
「別にしてねえけど」
相変わらず理不尽だ。館山の表情にはいつもよりも疲れが滲み出ているためか、目つきが余計にきつくなっている。
「用があるんじゃなかったの?」
「お前、今朝の件と関係あんのか?」
前置きなしの質問に心臓が跳ね上がる。
「無いけど……どうしてそんな質問するの?」
「近くでお前に似てる奴を見たって先輩が言っててな」
館山は悪い噂の絶えない先輩とよくつるんでいる。かなり注意していたつもりだったのに見られていたのか。
「確かに近くに行ったけどそれは大きな音がしたから様子を見に行っただけだよ」
目を逸らさないようにすれば大丈夫。自分に何度も言い聞かせる。
心臓が痛いほどに弾む。
あそこから出て行く場面を見られたわけではないのだからこの嘘がばれることはない。
「だよな。お前があんなこと出来るわけないよな」
「そうだよ。風車の爆破なんて僕には」
きつい視線が鋭利な刃物のように鋭くなる。
「どうしたの?」
「別に……他に誰か見てたりしないのか?」
「誰も見てないよ」
なんだか尋問でも受けているような気分になる。
「誰がやったのかわかったらすぐに伝えろ」
「うん。」
「先輩たちがぶっ殺してやるって息巻いてたからな」
その言葉を聞いて背筋が凍る。
「やっぱりあの場所って」
「先輩たちのお気に入りだよ。それを誰かが壊しやがった」
でもあの所にそれらしき痕跡はなかった気がする。たむろしていたのならゴミくらい落ちていそうなものだけれど。
「まあいいや。わかったら伝えろとは言ったが、無理に首を突っ込むなよ」
こんな危ないことに首を突っ込みたくはなかったが、僕はこの件に関して当事者だ。用心した方がいいだろう。それを早くキサさんにも伝えないと。
それにしてもどうして館山は僕にあんなことを聞いたのだろう。あやしいと思うなら黙って後をつけるなりすればいいのに。
「ん? あれは館山? またなんかされたの?」
「なにもされてないよ。ちょっと話をしただけ」
「なんであいつは朱鳥ばっかり構うんだろう」
それはきっと僕が館山を傷つけたからだ。館山が今のようになったのは僕が起因していることを唯織は知らない。
館山も幼い頃はあのアトリエで開かれていた絵画教室に通っていた。
館山があそこに来なくなったのは僕の絵がコンクールで入賞してからすぐの事だ。
僕の絵を見て館山は絵を描くことを辞めてしまった。
全方位に喧嘩を売っているような背中に僕は心の中で謝ることしかできなていない。
『お前の所為で絵が嫌になった』
言葉が頭の中でこだまする言葉を振り切るように、大きく息を吐いた。