数日後、美久が図書室へ行くと例の棚に先客がいた。
「お、綾織さん」
 振り返って名前を呼んでくれたのは、快。すぐに気付いてくれたことに嬉しくなって、美久も「こんにちは」と言った。
 しかし快の笑顔はすぐに変わった。目を丸くする。
「髪、切ったのか?」
 美久はどきっとした。こんな顔をされるとは思わなかったのだ。
 おまけにやっと気付いた。この髪型にしてから快に会うのは初めてであることに。
「あ、う、うん……に、……日曜日に……」
 似合わないかな、と言ってしまうところだった。けれどそれは飲み込む。
 自分から似合わない、なんて言ってしまうのは良くないことだ。
 なので『日曜日に』という言葉に変えておく。
 美久の言葉を聞いて、快は丸くした目をまた変えた。満面の笑みになる。
「すげぇいいじゃん!」
「えっ……」
 これほど褒めてもらえるとは思わなかったので、えっ、などと言ってしまった。今度、眼鏡の奥の目を丸くしたのは美久のほうだっただろう。
「前より軽やかな感じがして、すごくいいよ」
 おまけに具体的にも褒めてもらえて、今度は顔が熱くなった。褒めてもらえただけでも嬉しいのに、こんな、表情全体で『すごくいい』と思っている、と伝えてもらえたら。
「似合ってるぜ」
 ふっと目元を緩めて言われて、美久の頬はもっと熱くなってしまう。
「あ、ありがとう」
 やっとお礼を言った。
 けれど、ちょっとだけ、期待していたのだ。
 別に今日とは思っていなかったけれど、もし図書室か、それともほかのどこかで快に会うことがあったなら。

 この髪型、どう思ってもらえるかな。

 そんな期待。
 実際に快の顔を見てしまえばその嬉しさから、快から言われるまでその期待なんてものは頭から飛んでいただけで。
 友達に褒められたのも嬉しかった。とても嬉しかった。
 でも快に褒められたのはなんだか違う、と美久は感じる。
 なんというか、胸の奥を羽根ペンかなにかでくすぐられているような、そんな感覚が同時についてくる。
 それは嫌な感覚ではなくて。
 少しくすぐったいような気もするけれど、とてもやわらかであたたかな感覚だった。
「俺も髪、切ろうかなぁ。ちょっと伸びてきたかも」
 ふわっとした茶色の髪は、確かにちょっと長めかもしれなかった。
 美久はその言葉を受けて何気なく言った。
「前は短かったの?」
 あ、今度は普通に言えた。自分の声音にほっとする。
 快はちょっと笑った。けれど何故か、困ったように。
「ああ。一年ちょっと前は刈り込んでたんだぜ」
 それは随分意外なことだった。それは今の快よりずっと活発そうに見えただろうに。
 がらっと髪型を変えてしまったということだ。どうしてだろう。
 美久は「なんで?」と聞こうかと一瞬思った。けれど呑み込んでしまう。
 なんとなく、快の笑顔が困ったようだったのが気にかかったのだ。
 もしかしたら、聞かれたくないことなのでは。
 それが心配になってしまった。
 正解だったのかそうでなかったのかはわからない。快はそのまま自分で続けたので。
「まぁイメチェンかな。綾織さんもそうなの?」
 かわされたような、濁されたような。
 美久はちょっと戸惑った。
 でも言いたくないのなら構わないだろう。美久は単に「うん。友達に勧められて……」と答えた。
 そのまま話していても良かったけれど、ここは本棚のど真ん中である。立ち話もなんだ。
 なので一旦話は置いておいて、本に向き合うことにした。
「三巻を借りようと思ってさ」
 快は例のファンタジー小説を手にしていた。二巻まで読んだと言っていたので、その続きということだ。
「そうなんだね。私はあのとき買った一巻を読んじゃったから、五巻を借りようと思って」
 あのとき買った文庫本の一巻はすぐに読み終わってしまった。一回読んで展開がわかっていたのでするっと読めてしまったのだ。
 けれど一回読んだだけではわからなかったことがわかってきた。
 ここは複線だったのだとか、このセリフは本当はこういう意味があったとか。
 そういうことに気付けたのだから、やはり買ってよかったと思った美久だった。
「あ、でも五巻は今、ないみたいだな」
「あれ、そうなの? ……ほんとだ」
 快に近付いて、棚を見ると確かにない。四巻の隣には六巻がある。五巻は抜けていた。
 誰かが借りているのだろう。今日は残念だが借りられなさそうである。
「仕方ないね。次にするよ」
「そうだな。代わりにほかのを見る?」
「うん、ないならほかのいいのを探してみようかな」
 快はもう三巻を借りることに決めてしまったらしい。
 そのあとは美久が本を探すのに付き合ってくれた。
 図書室では騒いではいけないので大声では話さなかったけれど、小さな声で話しつつ本を見ていく。
「へぇ、文芸部なんだ」
 今更ながら、お互いのことも少しずつ話していった。
 美久が文芸部に所属していると話すと、快は「たくさん本が読めて楽しそうだ」と言ってくれた。
「久保田くんは? なにか部活とかやってるの?」
 これも何気なく美久は言ったのだけど。
 返ってきたのはさっきと同じ、ちょっと困ったような笑みだった。
 なんとなくわかった。
 これはあまり話したくないとか触れられたくないとか……そういう話題のときの顔なのだ。多分。
 でも快が言ったのは普通のことだった。
「バスケ部だよ。マネージャー」
 バスケ部もマネージャーも、ごく普通の所属ではないか。快がどうしてあの微妙な顔と反応をするのか、美久にはわからなかった。なにか事情があるのだろうけれど。
「前は選手だったんだけどね」
 ぽつっと言ったこと。
 それがきっと、『事情』のひとかけら、だったのだろう。
 そのひとかけらは美久に伝えてきた。
 今、快がバスケ部のマネージャーとして過ごしているのは、あまり楽しくないことなのだろうと。
 そんなこと、軽率に指摘も話題にもできない。
 そんなに親しいわけではないのだから。なので曖昧な返事をするしかなかった。
「そうなんだね」
 単なる相槌になってしまったけれど、快は突っ込んで聞かれなかったことに、むしろほっとしたようだった。
「まぁバスケは好きだからさ。綾織さんは部活、何曜日にあるの?」
 そのまま話題は美久のことに移っていった。美久はそれに答えて、快がまた聞いてくれて、そして……と話は続いていく。
 話しながら、美久はもうひとつのことに気付いた。
 合同体育のときのことだ。
 快は最初、コートに入って華麗なプレイを見せていた。
 けれどすぐにチェンジしてしまったのだ。あれだけのプレイだったのに。
 それも事情が絡んでいることは、どうやら間違いなさそうであった。
 でもそれならバスケができないとか、できなくなったとか、そういうわけではないだろうに。
 謎は深まってしまった。
 やはり今、聞くことではなかったけれど。
 あちこち見て回って、美久は初めて見つけた作家の本を借りることに決めた。国語の授業で一本だけ短編を読む機会があって、それがおもしろかったので一冊読んでみることにしたのだ。
 快は先程の三巻を手にしていたので、カウンターでお互い手続きをして借りた。
 そろそろ帰ろうかと思う。だいぶ長々過ごしてしまった。下校時間も近付きそうだ。
 今日は楽しかった、と美久は思う。
 新しい本を見つけられたのも、快に会えたのも。
 一番は、髪型を変えたのを褒めてもらえたこと、だけど。
 すごく嬉しかった。
 男の子に容姿を褒められたことなど、美久は初めてだったのだ。
「そろそろ帰る?」
 快に言われたときはちょっと惜しくなってしまうくらいだった。
「そうだね、下校時間になりそうだし帰ろうかな」
 でもまた会えるのだろう。図書室に来たときいつも会えるわけでないのは残念だけど……。
 美久の思考を読んだように、快がちょっと唐突なことを言った。
「もし良ければ、図書室でまた会わないか?」
「……え?」
 美久はきょとんとしてしまう。
 また会わないか、とは。

 待ち合わせ、とか?

 思ってどきりとした美久であったけれど、それはまだ早かった。
「もし良ければ、だけどさ。週に一回とか……」
 快はどこか決まりの悪そうな顔をしていた。その表情の理由が美久にはよくわからない。意外過ぎてぽかんとするばかりだった。
「綾織さんといると新しい本に触れられるし、それについて話せて、すごく参考になるなって思うんだ」
 今度ははっきりわかった。美久の心臓がどくんと跳ねて、また顔が熱くなってしまう。
 でも今度のものは髪を褒められたときとは違う意味で、だった。
 会いたい、と言われているのだ。
 これは夢だろうか。
 こんな優しい男の子が『自分と過ごしたい』と言ってくれているのだ。いや、『一緒にいたい』とはっきり言われてはいないが、実際そういうことだろう。そういう気持ちがなければこんなこと、言うものか。
「い、いいなら……」
 返事をする声は微かになった、かつ、非常に曖昧なものになってしまった。
 なにが『いいなら』だというのか。心の中の自分が、表の自分にツッコミを入れてしまう。

 そうだ、ダメだ、こんな曖昧じゃ。
 もっとはっきり。

 ごくっと唾を飲んだ。はっきり言うのは恥ずかしい、けれど。
 快が誘ってくれているのだから、はっきり返事をしなければ。
「く、久保田くんが、……いいなら」
 言いなおした。今度はもう少しはわかりやすかっただろう。
 そしてこれはちゃんと伝わってくれたらしい。快はほっとしたように表情を崩した。
 「良かった」と言ってくれる。
「じゃあ……水曜日は俺、部活が休みなんだ。綾織さんはどうかな」
 具体的な話になってしまう。胸はどきどき騒いで痛くなりそうだ。
 なんとか思考を巡らせて美久は「水曜日は空いてるよ」と言った。部活の予定なんて、頭に入っていて当たり前のことすら、考えないと思い出せないようなことだった気がした。
「じゃあ、とりあえず来週の水曜日の放課後。どうかな」
「わ、わかった」
 そのように。
 約束はあっさりと成立してしまった。
 そのあとは解散となった。図書室の出口まで一緒に行って、快は「帰る前にちょっと職員室に寄る用事があるから」と言ったので、そこで解散だ。
「今日はありがとう。楽しかったよ」
 にこっと笑って、言ってくれた快。
 美久はまだ夢を見ているのでないかと思いつつ、「うん」と頷き、そしてためらったのだけど、付け加えた。
「私も楽しかった……よ」
 久しぶりにもじもじした言葉になってしまったけれど、言って良かったらしい。快は目元を緩めて「そりゃ嬉しい」と言ってくれたから。
「留依ちゃんの部屋、とってもかわいいね」
 通された部屋を見て、美久はついそう言ってしまった。
「そう? ありがとう! 結構うまくコーディネートできたんだ!」
 留依は褒められて嬉しそうにしてくれた。アイボリーを基調とした室内で、カーテンや小物など、差し色はピンク。ほわっとしたやわらかさのある、女の子らしい部屋だった。
 今日は留依の家にお邪魔していた。引っ越してもう一ヵ月と少し経つ、留依の新しい家はとても綺麗だった。持ち家だとか賃貸だとか、そういう種類は勿論わからないけれど、とりあえず新しいのは明らかだった。
 一軒家で、留依の部屋は二階。階段をあがってすぐ。
 留依のお母さんにも久しぶりに会った。留依とそっくりで美人のお母さんだ。
 美久を見てすごく喜んでくれた。「大きくなったわねぇ」と。
 そして「かわいい髪型ね。黒髪がとってもきれい」とも褒めてくれた。
 それには美久も嬉しくなったけれど、留依も「一緒にサロンに行ったんだよ!」と誇らしげに言っていた。
 そんな留依の家、留依の部屋にお邪魔した理由はテスト勉強である。
 来週は期末テストがあるのだ。二学期最後のテスト。しっかりテスト勉強が必要になる。
 けれど留依はちょっと困っているようだったのだ。
「結構範囲が違うんだよねぇ。前の学校、ちょっと遅れてたみたい」
 前からそう言っていた。頑張り屋の留依だ、範囲の遅れを取り戻そうと勉強にも力を入れているのを知っていたけれど、なかなかすぐにというわけにはいかないだろう。
 今回のテストに関してもそうだ。テスト勉強がなかなかうまく進まないと言う留依に、美久が提案した。
 「一緒にやろうか? わからないところがあったら教えるよ」と。
 留依はもちろん「いいの!? 助かるよ!」と顔を明るくしてくれて、そして本日。留依の部屋で勉強会となった次第だ。
 数学、英語、現代文……など、教科はたくさんある。全部なんてとても手が追い付かない。
 なので的を絞ることにした。
 留依の学校の進み具合を見せてもらった結果、数学はそれほど変わりはないが、英語が遅れ気味だったことを知った。なので「英語からやってみようよ」と美久が提案したのだ。
 幸い、美久は英語がそこそこ得意。一番得意なのは国語系だけど。
 でも英語も言語を扱うという点では同じなのだ。数学などの理系よりはずっと好きだった。
 ローテーブルの前のクッションに座って、参考書やワークを広げて、今日は留依が問題を解くのに付き合った。
「これはなんだろ。知ってるような、知らないような……」
「これはね、過去進行形なんだよ。確かこのページに一覧が……変わるのには法則があるから、これを見ながらだとわかりやすいよ」
「なるほど」
 参考書や教科書のページに付箋で印をつけていく。
 テストの内容も、もう一年半ほどこの高校に通っている美久のほうが予想できて当然。
「ここらへんが重点的に出るんじゃないかなぁ。長文より穴埋めのほうが多いから」
「そうなんだね」
 留依はそれに答えて、教科書に貼った付箋に「重要!」と書いていく。
「あ、あくまで予想だからね? 外れるかもよ……」
「いやいや、丸っきりわからないよりずっといいよ! ありがとう」
 留依はシャーペンを持ったまま美久を見て、にこっと笑ってくれる。
 美久はほっとした。
 勉強はそれほど好きというわけではない。でも嫌いでもない。わからないことを知っていくのは楽しいし、できるようになるのも楽しいし。
 おまけに、今は自分が留依の力になることができているのだ。いつも自分を引っ張っていってくれる留依。サロンに連れて行ってくれたときのように。
 そんな留依に、自分からもしてあげられることがあるというのは嬉しいし、なんだか誇らしくもあることだった。
 自分は確かに引っ込み思案で内気で、地味かもしれない。
 でもなにもないわけじゃない。
 おまけに留依に引っ張られてだけど、髪型を変えるという一歩を踏み出すことまでできた。
 美久の中に、まだ小さなものではあったけれど、確かに自信が生まれつつあったのだ。
「留依? 入っていい?」
 そのとき、こんこんとドアがノックされた。留依のお母さんのようだ。
 留依が「はーい」と返事をする。
 ガチャ、と音がして入ってきた留依のお母さん。その手にあったものに、美久と留依は、わぁ、と声をあげてしまった。
「勉強進んでる? 少し休憩したらどうかしら」
「ケーキじゃん! ありがとうお母さん!」
 トレイに乗っていたのはモンブランがふたつと、お茶が入っているらしいティーポット、カップもふたつ。留依が嬉しそうな声をあげた。
「あ、ありがとうございます」
 美久もお礼を言う。モンブランは茶色のクリームがこんもり盛られていて、黄色の栗がてっぺんに飾られていて、とてもおいしそうだった。秋らしくもあるスイーツだ。
「美久ちゃん、昔モンブラン好きだったわよね」
 言われて、美久はびっくりした。
 確かにそうだ。モンブランは子供の頃から好物だ。
 でも家族や友達には知られていても、留依のお母さんなんて、たまにしか会わなかったひとに知られていたとは思わなかった。
「は、はい。好きです……今も……」
「それなら良かったわ。昔、留依と一緒にケーキ屋さんに行ったでしょう。そのときのことを思い出したの」
 それは美久も覚えていることだった。確かに留依のお母さんと留依とケーキを食べに行ったことがあった。美久のお母さんの都合が悪かったとか、そういう事情だったはずだ。
 それを覚えていてくれたとは。
 美久の胸が嬉しさにあたたかくなった。
「ではごゆっくりどうぞ」
 ティーポットから紅茶を注いでくれて、留依のお母さんは出ていった。
 改めて美久と留依はケーキに向き直る。
「いただきます!」
 留依は早速モンブランにフォークを入れた。茶色いクリームをすくって口へ運んで、「おいしい~!」と顔を綻ばせている。
 美久も「ごちそうになります」と言って、同じようにクリームをひとくち食べた。
 濃厚なマロンクリームの甘さが口いっぱいに広がる。留依と同じように顔が綻んでしまう。
「これおいしいね! 近くにあるケーキ屋さんかな。一回食べたんだけど、ここのやつ、ほかのもおいしかったんだ」
 あたたかな紅茶を挟みながらモンブランを食べ進めていく。休憩中なのだ、話題は勉強のことから学校のことに移っていた。
「え!? こ、こく、はく!?」
 美久はひとつの話題に目を丸くしてしまった。思わずモンブランが喉に詰まるところだったくらい驚いた。
 留依が「これは秘密なんだけど」と前置きして、教えてくれたこと。
 それは同じクラスの男子に告白されたという話だった。
「うん。青柳(あおやぎ)くんなんだけどね」
 同じクラスなのだから勿論知っている。スポーツが得意で、クラスの男子の中でも明るくて友達も多い、結構カッコいいひとだ。
「男子テニス部じゃん。だからそれで結構話すことがあって」
 留依はあれからテニス部に入っていた。もう所属して一ヵ月にはなるだろう。
 けれど裏を返せばたった一ヵ月、である。この学校にいる時間だって、一ヵ月ともう少しなのに。
 それで告白とかそういう話が出てくるのがすごすぎる、と美久は感嘆してしまった。
「そ、それで……」
 自分がごく、と唾を飲んでしまって聞いた美久。
 留依はちょっと黙った。

 え、断ったのかな。
 なんか感触良さそうな話だったけど。

 一瞬思ってしまった美久だったけれど、当たらずとも遠からずだった。
「テスト終わったら返事するって。言ったよ」
 つまり保留、ということだ。美久は喜んであげたらいいのか、そうでないのかよくわからなくなった。
「テストに集中したかったからさ」
 モンブランをすくいながら言った留依。
 美久はそれに余計に感心してしまった。
 告白なんかされて、もし気になっていた相手ならすぐに「はい」と言ってもおかしくないところだったのに、テストのことも疎かににしない留依。
 なんと立派な女の子であることだろう。
 でもそれはある意味、留依が『慣れているから』できたことかもしれなかった。
 今は彼氏はいないけれど、告白されたことはあるし、中学校のときちょっとだけ付き合っていたひとはいた、と前に聞いていた。
 そのくらいには恋愛に関する経験がある留依だからできた判断だったかもしれなかった。
 自分にはできない、と美久は思う。
 そんなことをされたら、……告白なんてされたら……気が動転してテストどころではなくなっただろう。いや、そんなこと自分には起こらないけれど。美久は自分に言い聞かせた。
「でも、まぁ、うん……はい、って答えるかな」
 言った留依はちょっと恥ずかしげだったけれど、確かに嬉しそうだった。
 美久はその表情と様子にほっとする。
「そっか。うまくいくといいね」
「終わるまで、向こうの気が変わらなければいいけどね」
「そんなことはないと思うけど……」
 穏やかな話が続いたけれど、そのあと美久はもう一度モンブランが喉に詰まりそうになってしまう気持ちを味わった。
「美久は? 好きなひととかいないの?」
 定番の話題ではあるけれど、今まで留依としたことはなかった。
 正しくは、美久について聞かれたことはなかった。留依のことなら前述のとおり、聞いたことがあったのだから。
 そしてモンブランが喉に詰まりそうになったのは、もうひとつ違う理由があった。
 それは、そんな質問をされたときに、一瞬だけ頭に浮かんでしまったひとがいたからである。

 いやいやいや、そんなんじゃないから。
 私にとって親しい男子なんて、あのひとくらいだから浮かんじゃっただけだから。
 そんなんじゃないから。

 何回も繰り返したが、頭の中でぐるぐるしている様子は留依になにかしらを伝えてしまったらしい。楽しそうに笑われた。
「いるんだね。誰、誰?」
「い、いや、いないよ!」
 あわあわと否定するけれど、許してはもらえなかった。
「いないならすぐに『いないよ』って言わない? 気になってるくらいはあるんじゃないの?」
 戸惑ってしまったのが命取りだったらしい。留依のツッコミは的確だった。
 美久は観念することになる。
「す、好き、とかはないけど……最近話すひとはいる、なぁって……」
 こんな話をするのは初めてだった。曖昧な話しかできていないのに、顔が何故だか熱くなってしまう。
 紅茶のカップを取り上げてひとくち飲んだ。ずいぶんぬるくなってしまっていて、ちょっと渋みも混ざっていた。
 そこから図書室で何回か会ったことを話して、合同体育のときにバスケで活躍していたひとだと説明すれば、留依も「ああ、あのひとかぁ。久保田くんって言うんだね」と思い当たってくれたらしい。
 名前を言われるのは恥ずかしかったけれど。好きとかではないけれど、こんな話題のときに話しているなんて。