きみの手が生み出す世界

 カーン、カーン……。
 不意に大きな音が聞こえて浅葱はびくりとした。視線をそちらに向けるとそれは鐘だった。
 ライトアップの中央にある大きな鐘。それが鳴っている。時間を告げるとか、そういうものだろう。
 蘇芳先輩もそちらを見た。
 数秒。沈黙が落ちる。
 鐘はゆっくりと鳴った。そして六回鳴って終わった。
 夜の六時になったらしい。
 気付けばあたりも暗くなっている。早く帰らなければいけない。
 蘇芳先輩もそれを知ったのだろう。
「……まずい。長居しちまったな」
 ……えっ。
 浅葱は違う意味でどきっとした。
 さっきのあたたかくてやわらかな空気。それが消えてしまったような気がしたのだ。
 そしてそれは残念ながら事実だったようなのだ。
 すっと蘇芳先輩の手が離れて行ってしまった。浅葱の手はそのまま取り残される。
 急に手が冷たくなったように感じることだった。
 けれど冷たいままになっただけではなかった。
 かすかに先輩の声がする。
「もう少し、ゆっくりできるときにしよう」
 蘇芳先輩のその言葉は口の中で呟くようなものだった。
 けれど浅葱の耳には確かに聞こえた。
 残念に思ったのは確かにあったのに、蘇芳先輩の言葉はまた違う意味で浅葱の胸を騒がせてしまう。
 もう少し?
 ゆっくりできるとき?
 それは、そのくらいに、大事なことだと思ってくれて。
 また顔が熱くなってしまう。
 今、知りたかったに決まっている。
 けれど嫌だとも言い切れない。
 なにしろ唐突すぎて、ついていけなくなりそうだったのは確かだったのだから。
「うん、良かったらまた、付き合ってくれるか」
 そう言われて、浅葱はこくりと頷くしかなかった。蘇芳先輩はそんな浅葱を見てにこっと笑ってくれた。浅葱がどう思った、と受け取っただろう。
 それが心配だったけれど多分、悪い意味ではなかった。優しい目のままだったから。
「家まで送ってやれなくてごめんな。気を付けて帰れよ」
 蘇芳先輩と別れたのは、前にそうしたように改札を抜けて、ホームへのエスカレーターをあがるところだった。
 そんな優しいことを言ってくれて、おまけに見送ってくれる蘇芳先輩に前と同じように小さくおじぎをして。
 浅葱はホームへ着いた。
 前に『地球堂』で偶然会ってカフェへ行ったとき。あのときも帰りはどきどきしたのに、そのときとは最早比べ物にならなかった。
 心臓が遅れてまたばくばくしてきて苦しいほどだ。しゃがみこみたいのをやっと我慢した。
 しゃがみこみたかったのは顔が熱くてたまらなかったからだ。その顔を隠したかった、のもある。
 まるで告白のようなこと、それに近いようなことを言われてしまった。
 ううん、これはきっと思い上がりや都合のいい考えや、もしくは夢なんかじゃなくて、現実。
 おまけに『ゆっくりできるときに、また』と言われてしまった。
 それはつまり、さっきのことよりもっとはっきりとしたことが多分起こるだろうということで。
 こんなこと、ラッキー過ぎる。
 そんなところに直面してしまって、心臓が持つかな。倒れてしまうのでは。
 そんなことを考えれば考えるほどくらくらと、まるで酔ったように浅葱の頭は揺れてしまっていて、着いた電車に乗ることも忘れて、はっとしたのは目の前で音を立ててドアが閉まってしまってからだった。
 おかげで次の電車が来る五分ほどの時間。またさっきの出来事を噛みしめてしまって、また心の中でじたばたと転がった浅葱であった。