「水族館で見た青がとっても綺麗だったんです。だから絵にしてみたいと思って……」
 浅葱は言ったけれどすぐにはっとした。水族館に行った、なんて言ってしまったけれどそんな個人的なこと。友達に話すのではないのだから。
 なので慌てて「この間、家族旅行に行って」と説明しようかと思ったけれどそれは不要だったのである。
「ああ、沖縄だっけ」
 蘇芳先輩の言葉によって飲み込まれてしまった。それどころかかっと胸が熱くなる。
 沖縄旅行。
 覚えていてもらえた。
 部活にも学校にもなにも関係がないことなのに。
 確かに蘇芳先輩も知っていて不思議ではないことだ。
 何故なら。
「土産、ありがとな。クッキー、かわいくてうまかったよな」
 つまり、これ。
 連休に沖縄旅行に行ったお土産として美術部のひとたちにも配ったお土産だ。
 けれど特別に「これ、お土産です」なんて渡したわけではない。
 あくまでも『部活のひとへ』と大箱のクッキーを買ってきただけだ。
 「旅行に行ってきたので」と箱を開けて少しずつ配った。それだけ。
 まぁまぁよくあることである。長い休みには遠出する生徒もいる。夏休みにはもっとたくさんのお菓子が行き交っていたし。
 なのにたくさんある機会のひとつを覚えていてくれたというのか。おまけにどういうお菓子だったかまで覚えていてくれたようなのである。
「俺も行ったことあるんだよ。マナティーがいるんだよな。人魚のモデルになったとかいう」
 おまけにそんな話までしてくれた。
 今日はなんていい日だろう。浅葱の胸に嬉しさが溢れた。
「はい! とってもかわいくて……水面と、あと水中からも見られるんですよね」
「そうそう。全然印象が違って両方おもしろいよな」
 特別な会話。
 沖縄の水族館に関する話なんて誰とでもできるものではない。
 いや、できるけれど、行ったことのあるひととする話はまた違うから。
「俺は水中から見るのが好きだなと思ったよ。……ああ、この絵もそうだな」
 不意に話が浅葱の描きかけの絵に戻ってきてしまった。またどきりとしてしまう。そんな優し気な目で自分の描きかけの絵を見られたら。まるでじっと見つめられているようなものではないか。
「水中から水面を見上げる。そうしたら、きっときらきらして綺麗なんだろうなって。そう思うよ」
 それを表現できたらきっと、すげぇ綺麗だろうな。
 そう言って微笑んでくれた。おまけに手を伸ばしてそっとキャンバスに触れてくれる。
「絵、全体も楽しみだけど水面を見るのが楽しみだなぁ」
 水面になる予定の部分。まだおおまかな下書きとざっくりとした色分け指定しか描いていないのに的確だった。
 長い指、大きくて少しごついそれがまるで浅葱の頭を優しく撫でるように、まだ白いキャンバスを撫でてくれたのだった。