浅葱の質問はなにも不思議に思われなかったらしく、水野先生はそのまま「ええ」と頷いた。
「蘇芳くんの先輩で、曽我(そが)さんって子なんだけどね、当時の部長よ」
 やっぱり。
 浅葱は心の中で言った。
 そして出てきた名前を反芻した。
 曽我。
 曽我さん。
 曽我先輩、いや、大先輩。
 ……男子だろうか? それとも女子……。
 いや、先生は『さん』とつけた。
 蘇芳先輩や、男子生徒には『くん』付けなのに。
 つまり女子先輩である可能性は高そうだ。
 というのは、もしかして、自分の考えたことはありうるのではないだろうか。
 すなわち。

『そのひとのことを、どう思ってたんだろう』

 そういう心配である。
 ただの尊敬ならいいけれど、片想いをしていたとかそういうものなら嫌だなと思ってしまう。
 ぐるぐる考えてしまった浅葱だったけれど「曽我さんは美大に進んだんだけど、元気にしてるかしら。卒業してしまったら遠くなってしまうものねぇ」なんて水野先生が言ったことではっとした。自分の考えに沈んでしまった。
 幸い、水野先生はあまり気にしなかったらしい。
「そ、そうなんですね! 美大の入試って難しいんですよね。すごいです!」
「そうね、美術部でも美大志望は毎年何人かいるけれど……残念だけど全員は受からないものね」
 そこで少し話は違うところへ行った。
 とりあえず名前を知れて『尊敬しているひとがいる』というのを知れたので良かったかな、と浅葱は思った。
 知ってどうなるものでもないし、まさか蘇芳先輩に『そのひとが好きだったんですか』なんてことは聞けるものか。
 だから知識としてあればいい。
 好きだったひとがいたみたい、そのくらい知っていれば……。
 それで一旦は満足しておいた浅葱だったけれど、具体的に聞いてしまったことで、ちょっとだけ心は痛んだ。
 私も蘇芳先輩に尊敬されるような存在……例えば同級生だったとかで……になれていたら良かったのになぁ、と思ってしまう。
 しかしすぐに自分のその思考に、心の中で首を振った。
 ううん、欲張っちゃダメ。
 蘇芳先輩は私が頑張っているところを認めて「すごい」って言ってくれるんだから。
 部活のことでも、お祭のバイトでもそうだったじゃない。
 だから、これから頑張ってもっと認めてもらえるようになれば。
 浅葱がそう決意したところでチャイムが鳴った。
 予鈴だ。お昼休みがもうすぐ終わる。水野先生も時計を見上げた。
「あら、もうこんな時間。引き留めて悪かったわね」
「いえ、私こそいろいろお話できて良かったです。ありがとうございます」
「そうね。部活の時間はゆっくりお話する時間も少ないものね。でもなにかあったらなんでも言ってね。相談に乗るわ」
「はい! ありがとうございます。では失礼します」
 ぺこりと浅葱はおじぎをして美術準備室をおいとました。
 次の授業は移動教室などではないから遅れてしまうことはないだろう。けれど教科書やノートを用意したりなど、することはあるからちょっと急がないと。
 速足で廊下を行く。その間に、浅葱の思考は穏やかに午後一番の授業へと移っていった。