彼女。
 彼女、って。
 そして、……後輩。
 最後のものが、本当の関係。
 それは嬉しいやら、ちょっと悲しいやらだった。
 そんな浅葱を蘇芳先輩が見てくるのを感じた。
 けれど今度はそちらが見られない。きっと顔が赤いだろうから。
「……悪かったな。びっくりしたろう」
 何故か蘇芳先輩が謝るのだった。
 気を使わせてしまった。今度は違う意味で浅葱の心がずきっとした。
 誤解されるのは嫌だ。嫌だと思ったなんて思われたくない。
「い、いえ、……いえ」
 なにか言わなければ。なんとか口を開いた。けれどろくなことは出てこなかった。
 「嬉しかったんです」なんてことは言えない。そんな告白めいたことなんて。
 じゃあほかになにを言ったらいいのか。混乱した思考ではわかるはずもなくそこで詰まってしまうしかない。
 蘇芳先輩が笑みを浮かべる気配がした。その笑みがどういうものなのか。浅葱にそれを正面から見る勇気はなかった。
「でも、……なんか、嬉しかった、かな」
 それでも聞こえたこと。
 一瞬、幻聴かと思った。自分の願望が蘇芳先輩から聞こえたように感じてしまったのかと。
 しかし幻聴などが今、聞こえるはずがないではないか。
 ばっと蘇芳先輩のほうを見てしまっていた。そして信じられない気持ちになった。
 蘇芳先輩は、見たこともないような顔をしていたのだから。
 ちょっと、照れたような、顔?
 ヒトのこういう表情はそう取るのが自然だと、浅葱は思った。
 でもどうしてこんなことになっているのか。それが理解できずに、ぽかんとしてしまった。まるで馬鹿のように。
 じわじわと、現実と意味が染み込んできそうになったとき。
「浅葱ー! ごめぇん、手が空いてたら、ちょっとこっち手伝ってくれない?」
 高い声が聞こえた。綾だ。なにかヘルプが欲しいらしい。
 浅葱はほっとした。そりゃあもう、心底ほっとした。
 蘇芳先輩のほうをちらっと見る。
 蘇芳先輩はもうさっきの表情をしていなかった。あれは一瞬の夢だったのではないか。またそう思ってしまう。
「カウンターは俺が見てるから行ってきてあげなよ」
 普段とまったく変わらない様子で言われて浅葱はただ「はい。お願いします」としか言えなかった。
 綾に呼ばれた、奥のほうへ向かう。ふらふらと夢心地だった。
 暖簾をくぐって店内へ入って。
 そこでやっと遅れて、どくっと心臓が跳ねた。かーっと顔が熱くなってくる。
 一連の出来事。なんだったのだろう。
 彼女か、なんて誤解されて。
 おまけに蘇芳先輩はそれが「嬉しかった」なんて言ってくれて。
 これは、一体。
 思考はぐるぐる混乱してしばらく落ち着いてくれそうになかった。
 だめ、今は仕事中なんだから。
 浅葱は必死で自分に言い聞かせた。
 それでも気を取り直して綾のヘルプに向かえるのには、たっぷり三分はかかってしまっただろう。