きみの手が生み出す世界

 浅葱の心からの言葉。先輩はちょっと目を丸くした。意外だという顔になる。
 けれどすぐにその顔は崩れた。ほろっと優し気な顔になる。目元が緩んだ。
「そうか。そりゃ光栄だ」
 あたたかな空気が流れていた。まだ秋のはじめ、店内に暖房などは入っていないのにぽかぽかする。
 こんなあたたかい気持ちだから素直に言えたのかもしれない。浅葱は思った。
「じゃ、帰ろう」
 がた、と椅子を鳴らして蘇芳先輩は立ち上がった。浅葱も「そうですね」と同じように立ち上がる。
 空になったフラペチーノのカップを持った。手を伸ばして先輩のカップも手に取る。蘇芳先輩がちょっと驚いたような顔をした。
「ああ、いいよ、自分で……」
「いえ、ごちそうしてもらっちゃいましたし……このくらいさせてください」
 にこっと笑って回収して、トレイや食器を下げる場所へ向かった。先輩が「悪いな。ありがと」と言ってくれるのが聞こえる。
 緊張はすっかり……ではないけれどかなりほどけてきていた。
 こういう気持ちで一緒に過ごせてよかった、と思う。どきどきする気持ちだって嫌なものではないけれど、こういう気持ちになれればもっと嬉しい。
「今日はありがとうございました」
 解散は駅だった。先輩は逆方向、ここからふたつ程先の駅から登校しているのを知っていた。住んでいる場所がちょっと離れているので高校で初めて同じ学校になったのだ。だからそれが初めての出会い。
 ……ということは、実はないのだけど。
 いや、出会ったのはこの重色高校で間違いない。けれどそれより以前に浅葱は先輩に『出会って』いたといえる。
 それはともかく、浅葱は駅の改札を通ってホームへ向かう構内で先輩におじぎをした。
 たくさんお世話になってしまった。絵の具のこともそうだし、飲み物をごちそうになってしまったこともそうだし、ほかにもたくさんのことを教えてもらって……。先輩から今日もらったものは多すぎた。
 でも蘇芳先輩は、なにも気にしていない、という様子でにこっと笑った。
「いいや。こちらこそ」
 浅葱もつられるように微笑んでいた。
 今日は素敵な一日だった、と思う。
 デートのようなことができただけではない。教わることが多くて実になることも多かった。自分の中で引き出しが増えたようだ、と浅葱は思った。
「それに六谷と一緒に過ごせてよかったよ」
 蘇芳先輩が言ったこと。浅葱はきょとんとした。
 それは純粋に『自分といられて楽しかった』と思ってくれている、ということだろうか。
 しかしそういう意味しかなかった。その言葉ならそう取って当たり前だろう。
「学校や部活ではできないことがたくさんできて。六谷の知らなかった面も見られて。とても嬉しかった」
 続けて言われた言葉はもっと嬉しかった。かぁっと胸の中が熱くなる。まるで火が付いたようだった。顔にまで熱がのぼってきそうだ。
「良かったらまた画材とか見に行かないか」
 おまけにそんなことまで言ってもらって。答えなんてひとつしかない。
 浅葱はこくこくと即座に頷いていた。
「は、はい! 私で良かったら、ぜひご一緒したいです」
 浅葱のその反応に安心したように蘇芳先輩はにこっと笑ってくれた。
「ああ。また機会があったら誘わせてもらうよ。じゃあ、な。気を付けて帰るんだぞ」
 それで本当に解散になった。ひらひらと手を振ってくれる先輩は、浅葱が帰りのホームへエスカレーターであがるのを見送ってくれたのだった。
 エスカレーターで上へ運ばれながら浅葱は下のほうを見て、見守ってくれる蘇芳先輩を見た。目が合ってちょっと恥ずかしくなったけれど、ぺこりとおじぎをしておく。
 やがてホームへついた。電光掲示板を見ると電車が来るまでにはあと三分くらい。ちょうどいい。待つというほどではなく、降りるのに適したあたりへ歩いていれば来るだろう。
 いつも乗る場所、最寄り駅に着いたらエスカレーターに近いところで降りられるところへ向かいながら、まるで夢を見ていたのではないか、と噛みしめた。
 放課後、地球堂へ行って一人で画材を見ていたときまではただの日常だったのに、そこで蘇芳先輩と偶然会ってからはまるで日常などではなくスペシャルな時間になってしまったのだ。
 でも夢などではない。口の中にはさっきの甘くておいしかったさつまいもの味が残っているし、なにより、ほんわりあたたかくなった胸がはっきりとさっきの出来事の素晴らしさを示していた。
 おまけに、また出掛けたい、なんて誘ってもらえて。
 偶然だったのかもしれないけれど、きっと偶然は現実へといつのまにか姿を変えていたのだ。
 誘ってもらったし、勇気を出してお誘いしてみても、いいのかなぁ。
 思ってみて恥ずかしくなったけれど、先輩に言ってもらったのだ。一緒にいるのが楽しかった、と。
 だからきっと迷惑ということはない。それなら少しの勇気を出して、また素敵な時間を過ごせるように動いてみてもいいのだろう。
 そこへアナウンスが入った。間もなく電車が到着します、という機械的な声。
 すぐに電車がきた。それに乗りこめば浅葱を家のある駅まで運んでいってくれる。そう遠いわけではないからドアの前に立って外を眺めた。外はすっかり暗くなって街の明かりが綺麗に見えた。
 これから寒くなっていくのだ。街の明かりはなんだか秋冬のほうが魅力的に見える、と浅葱は思う。
 ああいうものを蘇芳先輩と見られたら。ふと思ってしまって、またちょっと顔が熱くなった。
 けれどこういう気持ちになれることはとても幸せなこと。
 明るくてきらきらしていて、胸をあったかくしてくれるような、明かりの黄色やオレンジ色は、ゆっくりと窓の外を流れていった。
 九月も下旬になり、だんだん秋の気配が濃くなってきた。毎年残暑が厳しいのだけど、今年は割合涼しくなるのが早いようだ。朝などは半袖のブラウスが肌寒く感じることもある。
 風邪を引かないように気を付けないと、と登校時はカーディガンをプラスしたりして過ごす浅葱だった。
 風邪など引いている暇はない。なにしろ秋季賞に出す絵の作業が本格的になってきているのだ。それに使う時間を無駄にしようなんて。
 絵は下描きを終えて実際に色を塗っていく段階になっていた。
 とはいえ、いきなり本当に色を塗っていくわけではない。まずはおおまかに色を分けていくために、薄く色を付けて全体のイメージを掴む。それで本番の色を少しずつ塗っていくのだ。
 下書きの段階、そして下塗りの段階で顧問の先生に見てもらってアドバイスをしてもらった。
 「ここはパースが少し歪んでいるから、こうしてみたらどうかな」とか「色分けはこっちの色のほうが見やすくてイメージしやすいよ」とか的確で具体的な言葉をたくさんもらった。
 顧問の先生はまだ若い女の先生だ。美大を出て、しかし画家やイラストレーターになるのではなく、美術の教師になったひとだ。
 「教育のほうにも関心があったからね。自分の得意なことを教えられるなら楽しそうだと思ったの」なんて前に聞いたことがある。
 そういうことは浅葱はまだ考えていなかった。高校一年生なので進路などはまだ考えるのには早いと思っていたこともある。
 今はまだ色々経験していって、自分の好きなことや適性をはっきりさせていく時期。先輩たちにもそう言われている。
 考えるのは二年生になってからでもいいよ、それだってまだ早いかも、なんて。
 でも顧問の先生……水野先生というのだが、髪をショートカットにしていて活発な印象のそのひとを見ているとこういう、自分のやりたいことを形にしているような大人になりたいなぁ、と思うのだった。
 その水野先生にたくさんアドバイスをもらったけれど、もちろん蘇芳先輩のアドバイスも求めた。
 蘇芳先輩はただの指導役ではない。自分の絵に集中したいことも多いはず。
 でも部長としてちょくちょく部員の絵を見てくれるのだ。両方ができるというのはとても器用なことだし、おまけに優しいことである。
 浅葱のこともたまに見てくれた。
「ここ、色を変えたほうがいいでしょうか」
 あるとき先輩が「悩んでるとこはない?」と見てくれたとき、浅葱はそのように相談した。蘇芳先輩はちょっと顎に手を当てて考える様子を見せて、ひょいっと手を伸ばして浅葱が傍らに置いていたカラーパレットを手に取った。ぱらぱらとめくる。
「そうだな。色のバランスとしてはそれでも悪くないと思う。けどグラデーションにしてみたらどうかな。濃さでバランスを調整するんだ」
 この色から、このくらいの色になるように……。なんて指差して教えてくれた。
 グラデーション。それは思いつかなかった、と浅葱は思う。
 けれど頭の中でイメージしてみたら、それはより的確な気がした。
 ひとつの色でべったり塗ることはない。色を完全に変えてしまうこともない。微妙な色合いで繋げていったら自然に見えるし、より綺麗だろう。
「それ、きっと素敵です!」
 浅葱の言葉は輝いてしまった。やはり相談してよかった、と思える。
「それなら良かった。でも俺の言うことを全部実行しなくてもいいんだからな。あくまで六谷の表現したいことを重視したらいい。それが六谷らしい絵になるんだから」
 アドバイスをくれたのに、それを守れとは言わないのだ。
 守ってやってみろ、と言われるのも嬉しいと思う。アドバイスなのだ。教えてもらったからには実行して、より良くしてみるのは大切だと思う。
 けれどこれは練習作ではなく『作品』だ。それはやはり『自分の絵らしくあること』が重要なのであって。だから蘇芳先輩の言ってくれたことは優しいことであり、浅葱の自主性も尊重してくれるような言葉であった。そういう言葉をかけられることが、見守る立場である部長らしいことなのだ。
 ああ、やっぱりこういうところを尊敬している。浅葱は噛みしめてしまった。じんわり胸が熱くなる。
「はい! やってみて……それで調整してみます」
「それがいいよ」
 浅葱の声がやる気に溢れていたからか、蘇芳先輩はにこっと笑った。
「またわからないところや迷ったところがあったら相談してくれよ。的確かはわからないけれど俺に思いつけることがあったら伝えるから」
「はい! ありがとうございます!」
 そんなアドバイスと優しい言葉をくれて、蘇芳先輩は次の子のところへ行ってしまった。
 はぁ、と浅葱は心の中でため息をついた。嬉しいため息だった。
 話せたこともそうだが、先輩が本気で浅葱の絵を良いものにしたい、してほしい。そう思ってくれることが伝わってきたから。
 頑張らないと。
 浅葱は胸の中で気合を入れ直した。
 絶対に、いい絵にするのだ。
 上手に描くだけではない。私らしくて、満足できるような出来の絵に。
 そう決意していたところへひょいっとやってきたひとがあった。
 それは美術部仲間の萌江だった。
「良かったね。お話できてさ」
 声を潜めていたけれどそう言ってくれる。浅葱はちょっと笑みを浮かべてしまった。今度のものは、照れ笑い。
「うん。お話できたし……それにアドバイスもすごかったし」
「すごい?」
 萌江はちょっとよくわからない、という顔をした。確かに曖昧だったかな、と思って浅葱は言い直した。
「絶対にこうしろ、って言わないでしょう。あくまで参考に、って。それはアドバイスされるひとの気持ちをよく考えてるんだなぁって。それがすごいって」
「ああ、なるほど。それはそうだね」
 今度は伝わったらしい。なるほど、とうんうんと頷いてくれる。
 けれど次に言われたこと。浅葱はどきっとしてしまった。
「蘇芳先輩も尊敬してるひとがいるんだって。蘇芳先輩の、また先輩……私たちにとっては大先輩、になるのかなぁ。教えてもらったことを後輩に教えることで返したいんだって。前にそう言ってたなぁ」
 それは初めて聞くことだった。
 尊敬しているひと?
 そんなひとがいたなんて初めて知った。
 確かになにもおかしくない。蘇芳先輩だって、以前は『後輩』という立場だっただろうし、そのときは『先輩』に色々と習っただろう。その経験が今の蘇芳先輩を作っているのだ。
 でも。
 ……『尊敬しているひと』。
 それは一体。
 頭に浮かんでしまったことは、ある意味当然のことだったかもしれない。片想いをしている身としては。
 なんでもそっちに結び付けてしまうのはどうかと思うけれど、考えてしまって仕方のないようなことでもある。
 すなわち。
『そのひとのことを、どう思ってたんだろう』
 そういう類のことである。
 先輩、として尊敬していただけではなかったら?
 まさに今、自分がそうであるように。
 尊敬と同時に恋の気持ちが一緒にあったということもなくはないだろう。
「そ、そうだね」
 はっとした。萌江が話してくれたのに数秒、黙ってしまった。
 いけない、これはおかしかっただろう。
 思ったのでちょっと笑っておいた。作り笑いだったけれど。
「私もそういう先輩になりたいな。来年とかになったら」
「そうだね。見習わないとね」
 特におかしくは思われなかったのか萌江も笑顔になってくれた。
 そして「あ、まずいまずい。サボってると思われたら困るね」と離れていってしまった。再び自分の絵に向き直る。
 あまりおしゃべりばかりしているわけにはいかない。先輩や先生から習うだけではなく、同級生の間でもお互いにアドバイスしあったりもするので喋ることは禁止ではないけれど、あまり口ばかり動かしていると注意されてしまうかもしれない。
 よって浅葱も自分の絵に向き直った。
 さっきの蘇芳先輩のアドバイスを思い出してカラーパレットを当てて色を見ていく。下塗りをもう少しやり直してイメージしやすくしてみようかな。そう思った。
 そうして作業に戻ればすぐに意識は絵のことにシフトしてしまった。
 けれど胸には確かに残ってしまった。
 蘇芳先輩の『尊敬しているひと』。それは一体どういうひとなのだろう。
 知るすべは……ないかもしれない。
 それゆえに、だろうか。胸にしこりのように残ってしまったのは。
 初めて蘇芳先輩に『会った』ときのこと。浅葱はまだよく覚えていた。
 印象的だったのだ。目を奪われてしまった。たっぷり五分は見つめていたし、友達と一緒でなければ一時間でも二時間でも見ていたかった。
 それは美術館でのことだった。電車で一時間ほどの場所にある大きめの美術館だ。
 美術館、といっても名前を挙げれば「ああ。あそこね。こないだピカソ展やってたよね」とみんながわかるようなところではない。
 それよりは少しタイプが違って……常設展示は少しだけ。メインはコンクールなどでの受賞作を取り上げて展示したり、あるいはイベントで作られた作品の展示など。いわばローカルな美術館なのだった。
 そういう美術館で、浅葱は蘇芳先輩に『出会った』。
 夏の情景ポスターコンテスト。高校生の部。それの入賞作品だった。
 一年近く前になろうか。
 当時から美術部に所属していた浅葱は、ほかのひとの絵を見るのも勿論好きだった。
 それに部活でも推奨されていた。『コンテストに入賞するような作品を見るのも勉強になりますからね』などとだ。
 よって今度高校生の作品が展示されるということで、友達と連れ立って見に行ったのだ。今、同じ美術部に所属している萌江も一緒だった。
 何気なく訪ねただけだった。
 けれどそれがある意味、運命の出会いだったのだろう。
 美術館の順路に沿って作品を見ていった。どの作品もとても綺麗だったし、高い技術を持っているのがよくわかった。
 並んでいる絵は夏の情景がテーマだったので鮮やかな色の作品が多かった。
 青空とか、海とか、あるいは山の緑とかだ。
 けれどその絵は少し暗いトーンだった。
 夏の夕暮れの絵。石の階段があって、その脇には民家が並んで、子供たちが「五時の鐘が鳴ったからおうちに帰ろ」なんてしているような風景。
 オレンジと藍色と……そういう暗めの色がメインで、派手ではなかった。
 けれどなんだかしんみりするような、もしくは懐かしさなどが強く伝わってくる絵だった。
 そして浅葱は吸い寄せられたようにその絵に見入ってしまったのだった。
 技術だけではない。絵から『表現したいこと』や『描いたひとの気持ち』が強く伝わってきたからだ。
 このひとはきっと、この季節、この時間、そしてこういうどこか懐かしい場所が好きなのだろう。なにかしら思い入れがあるのだろう。
 見ただけでそれを伝えられるのはある意味、技術よりもすごいことだ。
「これ、綺麗だね」
 萌江が近くに寄ってきて言った。浅葱は萌江をちょっとだけ見て、すぐに絵に視線を戻してしまった。
「うん。なんだか吸い込まれそう。絵の中に立ってみたいな」
「ああ、わかるよ。この場所なんて知らないはずなのに、なんだか懐かしい感じがする」
 その絵は萌江にも多少なり印象を残したようだ。きっと浅葱ほどではなかっただろうけど。
 やっぱり本当は何時間でも見ていたかったのだ。でも自分だけ我儘をするわけにはいかない。ほかの子たちと一緒に来ているのだから。
 「そろそろ行こうよ。お茶でも飲みに行こ!」なんて呼ばれてしまっては行かないわけにはいかなくて。
 後ろ髪を引かれる思いで、せめてもと、ちらっと振り返って目に焼き付けたのだった。
 それが蘇芳先輩との『出会い』。
 なので重色高校に入学して、絵を描いた本人である蘇芳先輩に本当の意味で出会ったとき。
 心臓が飛び出るかと思った。知らないひとだけど、こんな素敵な絵を描いたひとなのだ。名前くらいはほんのり覚えていたのだから。すぐわかった。
 まさか本人に会えるとは。しかも同じ学校、同じ美術部。先輩。こんな、近しい関係になれるなんて思わなかったのだ。
 そして感動したのは浅葱だけではなかった。萌江も「あの絵のひとじゃん! すごいすごい、まさか会えるなんて。それも先輩になるなんて!」と大いに感動していたものだ。
 そんなふうに。
 本人に会うよりも、先輩の『絵』にある意味一目惚れしてしまった浅葱。
 先輩本人に恋をしてしまったのは自然なことだっただろう。
 浅葱の心を惹きつけたのは、絵が魅力的だったから、だけではない。そこには蘇芳先輩のすべてが、気持ちやら人柄やら想いやら……すべてが詰まっていたのだから。
 そういう絵を描いた本人。蘇芳先輩は絵から伝わってくる印象そのままに、あたたかくて、優しくて、思いやりに溢れた素敵なひとだった。
「え、秋祭りの売り子……?」
 意外な提案を持ち掛けられたのはある日の帰り道だった。最初に言われたときはどういう用件なのかすぐにわからなかったくらいだ。
「そう! 商店街の秋祭りなんだけどね、人手が足りなくてさ~、友達に来られる子がいたらお手伝い頼めないかって、お父さんが」
 お願いっ! と手を合わせるのは親友・綾である。
 コトの経緯はともかく、話している内容についてはなんとなく理由がわかった。
 綾の家は商店街でお店をやっているのだ。簡単に言えば和菓子屋さん。おじいさんの代から続く、それなりに歴史のあるお店らしい。
 浅葱や綾の住む街の駅前にあるので浅葱と同じ中学校だったり仲が良かったりする子だったりすれば、みんな知っていることだ。
 もう三年以上、友達なのだ。綾の家族のひとたちとも何度も会ったことがある。今はお父さんとお母さんがメインでお店を切り盛りしていて、おじいさんやおばあさんもたまにお店に立っている。仲のいい家族なのだ。
「えっと、いつ? どういうことするの?」
「ええとね、再来週の連休でね……」
 綾は具体的な日程を教えてくれる。
 連休の三日間。商店街の秋祭りで特別な出店をする。
 いつもの和菓子を売るだけのお店ではなく、ベンチやテーブルを出して簡単なイートインスペースを作るのだそうだ。
 そのお手伝いが欲しいということらしい。
 美術部は基本的に土日は活動がないし、その週末は特にほかの用事もなかった。なのでほかならぬ親友の頼みであるし、できれば力になってあげたいと思った。
「私にできるかなぁ」
 でも心配だった。バイトなどもしたことがない。
 そんな自分がいきなり売り子なんて。中学校の文化祭でお店ごっこをしたくらいの経験しかないのだ。