それから次々名前が呼ばれていった。
ほとんどが三年生。二年生もちらほら。
佳作、とか、優秀賞、とか。
数人ではあったけれどやはり大きなコンテスト。水野先生が『重色高校として誇らしい』と言った通りの結果だった。
でも浅葱の名前は呼ばれなかった。
まさかダメだったのだろうか。一番下の賞すら取れなかったのだろうか。
今度は嫌な意味でどきどきしてきた。心臓が冷たくなりそうだ。
壱樹先輩がとても立派な賞を取ったのに、自分はなにもなしなんて。そんなの恥ずかしすぎる。情けなさ過ぎる。
純粋に結果が出なければ落ち込んでしまうし。
しかし浅葱の心配は水野先生の最後の発表で軽々と吹っ飛んだ。
「審査員特別賞。六谷さん」
浅葱の意識が、一瞬、空白になった。
取れた。
頭の中にそれだけ浮かんだ。
空白になったのは、どんな賞であるのかわからなかったからだ。
よくある、大賞、とか、佳作、とか、優秀賞、とかではない。
審査員特別賞、とは。
部員のみんなも賞の種類がよくわからないようで、戸惑った空気が漂った。
水野先生はそれを予想していたように説明してくれる。
「審査員の方が特別な印象を受けられた、と評価してくれた賞ですね。ちょっと異色かもしれません。どちらかというと『今後に大いに期待している』というものと取っていいものかな」
ぽうっとしたままの浅葱に、じわじわとその説明は染み込んでいった。
それが胸の奥まで染み入ったとき。
かっと胸の奥で爆発した。
かぁっと顔に熱がのぼる。きっと真っ赤になっただろう。
これはさっきの壱樹先輩と同様。嬉しさや興奮から、だ。
水野先生の説明を飲み込んだのは浅葱だけではない。すぐに美術室内に拍手が溢れた。
そうだ、お礼を言わないと。
浅葱はあたふた立ち上がる。
「あっ、あっ、ありがとうっ、ございます!」
お礼を言う声は思いっきりひっくり返った。けれどそれを恥ずかしいと思う余裕もなければ、実際に恥ずかしいとも思わなかった。
だって立派過ぎるだろう。
賞のひとつに入った。
おまけに今後に期待している、とまで評価してもらえた。
嬉しくないはずがない。
これで発表は全てだった。賞に入ったひとは手放しで喜んでいたし、そうでないひとたちは賞賛の声や拍手を送ってくれていた。
「入賞したひとは、今度の朝集会で表彰される予定です。その打ち合わせがあるので、今日は少しだけ残ってくださいね」
水野先生がそんな言葉で締めた。
今日はまともに作業などできるものか。それで解散となった。
「六谷! やったな!」
解散後。真っ先にきてくれたのは壱樹先輩だった。今は部活なので前と同じように六谷、と呼んで。
「はい! やりました! 先輩もじゃないですか!」
「ああ! 超嬉しいよ!」
素直な喜びの言葉。満面の笑みで。
きらきらとしていて、とても綺麗だった。
おまけに。
「おめでとう!」
がばっと壱樹先輩の腕に強く抱きしめられる。
でもこのときも恥ずかしい、とは思わなかった。それほど感動してしまっていたし部活内だってそういう空気だったのだ。あちこちで同じようなことが交わされていたのだから。
ほかのものは女子同士だったけれどそんなことは関係ないし今はどうでも良かった。
「……はい!」
浅葱もそれに応えて壱樹先輩の背中に腕を回した。素直な気持ちで喜び合う。
今は恋人としてではない。
同じ、絵画に向けて頑張る同志として、だ。
それは違う意味で胸を熱くするものであったし、嬉しくてたまらない、完全に弾けてしまった熱い想いだった。
「今度、お祝いの会をやりましょうね」
ぱんぱん、と水野先生が手を叩いて一旦の終わりを告げるまで。
美術部内の感動と興奮に溢れた空気はやむことがなかった。
朝集会の表彰はちょうど一週間後だった。全校生徒が集まる講堂。前に出て校長先生から賞状を受け取った。
アナウンスが上の賞から順番に紹介してくれた。
『準大賞、蘇芳壱樹さん』と流れたときには講堂全体がざわめいた。美術部員はあのとき全員美術室にいたから知っていて当然だけれど、ほかにはきっと賞を取ったひとの友達など、近しいひとしか知らなかっただろう。
だから壱樹先輩が賞を取った、それも準大賞など立派過ぎる賞を取ったことは、初めて知るひとのほうが多かったはず。
モテモテで人気のある壱樹先輩だ。また女子に憧れられる要素が増えてしまうだろう。
そう思うとちょっと妬いてしまう気持ちもあるやら、でも「この素晴らしいひとが私の彼氏なんだ」と実感すると誇らしいやら。あまり性格の良いことではないけれど、口に出さなければ許される……と思いたい。
壱樹先輩は事前の受賞者打ち合わせ通り、校長先生の前に出て賞状を受け取った。
堂々としていて余計にカッコ良かった。
そのいくつかあとに浅葱も名前を呼ばれて、同じように賞状をもらった。
壱樹先輩と同じコンテストで賞を取れたこと。
それで表彰されること。
両方が誇らしくてならなかった。
もらった賞状は家でお父さんやお母さんに見せた。
中学校のときも小さな賞をもらったことはあったけれど、高校生になってからは初めて、おまけにこんなにいい賞は初めてだったので、家でも勿論お祝いをしてもらった。
お父さんなどは立派な賞状を「額に入れて飾ろう」と言ってくれて、浅葱は「大げさだよ……」と照れつつも確かに嬉しかったのだ。
秋季賞の結果も出た。
その間にも春季賞の作品作りも進んでいる。
季節は確実に前へ、前へと進んでいた。
春が近づいてくる。
壱樹先輩と別れ、ではないが同じ場所で毎日過ごせなくなるときが。
二月が近づいてくるのは憂鬱だった。
覚悟はしていて、四月に自分が二年生になるというのは『前に進める』『成長できる』ということなので嬉しくもある。
それでも過ごす場所が離れるというのはやはり。
そしてもうひとつ気になっていたこと。
……先輩の『尊敬するひと』のこと。
壱樹先輩の受ける大学にいるのではないか、と思ってしまったことで余計に気になるようになってしまったのだ。
それはそうだろう、壱樹先輩にとって彼女ではなくてもいい感情を抱いている相手。絵もうまく、壱樹先輩の先輩だった頃は賞を総ナメにしていたという。絵画を頑張る同志としてだって尊敬しているに決まっている。今の浅葱が先輩に憧れているのと同じ。
だから心配だった。
そんなことははっきり壱樹先輩には言えなかったけれど。
それでも先輩の受験を応援しないはずはないし、志望校に絶対に受かってほしかった。
一月の半ばに『クリスマス本番』としてのデートをしてもらって、電車で出かけて約束通りおいしいケーキを食べさせてもらった。
おまけに連れて行ってもらったのはテーマパークで、たっぷり遊ぶことができた。
だから恋人関係に不満などあるはずがないどころか十分以上に大切にしてもらっていると感じていた。
それ以来、デートは受験に受かるまでお預けということになっていたけれど、やっぱりこれだって不満であるものか。勉強に集中してほしかったから。自分のせいで壱樹先輩の受験がうまくいかなくなるなど絶対に嫌だ。
だから。
「浅葱! 無事に終わったぞ!」と受験会場から満面の笑みで出てきた壱樹先輩と出会ったとき。
会うのだって十日以上ぶりのことだった。
自分のことのように、そわそわ待っていた浅葱。受験会場の大学……多真美術大学の前のカフェで午前中から過ごしていたのだけど、試験の終わる時間に校門前へ行った。そこで先輩が出てくるのを待っていたというわけだ。
知らないうちに自分の手をぎゅっと握っていた。壱樹先輩にもらった赤い手袋をしっかりして、だ。
だから浅葱の手はちっとも冷えるなんてことはなかった。ふわふわ優しいあたたかさに包まれている。
奥の校舎から壱樹先輩が出てくるところを見たときは、心臓が飛び出しそうになった。
先輩ならきっといい結果を出してくると信じていたけれど直面するのは話が別だ。
どきどき心臓が高鳴る。
心配そうな顔をしてしまっていたのだろう。壱樹先輩は浅葱を安心させるように笑みを浮かべてくれた。満面の笑みを、だ。
その表情はなによりはっきりと『納得のいく結果が出そうだ』と示していた。
大好きな壱樹先輩のそんな表情を見れば安心しないわけがない。浅葱は心底ほっとした。
「うまくいったぞ。自信がある。勿論実際に合格発表があるまで安心できないけどな」
壱樹先輩の言葉にも「良かったです!」と心から言うことができた。
受験をひとまずやり遂げた壱樹先輩。浅葱の尊敬する部分が痛いほど伝わってきた。
部活だけではない。勉強だってこつこつ積み上げてきたからこれほど自信のあることが言えるのだ。
それは部長を引退してからいきなり猛勉強をしたわけではないに決まっている。そんな付け焼き刃で多真美術大学に合格できるものか。
自分もここに通いたい。
ずっと思っていたことを浅葱は噛みしめた。
実際に会場の大学まで来たことでもっと強く思ったのだ。
二年後、今度は自分が大学受験をすることになる。
そのとき今の壱樹先輩のように「自信がある」と言い切れるくらいに勉強をしなくては。
部活だって手を抜くつもりはない。なにしろ壱樹先輩が二年生リーダーに任命してくれたのだ。全力で頑張るつもりだ。
でも将来のため。壱樹先輩と同じ学校に通いたい。
それからランクの高い多真美術大学に入ってもっと専門的に美術を学びたい。
両方の気持ちがいっぱいにあった。
「合格発表があったらデートしような」
「はい! お祝いさせてください!」
優しい笑みを浮かべてくれた壱樹先輩。
デートができる。
そして壱樹先輩のお祝いができる。
二重に嬉しかった。
「まだ受かると決まったわけじゃないけどな」
「自信があるって言ったのは壱樹先輩じゃないですか」
浅葱の言葉に二人は顔を見合わせた。同時に笑ってしまう。
その通りだけど二人とも確信していたのだ。
きっとうまくいく、と。
ふと風が吹いた。コートの上から浅葱の体を撫でていく。
それは二月の冷え込む日だったというのにどこかあたたかかった。
まるでうまくいく、というのが本当のことだと示してくれているように。
「浅葱。ずっと言いたかったことがあるんだが」
ひとまず試験で疲れたであろう壱樹先輩に休憩してもらおうと、カフェへ向かうことにした。
コーヒーでも飲んでちょっと甘いものでも食べよう。そう言い合っていたところだ。
そのとき不意に壱樹先輩の声色が変わった。
「はい、なんですか?」
浅葱は何気なく壱樹先輩を見た。
そして知る。これはなにか大切なことだ。
壱樹先輩が足を止める。
「浅葱も来年、多真美に来る気はないか」
……来年?
浅葱はきょとんとしてしまう。
来年たまび、多真美術大学に入学するのは壱樹先輩だろう。
自分は当たり前のように重色高校の二年生になるわけで。
来年、という意味がちっともわからない。
「どういうことですか?」
そのまま聞き返してしまった。
壱樹先輩は優しい顔をしていた。その目の奥はちょっと固かったけれど。理由がもっとわからなくなってしまう。
「ビケン、ってものが大学付属であるんだ」
それから壱樹先輩は色々説明してくれた。再び歩き出しながら。
向かう先はカフェではなかった。カフェでできる話ではないからかもしれない。
入ったのは公園だった。子供が遊ぶような遊具のある公園ではなく自然公園で、散歩をして景色を楽しむようなところだ。
「ビケン、っていうのは『美術研究会』の略称なんだけど」
大学に美術研究会、というものがある。
それは美大を目指すひとなら誰でも通える教室のようなものだそうだ。
そこで絵の技術を磨いていく。
同じ、絵画を極めたい若いひとたちがたくさん集まるそうだ。
「俺も通いたいと思ってたんだけどなにしろ忙しくて。諦めちまったんだ」
だから壱樹先輩から『ビケン』の話を聞くことはなかったのだろう。
急展開に浅葱はただ話を聞くしかなかったのだけど。
「浅葱はいいリーダーになると信じてる。この提案は部活以外にも取り組むことを増やしちまうとか、そうなるかもしれない。勉強もあるだろうに」
そのあと言われたことにかっと胸が熱くなった。
「でも浅葱ならやれるかもしれない、と思ったんだ。ビケンでより高い技術を習う気はないか」
胸が熱くなると同時にぽかんとしてしまう。
思ってもみない提案だった。
そもそもビケンというものの存在を初めて知ったのだから仕方がないけれど。
でも思った。
やってみたい、と。
壱樹先輩の話を聞くに随分レベルの高い集まりらしい。
自分がその中に混じってやっていけるかという心配も浮かんだ。
けれど壱樹先輩が「浅葱ならついていける」と思ったから誘ってくれたのだろう。
おまけに部活や勉強との両立もやれるかもしれない、と言ってくれた。
それはここまでの浅葱の頑張りを見ていてくれて、評価してくれたから言ってくれることなのだ。
すぐに返事なんてできない。
もっとよく考えないといけないし、お父さんやお母さんに相談だって必要だろう。
でも今の気持ちを伝えることなら。
「やってみたい、です!」
浅葱がそう答えることはわかっていた、というように壱樹先輩は笑った。ほろっと花が零れるような優しい笑みで。
「そうか。すぐには決められないだろうから家とかでも話し合って」
「はい! そうします!」
多真美術大学の付属なのだ。きっと壱樹先輩の近くで過ごす時間がちょっとでも増えるだろう。
思った浅葱だったが次の言葉にもっと驚いてしまった。
「実は、俺も通おうと思ってるんだ。大学生も授業にプラスして通えるからさ」