今度、もじもじしてしまうのは浅葱のほうだった。
 蘇芳先輩に提案されたのだ。自分にもそう回ってくると思ったけれど。口に出すのはどうしても照れがある。
 でも断る理由もないし、そんな気持ちもなかった。
 ごくっと唾を飲んでしまったけれど、思い切って口に出す。
 ……本当はずっと、呼んでみたいと思っていた音を。
「壱樹……先輩」
 耳に入った言葉。
 同じだった。自分の名前を聞いたときと、同じ。
 なにより特別で、優しくて、尊い音だった。
 蘇芳先輩は、照れながらも口にした浅葱の声にふわっと笑った。
 浅葱と同じように特別なものだと感じてくれたのだ。そんなことまで伝わってくる。
「『先輩』じゃなくてもいいんだぜ」
 そう言われたけれど。
「いえ、……先輩、は、私の『尊敬する気持ち』ですから」
 確かに「壱樹さん」とかでもいいのだと思う。彼女という存在から呼ぶのだ。別にそれだって悪くないと思う。
 けれど浅葱には『先輩』をつけたい理由があった。
「なんだそりゃ?」
 浅葱の理由にはおかしそうな声が返ってきたけれど、すぐにもうひとつ付け加えられる。
「でも、そりゃ……光栄だ」
 にこっと笑ってくれた蘇芳先輩。
 もうひとつ、特別な存在になった。
 浅葱は噛みしめる。
「でも学校ではまだ『六谷』って呼ぶことになると思うけど……」
「私も『蘇芳先輩』でいいですか」
「ああ。それに二人だけのときだけっていうのは特別感があって、嬉しいな」
 そんなやりとりをしながら、二人で帰り道を歩く。
 こうしてひとつずつ、進んでいくのだ。
 二人で、手を繋いで。