滋賀の叔母は、3人姉妹の長女である。正しくは、4人姉弟の長女であろう。なぜなら 末の長男は、育たなかったそうだ。
一族待望の本家の長男だったにも関わらず、弟がいなくなったことで、本家は女系が強くなる。そういう、シオンのところも、3人姉妹だ。
そもそも、昔よくある 一族内での婚姻は、物質的に濃くなり過ぎたのではないかと、想像がつく。

「ママが 言ってたね。叔母さんは、お祖父様が襲名当主だった頃の記憶を、唯一持った 剛力姫様だって。」

今は 物いわない 相手に 話かけようと シオンは思った。


シオンの祖父には 2つの名前があった。幼名をシオンは 知らないが、成人すると 本家当主は 皆同じ名前になる。
祖父は、『三代目』だった。

京都などなら、たかが『三代目』だろう。だが そもそも 平安から続く代なんて、よっぽどの上位貴族。そして、天皇家に謹上できる 上位老舗の職人族。だからこそ、10代以上が襲名を 保てるのではないか。

祖父の一族は、江戸時代後期に全国に勢力を伸ばした、近江商人。豪商と呼ばれる一族で、特に血の結束の固い一族だった。

近江商人の歩いた後は、草も生えないと 揶揄される中にあって、祖父の一族は 特にその豪腕は群を抜くものだったと聞いた。言い方をかえれば、えげつない。か?

所謂、祖父達は 超成金。シオンは話でしか聞いたことがないが、当時 田んぼを まだ日本に入ったばかりの外車で走り周り、プロペラ機で満州に行っていたとか。
歴史の教科書の豪商イメージより、ずっとアクティブに、金に物を言わせて 手広くしていた印象だ。そういえば 帆掛け船の商船を活動映写機で撮ってたりした。

一族会議になると、それこそ 大広間に 祖父の元、男性陣が紋付き袴で総勢して かしこまる姿を、幼い叔母は目にしていたという。
だから、弟が生まれるまでは、下にも置かないお姫様ぶりだった。
とわ言え 何より、男子上位。
末の長男となる弟が生まれたとたん、皆がまだ赤子の弟を殿様扱いしたことで、男の子を生むことには、少なからず執着心があったのだろう。
そして もし、男に生まれていれば、 豪腕を奮ったろう。

弟が育たなかった事で、外に嫁いだが 本家の長女として 家の奥の事を つぶさに押さえていき、息子も生み上げた叔母だった。

「叔母さんの 手腕は、尊敬してたんだからね。」

今度は、写真の姿に シオンは語った。

祖父の本家は、終戦の折に 財産の解体もあり、没落の道を辿るのだが、一番の原因は、『三代目』がその家業を辞めたことだろう。シオンは 祖父本人に聞いたわけではないが、外からの婚姻となる祖母の事もあるのだろう。
あの、日野の叔母は シオンが思うに、一族における 祖父の婚約者だったのではないか。

ともあれ、ゆくゆくは没落の家ではあったが 叔母はお姫様であったようだ。

「叔母さんは、学生の頃から 毎週 違う男性に誘われて、青春を優雅に満喫したものよって、ママが恨めしそうだったもんねー。」