セミを自分なりに選び、さあ次に取りかかろうかというその時、部室のドアがガラッと開いた。
「わっ、何やってるの、キリ君」
「桜さん!」

 どうしたんですか、と聞くと、「帰る前に、歩き回りながら脚本考えてたのよ」と言いながらバッグをおろす。南校舎3階まで歩いてきたら、部室の電気がついていたので寄ってみたらしい。
 時計を見ると、解散してから長針がぴったり1周していた。

「そっか、効果音やってるんだ」
「え、ええ。ちょっとやってみようかなって」
 なんだかカッコ悪くて、細かい事情は話せない。

「ふふっ、スズちゃんに怒られたりした?」
「あぐっ……」
 お見通し。さすが部長だ。

「いや、あの、怒られたというか、呆れられたというか……」

 観念して事情を全部話すと、桜さんは心から可笑しそうに、口に手を当ててクックッと笑い声を漏らした。

「そっか、スズちゃんも(こだわ)り強いからなあ」

 そしてまっすぐに俺を見る。真っ白に照らす蛍光灯のその下、黒曜石のように光る黒い瞳に、俺の視線は釘付けになる。

「でも、それは武器なんだよ。執着があることが、作品を良いものにしていくからね」

 執着すること。それは換言すると愛理のように「夢中になること」かもしれない。さっきのSEを選んでいた時間、俺は間違いなく、没頭していた。

「そういうの、憧れます。部活とか、ちゃんとやってこれなかったんで」
 それは俺の、嘘偽りない事実と想いだった。

「でもキリ君、思ったより難しいでしょ?」
 やや意地悪な笑みを浮かべて訊く彼女に呼応するように、口を尖らせる。

「そうなんですよ、SE1つ選ぶだけでも大変です。正解がないから、どれに決めていいか分からないし」
「そうだよね、うん!」
 まるで誉め言葉を受け取ったかのように、彼女はどこか満足気だ。


「……そう、難しい。だからチームで作るの」
 そしてゆっくり瞬きをしながら、小さく2回頷く。

「誰も正解を持ってないの。脚本を書いた私の中にもイメージはあるけど、それが唯一解じゃない。だから、全員で意見をぶつけて、一番良いと思うものを選んでいく。ひょっとしたら話してるうちに、もっといい答えが見つかるかもしれない。それが一番面白いの」

 その瞬間。ふいに、これまで記憶の底に沈めていた愛理の言葉がフラッシュバックした。



『いやあ、みんなでワイワイやるのが楽しいんだよ。葉介にもいつか味わってほしいなあ!』



 少し鼻にかかる声、くしゃっとした笑み、右側の後ろ髪を撫でる癖。あれだけ至近距離で見ていたのに、色褪せた水彩画のように記憶が曖昧になってしまっていることに、幾許(いくばく)かの怖さを覚える。

 でも思い出せて良かった。そうか、愛理もこれが楽しかったんだ。

 こうして今、追思のきっかけをくれた、彼女と同じような人に巡り合えたのは、驚くほどの幸運なのかもしれない。



「あ、そうだ、キリ君。山のシーンのことなんだけど」
「はい?」
 バッグの前面についたポケットからスマホを取りだす桜さん。

「絵コンテ作るために、ロケハンしておきたいんだよね」
 ロケーション・ハンティング、撮影に使う場所を探すことよ、と付け足す。

石名(いしな)渓谷、案内してくれる?」
「え? あ、はい、いいですけど」
 驚きと動揺を混ぜ込んだ、素っ頓狂な声をあげる。

「んっと、今週は……うん、土曜が晴れ!」
 バッと画面を見せてくれる。そこには、雨のマークを枠外に追い出した天気予報が表示されていた。


「分かりました……あの、全員で行きます?」

 ふと気になったことをぶつけてみる。
 俺はどんな答えを期待しているのだろう。

「全員?」
「あ、その、颯士さんとかも一緒なら日程相談しなきゃかと思って」

 やや狼狽しつつ言葉を重ねると、彼女は右の親指をあごに当てながら斜め上を見上げた。

「ううん、みんな休日に出かけさせるのも悪いし、一旦私だけでいいかなあ」
「そう、なんですね。わかりました」
「後でまた連絡するよ。さて、私は帰るけど、キリ君はどうする?」
「じゃあ、一緒に出ます」

 こうして、揃って部室を出る。
 桜さんはバス停、俺は駅に向かうので正門から少し歩いてすぐにお別れだったけど、今回の作品のちょっとした裏話や、以前の脚本の失敗談を聞けたその10分間は、映画作りの楽しみを少しだけ見つけることのできた自分自身へのご褒美のようなボーナスタイムだった。



「ただいまー」
 ふわふわしたテンションを抑え、夕飯の前に2階の部屋へ上がる。

「……ぐわあ」
 制服も脱がず、小さく叫んでベッドにダイブし、そのままタオルケットを体に巻きつけて、一つ軽い溜息をついた。

 女子と2人で出掛けるなんて、中学のあの時以来か。そう思えば思うほど、熱に浮かされたように、なんだかソワソワしてしまう。


 愛理と桜さんの顔を交互に思い浮かべながら、下で食事している親に気付かれないようにゴロゴロと転がった。