昭和の東京五輪の特需景気に乗って財を成した三代目の昭は、弘明寺に地面を求め家を建てた。
ちなみに桜はそのときには既にあり、
「前の家主が小説家で、どうやら酔狂で植えたらしい」
との由であった。
その後は。
四代目であった健が、重機のリースに始まる事業展開の拡大で不動産の取引から、自社ビルを桜木町に建てるまでに至り、そのビルは後にオフィスとして貸し出された。
やがて。
まだ末娘の光が石川町の幼稚園に通っていた頃には横浜でもちょっと名の知れた会社となり、花よ蝶よと育てられたのである。
果然。
光はいわゆるお受験で名門の女子大学の附属の学校へ入学し、そこからエスカレーター式に大学まで卒業。
大学生のときにはアメリカに留学までしている。