【最終章 『前園幸助は答えを欲する』 - 01】
目が覚めたのは朝の八時過ぎだったが、ちょっと野暮用があって出かけていて、再びアパートに戻ってきた頃には昼の十一時を回っていた。
だが、朝アパートを出て行った時と同様、れいかはベッドの上ですやすやと寝息を立てていた。
「夜は出かけるし、起こさない方がいいな」
肩にかけていたボディバッグを床に置き、ベッドの横に腰かけ、何をするでもなくじっと本棚を見つめた。
れいかが死ぬまで、残り十二時間弱。背中越しに聞こえるれいかの寝息は、驚くほど静かで、驚くほどゆっくりで、それに合わせて息をしてみると、あっという間に瞼が重たくなった。
◇ ◇ ◇
扉をノックする音で目が覚め、時計を見ると、夜の八時ちょうどだった。
「鈴寧です。迎えに来ました」
「……あ、はい。開いてるので、どうぞ」
鈴寧さんは玄関から入ってくると、呆れたように小さくため息をついた。
「まさか、ずっと眠ってたの?」
「……おはようございます」
「……はぁ」
ベッドの上で眠っているれいかは、俺が見た時と寸分変わらない姿勢のままだった。一度の寝返りさえ打っていないのかもしれない。
鈴寧さんはそんなれいかを見下ろすと、ポンポンとれいかの肩を叩いた。
「れいか。移動の時間よ。立てる? 車、下に停めてあるから」
もしかしたられいかはそのまま起きないのではないかと、少し不安に思っていたが、れいかは意外にもあっさりと目を覚ました。
「う~ん……。私、死にましたか~?」
「まだよ」
「あ~。そうですか~」
れいかは寝ぼけ眼をこすりながら、ぼけぇっと俺を見ると、そのままもう一度ベッドへ横たわった。
「眠たすぎて立てませ~ん。前園さん、車まで私をおぶっていってくださ~い」
「……何をそんなわがままを――」
と、ぼやいている最中に、鈴寧さんがハキハキとした口調で命令した。
「よし。じゃあ、前園くん。れいかちゃんをおぶってちょうだい」
「えっ!?」
「なにが、えっ、よ。早くしなさい」
なんでそんなに厳しいんだ……。
「……わかりましたよ。あ、それとれいか、『約束の矛先』、一応完結したけど、読むか?」
「あー……。いえ、結構です」
だろうな、と心の中で呟いた。
「そうか。わかった」
寝る前に置いたボディバッグを、邪魔にならないよう収納スペースを前にして肩にかけてから、しぶしぶれいかを背中にのせた。
すると、れいかの体からまるで重さを感じなかったので、思わず動揺してしまった。けれど幸い、れいかを背負っていたおかげで、その驚いた顔を見られずに済んだ。
すぐ耳元で、れいかが小さく、いつものいたずらっぽい口調で囁いた。
「役得ですね、前園さん」
俺は平静を装い、答える。
「……寝てろ」
「ひどーい」
クスクスと楽しそうに笑うれいかは、まるでこれから死んでしまう人には思えなかった。
◇ ◇ ◇
遊園地へ向かう車内。鈴寧さんは運転席へ、俺とれいかは揃って後ろに座っていた。
窓の外を街明かりが過ぎ去り、やがてそれもなくなった頃、れいかが冗談めかしてこんなことを言った。
「私は今、出荷される子牛の気持ちが痛いほどわかりました」
「それだとまるで、俺と鈴寧さんがれいかを出荷するみたいじゃないか……」
「決めました。私は今日からビーガンになります。死ぬまでお肉は食べません」
「……あぁ、そう」
あと数時間で死ぬじゃないか、というツッコミはさすがに不謹慎だったので言わなかった。
「もうっ、前園さん! そこは、『あと数時間で死ぬじゃないか』って突っ込むところですよ!」
できるか!
れいかは、車まで歩けないと言って俺に背負われていた割には元気で、その後も内容の薄っぺらいトークに花を咲かせた。
ふと、れいかは思いついたように言った。
「あっ、鈴寧さん! 次のコンビニに寄ってくれますか?」
「コンビニ? いいけど、何か買うの? なら、買ってきてあげるけど」
「いえ、大丈夫です。自分で行きますので」
「……そう?」
コンビニの前に停車するや否や、れいかは脱兎の如く車から飛び降りると、そのままスタスタと店内へ入って行った。
「あいつ……めちゃくちゃ歩けるじゃねぇか……。俺が頑張って車に乗せたのはなんだったんだよ……」
三分ほど経って車内に戻ってきたれいかは、手に何も持っていなかった。
「ん? 何も買わなかったのか?」
「え? えぇ、まぁ」
れいかは嘘をつくのが下手だ。今も何か隠していることはすぐにわかったが、れいかが、それ以上聞いてくれるな、という顔をしていたので問い詰めたりはしなかった。
再び車が車道を走り始めると、れいかは思い出したように声を張った。
「あ、そうだ! 忘れるところだった! 前園さん、ちょっといいですか?」
「なんだ?」
「スマホ! 貸してください!」
「スマホ? 俺の?」
「はい!」
「……何する気だ」
「やだなぁ、前園さん! 人をそんな疑いの眼差しで見ないでくださいよ!」
「…………」
れいかは俺の質問には答えず、ただ手のひらを出して俺のスマホを要求した。さすがに普通なら自分のスマホを他人に貸したりはしなかったが、れいかが何をするのか興味があったので、パスワードを解除し、言う通りにスマホを手渡した。
するとれいかは、俺の目の前でスマホを操作し、二十三時ぴったりにアラームが鳴るように設定した。
「なんで……アラームなんか……」
わかりきったことを聞いた。
「だって、こうしておけば、私が死んだ瞬間がすぐにわかるでしょう?」
わかりきった答えが返ってきた。
れいかに「はいっ、ありがとうございました!」と返されたスマホの時刻は、二十一時ちょうどを指していた。
それはつまり、れいかが死ぬまで残り二時間ということだった。
◇ ◇ ◇
遊園地に到着したのは、それから三十分が経過した、二十一時三十分だった。
周囲にぽつぽつと外灯が設けられている駐車場。まだ遊園地で遊んでいる客がいるのか、車もいくつか停車している。
運転席に座っている鈴寧さんはどこかに電話をしたあと、
「やっぱり貸し切りは十時まで待たないとダメみたいね。れいかちゃん、どうする? 少し早いけど、もう中に入る?」
と、たずねたが、れいかからの返事はなく、俺と鈴寧さんがそろってれいかの方を見ると、れいかはまた眠ってしまっているようだった。
「あらら……。寝ちゃってるか。じゃあ起こすのもなんだし、待ってようかしら」
寝ているれいかを横目に、こっそりと小声で鈴寧さんに聞いた。
「あの、鈴寧さんはこういうこと、慣れてるんですか?」
「え? あぁ……。まぁね。でも、普段はもっと高齢の方だけどね」
「……そうですか」
すると、今度は鈴寧さんの方が俺に質問をした。
「あなたは、れいかちゃんがいなくなると悲しい?」
「……え?」
答えに窮していると、鈴寧さんはぽつりぽつりと語り始めた。
「れいかちゃんには言ってないんだけど、私はね、前かられいかちゃんの担当をすることが決まっていたの。れいかちゃんは若いから、他の人が誰も担当したがらなくってね」
「若いから?」
「えぇ。こういうこと言うのはあまりよくないんだろうけど、やっぱりどうしても、若い人が亡くなる方が精神的に辛いからね。だから、私が手を挙げたの。ちょうど、三年位前だったかな」
「三年前……」
「安息科の人間が、寿命を全うする一週間前からしか、その人のもとに現れないのは、それ以上長い付き合いをしてしまうと、私たちの心の方が参ってしまうからなの。……もちろん私も、れいかちゃんの担当をすると決まっても、一週間より前には直接会わないようにしていたわ。……けれど、年に一回、れいかちゃんが年齢を重ねるたび、資料が新しいものに差し替えられて……それがまるで、れいかちゃんが必死に生きようとしているみたいだと感じたわ……」
鈴寧さんは相変わらず淡々と語っていたけれど、どこか悲しそうな目をしていた。
「……辛い、仕事ですね」
「……えぇ。とっても……」
鈴寧さんは消え入りそうな声で、「あなたは大丈夫?」とたずねた。
「俺は……」
正直、その時が来るまでわからなかった。
れいかが死ぬ時、俺は悲しくて涙を流すのか、それとも、何もなかったようにけろっとしているのか。
れいかとの付き合いはたったの六日間だけ。それも、恋人でもなければ、親友でもない。けれど、れいかのことが特別かと聞かれれば、そうだと即答するだろう。
だったら、この感情をどう言葉にすればいいんだろうか……。
いろいろ考えたけれど、俺は鈴寧さんの質問に対する答えを見つけることはできなかった。
目が覚めたのは朝の八時過ぎだったが、ちょっと野暮用があって出かけていて、再びアパートに戻ってきた頃には昼の十一時を回っていた。
だが、朝アパートを出て行った時と同様、れいかはベッドの上ですやすやと寝息を立てていた。
「夜は出かけるし、起こさない方がいいな」
肩にかけていたボディバッグを床に置き、ベッドの横に腰かけ、何をするでもなくじっと本棚を見つめた。
れいかが死ぬまで、残り十二時間弱。背中越しに聞こえるれいかの寝息は、驚くほど静かで、驚くほどゆっくりで、それに合わせて息をしてみると、あっという間に瞼が重たくなった。
◇ ◇ ◇
扉をノックする音で目が覚め、時計を見ると、夜の八時ちょうどだった。
「鈴寧です。迎えに来ました」
「……あ、はい。開いてるので、どうぞ」
鈴寧さんは玄関から入ってくると、呆れたように小さくため息をついた。
「まさか、ずっと眠ってたの?」
「……おはようございます」
「……はぁ」
ベッドの上で眠っているれいかは、俺が見た時と寸分変わらない姿勢のままだった。一度の寝返りさえ打っていないのかもしれない。
鈴寧さんはそんなれいかを見下ろすと、ポンポンとれいかの肩を叩いた。
「れいか。移動の時間よ。立てる? 車、下に停めてあるから」
もしかしたられいかはそのまま起きないのではないかと、少し不安に思っていたが、れいかは意外にもあっさりと目を覚ました。
「う~ん……。私、死にましたか~?」
「まだよ」
「あ~。そうですか~」
れいかは寝ぼけ眼をこすりながら、ぼけぇっと俺を見ると、そのままもう一度ベッドへ横たわった。
「眠たすぎて立てませ~ん。前園さん、車まで私をおぶっていってくださ~い」
「……何をそんなわがままを――」
と、ぼやいている最中に、鈴寧さんがハキハキとした口調で命令した。
「よし。じゃあ、前園くん。れいかちゃんをおぶってちょうだい」
「えっ!?」
「なにが、えっ、よ。早くしなさい」
なんでそんなに厳しいんだ……。
「……わかりましたよ。あ、それとれいか、『約束の矛先』、一応完結したけど、読むか?」
「あー……。いえ、結構です」
だろうな、と心の中で呟いた。
「そうか。わかった」
寝る前に置いたボディバッグを、邪魔にならないよう収納スペースを前にして肩にかけてから、しぶしぶれいかを背中にのせた。
すると、れいかの体からまるで重さを感じなかったので、思わず動揺してしまった。けれど幸い、れいかを背負っていたおかげで、その驚いた顔を見られずに済んだ。
すぐ耳元で、れいかが小さく、いつものいたずらっぽい口調で囁いた。
「役得ですね、前園さん」
俺は平静を装い、答える。
「……寝てろ」
「ひどーい」
クスクスと楽しそうに笑うれいかは、まるでこれから死んでしまう人には思えなかった。
◇ ◇ ◇
遊園地へ向かう車内。鈴寧さんは運転席へ、俺とれいかは揃って後ろに座っていた。
窓の外を街明かりが過ぎ去り、やがてそれもなくなった頃、れいかが冗談めかしてこんなことを言った。
「私は今、出荷される子牛の気持ちが痛いほどわかりました」
「それだとまるで、俺と鈴寧さんがれいかを出荷するみたいじゃないか……」
「決めました。私は今日からビーガンになります。死ぬまでお肉は食べません」
「……あぁ、そう」
あと数時間で死ぬじゃないか、というツッコミはさすがに不謹慎だったので言わなかった。
「もうっ、前園さん! そこは、『あと数時間で死ぬじゃないか』って突っ込むところですよ!」
できるか!
れいかは、車まで歩けないと言って俺に背負われていた割には元気で、その後も内容の薄っぺらいトークに花を咲かせた。
ふと、れいかは思いついたように言った。
「あっ、鈴寧さん! 次のコンビニに寄ってくれますか?」
「コンビニ? いいけど、何か買うの? なら、買ってきてあげるけど」
「いえ、大丈夫です。自分で行きますので」
「……そう?」
コンビニの前に停車するや否や、れいかは脱兎の如く車から飛び降りると、そのままスタスタと店内へ入って行った。
「あいつ……めちゃくちゃ歩けるじゃねぇか……。俺が頑張って車に乗せたのはなんだったんだよ……」
三分ほど経って車内に戻ってきたれいかは、手に何も持っていなかった。
「ん? 何も買わなかったのか?」
「え? えぇ、まぁ」
れいかは嘘をつくのが下手だ。今も何か隠していることはすぐにわかったが、れいかが、それ以上聞いてくれるな、という顔をしていたので問い詰めたりはしなかった。
再び車が車道を走り始めると、れいかは思い出したように声を張った。
「あ、そうだ! 忘れるところだった! 前園さん、ちょっといいですか?」
「なんだ?」
「スマホ! 貸してください!」
「スマホ? 俺の?」
「はい!」
「……何する気だ」
「やだなぁ、前園さん! 人をそんな疑いの眼差しで見ないでくださいよ!」
「…………」
れいかは俺の質問には答えず、ただ手のひらを出して俺のスマホを要求した。さすがに普通なら自分のスマホを他人に貸したりはしなかったが、れいかが何をするのか興味があったので、パスワードを解除し、言う通りにスマホを手渡した。
するとれいかは、俺の目の前でスマホを操作し、二十三時ぴったりにアラームが鳴るように設定した。
「なんで……アラームなんか……」
わかりきったことを聞いた。
「だって、こうしておけば、私が死んだ瞬間がすぐにわかるでしょう?」
わかりきった答えが返ってきた。
れいかに「はいっ、ありがとうございました!」と返されたスマホの時刻は、二十一時ちょうどを指していた。
それはつまり、れいかが死ぬまで残り二時間ということだった。
◇ ◇ ◇
遊園地に到着したのは、それから三十分が経過した、二十一時三十分だった。
周囲にぽつぽつと外灯が設けられている駐車場。まだ遊園地で遊んでいる客がいるのか、車もいくつか停車している。
運転席に座っている鈴寧さんはどこかに電話をしたあと、
「やっぱり貸し切りは十時まで待たないとダメみたいね。れいかちゃん、どうする? 少し早いけど、もう中に入る?」
と、たずねたが、れいかからの返事はなく、俺と鈴寧さんがそろってれいかの方を見ると、れいかはまた眠ってしまっているようだった。
「あらら……。寝ちゃってるか。じゃあ起こすのもなんだし、待ってようかしら」
寝ているれいかを横目に、こっそりと小声で鈴寧さんに聞いた。
「あの、鈴寧さんはこういうこと、慣れてるんですか?」
「え? あぁ……。まぁね。でも、普段はもっと高齢の方だけどね」
「……そうですか」
すると、今度は鈴寧さんの方が俺に質問をした。
「あなたは、れいかちゃんがいなくなると悲しい?」
「……え?」
答えに窮していると、鈴寧さんはぽつりぽつりと語り始めた。
「れいかちゃんには言ってないんだけど、私はね、前かられいかちゃんの担当をすることが決まっていたの。れいかちゃんは若いから、他の人が誰も担当したがらなくってね」
「若いから?」
「えぇ。こういうこと言うのはあまりよくないんだろうけど、やっぱりどうしても、若い人が亡くなる方が精神的に辛いからね。だから、私が手を挙げたの。ちょうど、三年位前だったかな」
「三年前……」
「安息科の人間が、寿命を全うする一週間前からしか、その人のもとに現れないのは、それ以上長い付き合いをしてしまうと、私たちの心の方が参ってしまうからなの。……もちろん私も、れいかちゃんの担当をすると決まっても、一週間より前には直接会わないようにしていたわ。……けれど、年に一回、れいかちゃんが年齢を重ねるたび、資料が新しいものに差し替えられて……それがまるで、れいかちゃんが必死に生きようとしているみたいだと感じたわ……」
鈴寧さんは相変わらず淡々と語っていたけれど、どこか悲しそうな目をしていた。
「……辛い、仕事ですね」
「……えぇ。とっても……」
鈴寧さんは消え入りそうな声で、「あなたは大丈夫?」とたずねた。
「俺は……」
正直、その時が来るまでわからなかった。
れいかが死ぬ時、俺は悲しくて涙を流すのか、それとも、何もなかったようにけろっとしているのか。
れいかとの付き合いはたったの六日間だけ。それも、恋人でもなければ、親友でもない。けれど、れいかのことが特別かと聞かれれば、そうだと即答するだろう。
だったら、この感情をどう言葉にすればいいんだろうか……。
いろいろ考えたけれど、俺は鈴寧さんの質問に対する答えを見つけることはできなかった。