【第01章 『夢月れいかは邂逅する』 - 01】


 部屋の前方に用意された荘厳な祭壇には、色とりどりの生花がいけてある。てっきりこういう時は白い菊だけを使うものだと思っていたので、少し驚いた。

 花の甘い香りが漂う中、祭壇の目の前に座ったお坊さんが、聞きなれないお経を延々と唱えていて、時折、式に参列している人たちから鼻をすする音がした。

 居心地の悪さを感じながら、その祭壇の中央に陣取っている遺影に目を向けると、恥ずかしくなるほどムスッとした、不愛想な自分の顔が映っていた。

 もう少し愛嬌のある写真を選ぼうとしたが、アルバムに挟まっている私の顔写真はどれも似たようなものばかりで、仕方なくあの写真を選んだ。

 やっぱり、遺影用の写真撮ってもらえばよかったかな……。

 となりに座っている妹が一際大きな声で嗚咽を漏らすと、それに呼応して参列者の皆様もそこらかしこで声を押し殺して泣いた。

 私はこの居たたまれない空気に、ため息をつきそうになるのをこらえるので精いっぱいだった。

事の発端は十七年前、私が生まれた時に始まった。

 科学技術が進歩した現代では、人間の寿命を一分一秒まで正確に計測することができる。その技術が確立した当初は、寿命を本人に告知することは医師の裁量に委ねられていた。しかしそのうち、病院側が馬鹿高い報酬と引き換えに寿命の告知を行ったり、格安で寿命を教えてやるといい、嘘の寿命を教えて金銭を騙し取ったりする詐欺などが横行し、それらを重く見た政府によって、『寿命告知義務』という法律が定められた。

 この寿命告知義務という法律は、その名の通り、生まれたばかりの赤ん坊の寿命を計測し、担当医が必ず、その本人と家族に寿命を伝えなければいけないというものだ。

 ただし、寿命と一口に言っても、それが必ずしもその人が死亡する年齢になるとは断定できない。何故なら、本人の普段の生活サイクルや食事習慣、突発的な病気や怪我の有無などにより、寿命は短くなる場合があるからだ。

 そのせいか、寿命告知義務が制定されてから、寿命を維持することに執着する人が爆発的に増加し、今では寿命が長いことは自身の健康状態を示す一つのアドバンテージとなり、それだけで婚活や就職などで優遇されるようになった。

 そんな時代の流れのせいか、今では免許証などの身分証明書の欄に、本人の氏名、住所、生年月日の他、寿命が記載されるようになっている。

 いつの間にかお経を読み終えたお坊さんの代わりに、式場の司会者の女の人が、喪主であるお父さんが事前に書いた手紙を読み上げていた。

 普段は寡黙なお父さんも、椅子に座って肩を震わせてボロボロと泣いている。その姿を見ていると、なんだか私まで悲しくなってきた。

「それでは、れいか様、皆様に、一言お願いいたします」

 ゆっくりとした丁寧な口調で、司会を務めていた女の人が私を椅子から立たせた。その時にマイクを渡されそうになったけれど、恥ずかしくて断った。

 自分自身の遺影が飾られている祭壇の前に立ち、参列している人たちを見渡すが、みんなうつむきがちなため、頭頂部ばかりが並んでいて誰が誰かわからなかった。

「えっと……この度は、生前葬という形で私を送り出していただき、誠にありがとうございます。幼い頃、お医者様から、自分の寿命は十七歳までだと聞かされた時は酷く落ち込みましたが、家族の懸命な支えもあり、どうにかこれまで大きな病気や事故もなく、寿命まで生きることができました。本当にありがとうございました。残りわずか一週間の命となりましたが、どうか、それまでよろしくお願いします」

 わぁ、っとお母さんが大声で泣き崩れると、妹もお父さんも、他の親族たちも、式場に勤めている職員の人たちも、みんな一様に眉をひそめて悲しみに暮れた。

 私はその真っただ中で、苦虫を噛み潰したような心持ちだった。

 いい加減にしてよ……。

 お母さんは、私が小さい頃から、ごめんね、が口癖だった。強い体に産んであげられなくてごめんね、大人にしてあげられなくてごめんね、私なんかより先に死なせてごめんね。

 そんな言葉を毎日聞かされ続ければ、そりゃあ今の私のように、冷めた態度で自分自身の葬儀に参列できるようにもなるってものだ。

 こっちはもうとっくに腹をくくって死ぬ準備は万全なのに、それを寿命が尽きる一週間前になって、親族みんなで集まってシクシク泣かれても、今更何言ってんの? と思う他ない。

 それまで我慢していたため息が、意図せず口から漏れ出てしまい、それを隠すために涙を拭うフリをしてごまかした。

 あぁ……早く家に帰りたい。