【第08章 『前園幸助は何をすべきか理解する』】


 鈴寧さんの運転する車がれいかの家に到着した頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。しかも、いざれいかの家に着いてみれば、俺の実家のすぐ近くだったので、さらに驚いた。

 車内でもれいかは目を覚まさず、しかたなくずっと俺がとなりで支えて連れてきた。それかられいかを家族に引き渡すと、れいかはそのまま両親に運ばれて寝室の方へ消えて行った。

 靴は履いたまま、玄関先で家の中を見渡した。

 普通のどこにでもある一軒家。眠ったまま目を覚まさないれいかを見て、れいかの父親も母親も、妹も、みんなれいかのことを心配した。

 普通の、どこにでもいる優しそうな家族だった。

 同じく玄関にいた鈴寧さんが、一人残ったれいかの妹さんにペコリと頭を下げる。

「加奈(かな)さん、この人が前園くんです」

 自分の名前を呼ばれるとは思っていなかったので、少しぎこちなく頭を下げた。

「あ、どうも。前園です」

 加奈、と呼ばれたれいかの妹は、深々と丁寧にお辞儀をした。

「あなたが……。はじめまして。れいかの妹の加奈です。このたびは、姉がお世話になってます」
「いえ……」

 しっかりした子だな……。れいかよりもちゃんとしてるんじゃないか?

 加奈さんは、れいかとはあまり似ていないように感じた。短く切りそろえられた髪の毛のせいか、どこか溌剌とした印象がある。

「すいません、前園さん。前園さんが鈴寧さんと一緒にいると聞いたので、それでここまで連れてきてもらったんです」
「……あ、そうなんですか」

 鈴寧さんはもう一度頭を下げ、

「では、私はこれで。また用があれば連絡をください」
「はい。何からなにまでありがとうございます」

 鈴寧さんが家から出ていくと、加奈さんは「立ち話もなんですから」と俺を中に招き入れた。

 れいかの両親は寝室へ行ったきり戻ってこない。おそらく、目を覚まさないれいかのことが心配で寄り添っているのだろう。

 居間にあるソファーに座らされ、そこでしばらく待たされると、すぐ目の前にあるガラステーブルに紅茶が置かれた。

 加奈さんが、「どうぞ」とその紅茶を飲むよう促すので、一口だけ飲み込んだ。

「……それで、どうして俺をここへ?」

 さっそく本題に入ろうと加奈さんを見やるが、加奈さんはぼうっと俺の顔を見つめているばかりだった。

「あの、加奈さん?」
「あっ! すいません! ちょっと、気になってしまって……」
「気になる?」

 加奈さんは自分の分の紅茶をすすると、また俺の顔を一瞥した。

「だって、あなたは姉が選んだ、特別な人ですから」
「特別な人?」
「はい。……姉はもともと内気な性格でしたが、数年前からはそれが顕著で、最近では部屋に引きこもりがちでした。きっと、死期が近くなって落ち込んでいたんだと思います。……ここ一年ほどは特にそれがひどくて、姉は私たち家族を避けるようになっていました。……でも、数日前、姉は私たち家族の前で、頭を下げてこんなことを言ったんです」

 加奈さんは紅茶のカップを両手で持ったまま、どこか嬉しそうに言った。

「やりたいことができました。だから私は、あなたたちの前で死ぬことはできませんって」
「やりたいこと……」
「詳しいことは教えてくれませんでした。でも、そのやりたいことというのが、前園さんに関連することだということは、あとでこっそり鈴寧さんが教えてくれました」

 あぁ、そうか……。加奈さんも、他の家族も、どうしてれいかが俺に接触しているのか知らないのか……。

 加奈さんは紅茶をすすると、れいかがたまにする、いたずらっぽい表情に変わって、

「それでですね、前園さんとお姉ちゃんは、いったいどういう関係なんですか? もしかして、恋人ですか?」
「い、いや、違う違う。俺とれいかはただの――」

 ただの……なんだ? 知り合い? 友達?

 俺が言葉に詰まると、加奈さんは残念そうにため息をついた。

「はぁ……。とりあえず、恋人ではないんですね……。残念です。お姉ちゃんは結局、一度も恋というものを知ることはなかったんですね」

 適当に苦笑いでごまかしていると、加奈さんは思い出したようにつけ加えた。

「そういえば、鈴寧さんから聞いたんですけど、前園さんも小説を書いてるんですよね? もしかして、二人は創作仲間とかそんな感じの関係なんですか?」
「……え? 俺も(・)? 『も』って、どういう――」

 頭の中で、すべてのピースが繋がった。

 どうしてれいかが俺を選んだのか、それが今、はっきりとわかった。

 俺は長い長いため息をつき、ガラステーブルに置いてあった紅茶をすすった。

「前園さん? どうかしましたか?」
「いや、なんでもない」

 空になったカップを置き、今度は俺から話し始めた。

「そうだ。ちょっと面白い話があるんだ」
「面白い話?」
「この前、れいかのやつ、俺の大学の知り合いに水をぶっかけて大変だったんだ」
「えっ!? あの温厚なお姉ちゃんが!?」
「すごい剣幕で怒ってて手がつけられなかったんだ」
「く、詳しく教えてください! お姉ちゃんの話、もっと聞きたいです!」

 それからしばらく、俺は、俺の知っているれいかの話を加奈さんに聞いてもらい、滞りなく更けていく夜に身を任せた。

◇ ◇  ◇

 加奈さんと別れ、れいかの家をあとにしたのち、俺はこっそり自分の実家へと帰ってきていた。

 目的だけ済まして誰にも気づかれないように帰ろうと思っていたのだが、玄関をくぐった瞬間、すぐそこに美咲が立っていた。

「あれ? お兄ちゃん? どうしたの、こんな夜中に」
「あ……。お、おぉ……」
「ていうか、帰ってくる時は連絡ちょうだいってこないだも言ったよね?」
「い、いや、だって……すぐ帰るし」
「なんでよ! 自分の家なんだからゆっくりしていきなよ!」
「……あはは」

 さっさと目的だけ済まして帰ろう……。

 美咲の脇を通り抜け、さっさと自分の部屋がある二階へ上がろうとすると、美咲は俺の服の裾を指で摘まんだ。

「なんだよ……」

 美咲はこちらを見ずに、不安そうな声でたずねた。

「ねぇ、お兄ちゃん。夢月さんってさ、体、大丈夫なの?」

 れいかは、自分の寿命のことを同級生には伝えておらず、無論、美咲もそのことを知らなかった。

「……どうして?」
「だって、夢月さん、あれからずっと学校来ないし……。この前、先生に夢月さんのこと聞いたら……先生、泣いてた……」
「……そうか」
「ねぇ、お兄ちゃん。夢月さんは、大丈夫なの?」

 れいかが話していない以上、俺から寿命の話を美咲にするわけにはいかなかった。けれど、こんなにも不安そうな妹を放っておくことも、俺にはできなかった。

 俺は美咲の頭に手をのせ、

「大丈夫だ。れいかには俺がついてる」
「……ほんと?」
「あぁ。だから安心しろ」
「……うん。わかった」

 美咲を宥めたあと、久々の自室へ入ると、そこは綺麗に掃除されていた。

「……美咲か母さんだな。勝手に部屋に入るなって言ってるのに……」

 幸いにも部屋のものが動かされた形跡はなく、俺はなんなく、探していたアルバムを見つけ出すことができた。

 そして、分厚いアルバムをパラパラとめくると、一枚の写真を発見し、それをアルバムから抜き取った。

「やっぱり、これだ……。これが、すべての始まりだったんだ」