【第04章 『前園幸助はデートに興じる』 - 03】


『世界の変わったキノコ展』を鑑賞し終えると、れいかはお手洗いに行くと言い残し、一人残された俺は公民館のエントランスに設置されたベンチに腰かけていた。

 れいかとずっと一緒にいると、れいかがあと五日で死んでしまうのだということをどうしても忘れてしまう瞬間がある。そしてそう思ったあとには必ず、れいかにはそんな瞬間なんて訪れないのだろうと想像してしまう。

 たった十七年で死ぬと告げられた人生に、救いは訪れるのだろうか。

 コッコッコ、とこちらに近づいてくる足音に視線を向けると、何やられいかがスマホを耳に当てながら誰かと言葉を交わしていた。

「ほんとですかっ!? 助かります! ……えぇ。……えぇ。まぁ、鈴寧さんのおかげでそこそこ順調です。……はい。……はい。では、よろしくお願いします」

 れいかは俺の目の前で電話を切ると、ガッツポーズをして、

「喜んでください前園さん! 鈴寧さんのおかげで大会議室に入れることになりましたよ!」
「鈴寧さん? それって、前話してた優秀なサポーターってやつか?」
「そうです! 安息科の鈴寧さんです!」

 安息科、ねぇ。役所に言ったらそんな窓口があったっけ。全然人並んでなかったけど……。

「俺、もう疲れたんだけど……」
「なぁに言ってるんですか! ここに来た目的を忘れたんですか! 失ってしまった情熱を取り戻すんでしょう!?」

 まだ言ってる……。

「さぁ、ここからが本番ですよ!」

 俺は強引に背中を押され、再び公民館の奥へ連れて行かれることとなった。

◇ ◇  ◇

 大会議室の扉の鍵は、お役所仕事とは思えないほどすんなりと手渡された。

 鍵を受け取ったれいかは「これも私がもうじき死ぬおかげですね!」と自慢げに言い、俺は苦笑いで返答した。

 大会議室へ行ったからと言って、俺が再び小説のラストシーンを書けるようになるとは到底思えなかったが、そこへ続く廊下を歩いていると、否応なしに過去の記憶は呼び起こされていった。

◇ ◇  ◇

 中学一年生の時、初めて自分の小説が他人に評価されたことが、とてつもなく嬉しくて、そのことが誇らしくてたまらなかった。

 俺が獲った最優秀賞以外にも、優秀賞や佳作などで受賞した中学生がいて、それらは毎年数十冊だけ冊子として作られ、受賞者や参列者に配られたのがまた一段と嬉しかった。他の受賞者の小説と自分の小説とを、どきどきしながら読み比べていたのをよく覚えている。

 けれど、受賞したことを同級生に伝えても、興味を持ってくれる人はほとんどいなかった。読書が趣味だという生徒は何人かいたが、俺と同じように小説を書いているという人とは出会わなかった。

 けど、たとえ同級生の関心が得られずとも、俺は執筆をやめなかった。

 そして中学二年生の時、またもここで授賞式に呼ばれることとなった。

 勝手がわかっている分、壇上に上がってもあまり緊張せずに賞状を受け取ったのを覚えている。

 一度目と同じで、やはり自分の小説が他人に評価されることは嬉しかった。そしてその時も、俺は相手が興味を持っていないことを知りながら、同級生にそのことを自慢するように話したのを覚えている。

 そしたらその時、クラスメイトの誰かがこんなことを言った。

「それって、受賞しても本屋さんで売られないんでしょ? だったら意味ないじゃん」

 意味がない、というその言葉を、俺はどう捉えたらいいのかわからなかった。

 怒るわけでもなく、悲しむわけでもなく、ただ、意味がないという言葉を心の中で何度も噛み締めた。

 そしてそんな思いを抱えながらも、俺はその翌年、またここへやってくることとなる。

◇ ◇  ◇

「着きましたよ。今、鍵を開けますね」

 れいかの言葉で、呼び起こされていた記憶から現実へ戻ってくると、眼前には重厚な両開きの扉が立ちはだかっていた。

 れいかは持っていた鍵をガチャガチャと鳴らし、開錠した。

 そして音もなく開かれた扉の向こうには、見覚えのあるだだっ広い空間があった。手入れの行き届いたフローリングの床。高い天井。隅には四人用パイプが畳まれて一か所に集められていて、最奥には俺が賞状を受け取った時に上がった舞台があった。

 扉を押し開いたれいかは、誰もいない大会議室に入ると、両手を広げてその場でくるりと回ってみせた。

「すごいですね! こんな広い場所に、今は私たちだけですよ!」

 その声や足音も驚くほど響き、俺は少し気後れしながらもあとに続いた。

「実際に授賞式が行われてた時にはたくさん人がいたから、こんな静かなのは初めてだな」
「鬼ごっことかしちゃいますか!?」
「なんでだよ。しちゃわねぇよ」

 誰もいない大会議室にテンションが上がったのか、れいかは時折奇声を上げながらトコトコとそこら辺を駆け回り、舞台に上がると、ちょいちょちとこちらに手招きをした。

「わざわざ上がる必要なんてないだろ」
「まぁまぁ、そう言わずに」

 しぶしぶ壇上に上がり、れいかの右隣に立つと、れいかは「逆ですよ、前園さん」と言って、俺と立ち位置を入れ替えた。

 いったいなにが逆なのかわからなかったが、れいかはそのまま、壇上から室内を見下ろして言った。

「いい景色ですね。ここから他人を見下ろせば、きっとゴミのように見えることでしょう」
「もしこの距離で他人がゴミのように見えたのなら、それは見えた本人の心がゴミのようなだけだろうな」
「では、授賞式の日、前園さんにはどんな景色が見えたんですか?」
「……あの時、俺は――」

 答えようとして、ふと思い出したのは三度目の授賞式の日のことだった。

 同級生の「意味がない」という言葉を引きずりながらも、毎年開催しているこの賞に応募するよう、母や教師からしつこく言われ、しかたなく応募し、そして、三度目の最優秀賞を受賞した。

 記憶を手繰り寄せながら、当時の自分を振り返る。

「――恥ずかしかった」

 言葉にしてから、改めて思う。

 そうだ。あの時俺は、とてつもなく恥ずかしかったのだ。

「どうせ受賞したところで、本になって売られるわけでもないのに、そんなことで他人から褒められることが恥ずかしかったんだ」
「……ならどうして、未だにその時の賞状を大切に保管しているんですか? わざわざ実家からアパートに持ってきたりして」
「……あれは、昔を思い出せば、また小説のラストシーンが書けるようになるかと思って実家から持ってきたんだ。……でも、今の今まで、恥ずかしかったと感じたことすら忘れていた……」

 横にいたれいかが一歩俺に近くと、その足元の床がぎしりと軋んだ。

 れいかは淡々と、まるで感情を押し殺すように呟いた。

「忘れていた方がいいことも、世の中にはたくさんありますからね」
「……れいか?」

 どこか普段と違うれいかの様子が気になったが、当のれいかはけろっとした顔で「さ、もうそろそろ帰りましょうか」と、帰宅を促し、俺たちはそのまま現地で解散した。