【第04章 『前園幸助はデートに興じる』 - 02】
駅から公民館までは歩いて五分ほどだったが、れいかの重くなった足取りに合わせていると、到着した頃には十分以上が経過していた。
公民館の前には小さな看板が掲げられており、そこにはカラフルな柄の折り紙を切り貼りして、『世界の変わったキノコ展』という文字が模(かたど)られていた。
その看板のすぐ横に置いてあったパンフレットを開いてみると、簡単なキノコの豆知識や、館内マップなんかが載っている。
事前にスマホで調べた情報によると、この『世界の変わったキノコ展』はどこかの大学のサークルが主催なのだそうだが、パンフレットの作りから見ても意外としっかりしていて驚いた。
『世界の変わったキノコ展』と銘打っているからには、てっきり館内マップが世界地図のように分類されているものだと思っていたが、実際には『かっこいいキノコ』だの、『かわいいキノコ』だの、素人でもわかりやすく興味を引く作りになっていた。
「へぇ。あんまり乗り気じゃなかったけど、意外と面白そうだな」
そう言ってれいかの方を見ると、俺が広げているパンフレットを興味深そうに盗み見ていた。美咲と別れてから口数が少なくなっていたれいかだったが、どうやら乗り気なようで安心した。
「とにかく中に入ってみるか」
こくんと小さく頷いたれいかを引き連れ、中学生の頃以来となる公民館へ足を踏み入れた。
俺が以前、ここで催された短編小説の授賞式に出席した際には、大会議室という、まるで学校の体育館のような場所で行われていたが、どうやら『世界の変わったキノコ展』は、ギャラリーと呼ばれる別の場所らしかった。
いつの間にか俺からパンフレットを奪い取り、それを熟読していたれいかもそのことに気がついたようで、
「残念ですね。授賞式が実際に行われたという大会議室には入れないみたいです。これじゃあ、せっかく前園さんに昔の情熱を取り戻してもらおうと思った計画がパーです」
「だな。ま、ここまで来たんだし、せっかくだからキノコくらい拝んでいくか」
「ですねー」
ギャラリーと呼ばれる場所に近づくにしたがって、それまで明るかった館内の雰囲気が徐々に暗くなっていき、耳にはゆったりとしたBGMが聞こえ始めた。
思ってたより雰囲気があるな……。それに人も少ないし……。こんなところで二人きりでいるとなんか……。
「なんだかデートみたいですね」
突然、れいかがそんなことを耳打ちしたので、不意を突かれた俺はびくりと肩を強張らせてしまった。
「な、なに言ってるんだよ。そんなわけないだろ。……ったく」
そんな強がりを言ってみたものの、動揺は隠しきれず、俺のしどろもどろになった態度がおもしろかったのか、れいかはクスクスといたずらっぽく笑っていた。
「冗談ですよ、冗談」
「……あたりまえだ」
これまで小説にかかりきりで女性経験はあまりなかった俺でも、さすがに昨日会ったばかりの女子高生を異性として意識することはできなかった。きっと、それは向こうも同じだろう。
ようやく目の前にギャラリーがやってくると、俺はれいかの冗談から逃げるように、そそくさのその中へ入った。
ギャラリーと呼ばれる場所は、そこそこの広さがあり、その一角にだけ黒っぽい絨毯が敷き詰められていた。
壁やら、いくつか設置された衝立(ついたて)には、キノコの写真が貼り出されていて、その下にはキノコの簡単な説明文が載っていた。どちらかと言えば説明文よりも写真の方がメインのようで、至る所に置かれた間接照明は全て写真を照らしていた。
「前園さん、前園さん! これ、見てくださいよ!」
少し先を歩いていたれいかが、自分の目の前にある写真を指差して、他に人もいないというのに小声で俺を手招いた。
呼ばれるがままにれいかのとなりへ行き、写真を見ると、何やらどこかで見たことのある装いのキノコの写真があった。
名前はチチアワタケ。傘の部分が平べったい楕円形で、その上半分が茶色く、下半分が白くなっている。見た目は完全にどら――
「どら焼きですよ! どら焼き! 前園さんもそう思いますよね!?」
「……どら焼きだな」
「ですよね!」
変わったキノコもあるもんだ……。
写真の下にある説明文を読んでいるれいかが、これまた興奮気味に言った。
「うわっ! しかもこれ食べられるらしいですよ! すごくないですか!?」
なにがすごいのかはちょっとわからなかったが、とりあえず「甘そうだな」とだけ言うと、「ですよね!」と同意が得られた。
ふと、その横にある赤色のキノコが目に留まった。
「おっ。このキノコ、綺麗な色してるな」
「どれですか? あぁ、たしかに。えぇ~っと……名前はカエンタケ。……猛毒があり、食べると死ぬ……。触れただけでも炎症を起こす……って、だめじゃないですか!」
「なにがだめなんだよ。毒持ってても綺麗なもんは綺麗だろ」
「でも食べられないならダメなんですよ!」
「ダメではないだろ……」
「そんな危険物より、こっちを見てください!」
「どれだ?」
れいかが指差した背後を振り返ると、衝立に一枚のキノコの写真があった。ボールのように丸くて、白くてもこもこしている。果たしてこれが本当にキノコなのだろうか。
「ヤマブシタケっていうそうですよ! めちゃくちゃかわいくないですか!?」
「……白いな」
「しかも食べられるらしいですよ!」
その情報は重要か?
その後もあれやこれやとキノコの写真を見ては、れいかの胃袋判定による無慈悲なジャッジが繰り返された。
そして思いのほか楽しめた『世界の変わったキノコ展』も終わりに差し掛かったころ、れいかは一枚のキノコの写真の前で足を止めた。
俺もれいかに倣い、その写真を見てみると、そこには一匹の芋虫から草のようなキノコが伸びていた。
「冬虫夏草か。これはさすがに名前くらいは聞いたことがあるな。たしか、昆虫に寄生するキノコで、漢方として高値で取引されてるんだっけ」
「えぇ……。そうですね……」
「これがどうかしたのか?」
れいかは冬虫夏草の写真からは目を離さず、どこか寂しげに呟いた。
「羨ましいですね……」
「羨ましい? 冬虫夏草が?」
「いえ、そっちじゃなくて、冬虫夏草に寄生された芋虫が、ですよ」
「寄生された芋虫が羨ましいって……。どうしてだ? そもそもこの芋虫は冬虫夏草に寄生さえされなければ、蝶になって空を飛び回ってたかもしれないだろ」
「そうですね……。でも、もしかするとこの芋虫は、他の芋虫よりも寿命が短くて、寄生されていなくても、蝶にはなれずに死んでしまっていたかもしれません」
「…………」
「それが、冬虫夏草に寄生されることで、死んでからも重宝される存在へと生まれ変わったのだとしたら。……それは、幸せなことだと思いませんか?」
れいかは、あと五日で死んでしまう自分と、冬虫夏草に寄生された芋虫とを重ねているのかもしれない。そう考えると不用意なことは言えず、「……さぁ。どうだろうな」と当たり障りのない返答を選んだ。
するとれいかがどこか寂しそうな顔をしたので、思わず「でも、食べられることは間違いない」とつけ加えた。
そうすると今度は、ぷっと噴き出してから、「なんですか、それ」と、れいかは楽しそうに笑った。
駅から公民館までは歩いて五分ほどだったが、れいかの重くなった足取りに合わせていると、到着した頃には十分以上が経過していた。
公民館の前には小さな看板が掲げられており、そこにはカラフルな柄の折り紙を切り貼りして、『世界の変わったキノコ展』という文字が模(かたど)られていた。
その看板のすぐ横に置いてあったパンフレットを開いてみると、簡単なキノコの豆知識や、館内マップなんかが載っている。
事前にスマホで調べた情報によると、この『世界の変わったキノコ展』はどこかの大学のサークルが主催なのだそうだが、パンフレットの作りから見ても意外としっかりしていて驚いた。
『世界の変わったキノコ展』と銘打っているからには、てっきり館内マップが世界地図のように分類されているものだと思っていたが、実際には『かっこいいキノコ』だの、『かわいいキノコ』だの、素人でもわかりやすく興味を引く作りになっていた。
「へぇ。あんまり乗り気じゃなかったけど、意外と面白そうだな」
そう言ってれいかの方を見ると、俺が広げているパンフレットを興味深そうに盗み見ていた。美咲と別れてから口数が少なくなっていたれいかだったが、どうやら乗り気なようで安心した。
「とにかく中に入ってみるか」
こくんと小さく頷いたれいかを引き連れ、中学生の頃以来となる公民館へ足を踏み入れた。
俺が以前、ここで催された短編小説の授賞式に出席した際には、大会議室という、まるで学校の体育館のような場所で行われていたが、どうやら『世界の変わったキノコ展』は、ギャラリーと呼ばれる別の場所らしかった。
いつの間にか俺からパンフレットを奪い取り、それを熟読していたれいかもそのことに気がついたようで、
「残念ですね。授賞式が実際に行われたという大会議室には入れないみたいです。これじゃあ、せっかく前園さんに昔の情熱を取り戻してもらおうと思った計画がパーです」
「だな。ま、ここまで来たんだし、せっかくだからキノコくらい拝んでいくか」
「ですねー」
ギャラリーと呼ばれる場所に近づくにしたがって、それまで明るかった館内の雰囲気が徐々に暗くなっていき、耳にはゆったりとしたBGMが聞こえ始めた。
思ってたより雰囲気があるな……。それに人も少ないし……。こんなところで二人きりでいるとなんか……。
「なんだかデートみたいですね」
突然、れいかがそんなことを耳打ちしたので、不意を突かれた俺はびくりと肩を強張らせてしまった。
「な、なに言ってるんだよ。そんなわけないだろ。……ったく」
そんな強がりを言ってみたものの、動揺は隠しきれず、俺のしどろもどろになった態度がおもしろかったのか、れいかはクスクスといたずらっぽく笑っていた。
「冗談ですよ、冗談」
「……あたりまえだ」
これまで小説にかかりきりで女性経験はあまりなかった俺でも、さすがに昨日会ったばかりの女子高生を異性として意識することはできなかった。きっと、それは向こうも同じだろう。
ようやく目の前にギャラリーがやってくると、俺はれいかの冗談から逃げるように、そそくさのその中へ入った。
ギャラリーと呼ばれる場所は、そこそこの広さがあり、その一角にだけ黒っぽい絨毯が敷き詰められていた。
壁やら、いくつか設置された衝立(ついたて)には、キノコの写真が貼り出されていて、その下にはキノコの簡単な説明文が載っていた。どちらかと言えば説明文よりも写真の方がメインのようで、至る所に置かれた間接照明は全て写真を照らしていた。
「前園さん、前園さん! これ、見てくださいよ!」
少し先を歩いていたれいかが、自分の目の前にある写真を指差して、他に人もいないというのに小声で俺を手招いた。
呼ばれるがままにれいかのとなりへ行き、写真を見ると、何やらどこかで見たことのある装いのキノコの写真があった。
名前はチチアワタケ。傘の部分が平べったい楕円形で、その上半分が茶色く、下半分が白くなっている。見た目は完全にどら――
「どら焼きですよ! どら焼き! 前園さんもそう思いますよね!?」
「……どら焼きだな」
「ですよね!」
変わったキノコもあるもんだ……。
写真の下にある説明文を読んでいるれいかが、これまた興奮気味に言った。
「うわっ! しかもこれ食べられるらしいですよ! すごくないですか!?」
なにがすごいのかはちょっとわからなかったが、とりあえず「甘そうだな」とだけ言うと、「ですよね!」と同意が得られた。
ふと、その横にある赤色のキノコが目に留まった。
「おっ。このキノコ、綺麗な色してるな」
「どれですか? あぁ、たしかに。えぇ~っと……名前はカエンタケ。……猛毒があり、食べると死ぬ……。触れただけでも炎症を起こす……って、だめじゃないですか!」
「なにがだめなんだよ。毒持ってても綺麗なもんは綺麗だろ」
「でも食べられないならダメなんですよ!」
「ダメではないだろ……」
「そんな危険物より、こっちを見てください!」
「どれだ?」
れいかが指差した背後を振り返ると、衝立に一枚のキノコの写真があった。ボールのように丸くて、白くてもこもこしている。果たしてこれが本当にキノコなのだろうか。
「ヤマブシタケっていうそうですよ! めちゃくちゃかわいくないですか!?」
「……白いな」
「しかも食べられるらしいですよ!」
その情報は重要か?
その後もあれやこれやとキノコの写真を見ては、れいかの胃袋判定による無慈悲なジャッジが繰り返された。
そして思いのほか楽しめた『世界の変わったキノコ展』も終わりに差し掛かったころ、れいかは一枚のキノコの写真の前で足を止めた。
俺もれいかに倣い、その写真を見てみると、そこには一匹の芋虫から草のようなキノコが伸びていた。
「冬虫夏草か。これはさすがに名前くらいは聞いたことがあるな。たしか、昆虫に寄生するキノコで、漢方として高値で取引されてるんだっけ」
「えぇ……。そうですね……」
「これがどうかしたのか?」
れいかは冬虫夏草の写真からは目を離さず、どこか寂しげに呟いた。
「羨ましいですね……」
「羨ましい? 冬虫夏草が?」
「いえ、そっちじゃなくて、冬虫夏草に寄生された芋虫が、ですよ」
「寄生された芋虫が羨ましいって……。どうしてだ? そもそもこの芋虫は冬虫夏草に寄生さえされなければ、蝶になって空を飛び回ってたかもしれないだろ」
「そうですね……。でも、もしかするとこの芋虫は、他の芋虫よりも寿命が短くて、寄生されていなくても、蝶にはなれずに死んでしまっていたかもしれません」
「…………」
「それが、冬虫夏草に寄生されることで、死んでからも重宝される存在へと生まれ変わったのだとしたら。……それは、幸せなことだと思いませんか?」
れいかは、あと五日で死んでしまう自分と、冬虫夏草に寄生された芋虫とを重ねているのかもしれない。そう考えると不用意なことは言えず、「……さぁ。どうだろうな」と当たり障りのない返答を選んだ。
するとれいかがどこか寂しそうな顔をしたので、思わず「でも、食べられることは間違いない」とつけ加えた。
そうすると今度は、ぷっと噴き出してから、「なんですか、それ」と、れいかは楽しそうに笑った。