「ガッハハハッ!」
家の中に響いた低く大きな声が、僕を現実へ呼び戻した。
左瞼だけ開けて部屋を見渡してみるが、アオイの声は聞こえない。
右手で床を弄って携帯電話を探す。
固く四角い物に当たり、それを手にして画面を開いた。
七時半を回った夏空の下、既に虫たちは仕事を始めていた。
右瞼も開けて、汗ばむ上半身を起こした。
朝日で熱せられた空気が、肌に張り付いて身体が重い。
昨日、タイマーを付けたまま寝てしまったようだ。
夢のなごりが今も胸の中で騒ぎ立て、僕は虚空を見つめる。
二日ぶりの静寂が部屋に流れる。
しばらくして、アオイの慌ただしい声が聞こえてきた。
「あ、あれ⁉おはよう、テツヤ。起きたんだ」
「…おはよう…」
乾いた声帯を震わせて、ざらつく声で挨拶をした。
「大丈夫?何か難しい顔してるけど…」
僕の顔がいつもと違ったのか、アオイが心配そうに声をかけてきた。
「あぁ…大丈夫」
まだ、自分の中でもうまく整理できていない状態なので、僕は平然を装った。
「ならいいんだけど…あっ、そうそう…ちょっと前にね、チャイムが鳴って、大きな声がしたから見に行ったの。そしたら、リビングにお洒落なおじさんがいたんだけど…」
問題ないことを聞いて安心したのか、アオイが少し興奮した様子で自分が見てきた様子を伝えてきた。
僕は立ち上がり、敷布団を畳みながらアオイの疑問に答える。
「あぁ…多分、父さんが帰ってきたんだよ」
周章な声を出すアオイが、さらに質問してきた。
「やっぱそうなの⁉お父さん、めっちゃお洒落じゃん!何やってる人なの?」
小さくなった敷布団をクローゼットへ入れながら、父さんの事を話した。
「父さんは、<zip>って美容室を経営してるんだけど?知ってる?」
「え゛~~~!!」
アオイの吃驚した声が、仕事前の頭の中に響き渡った。
あまりの声の大きさに、僕は無意識に耳を塞いでしまった。
「アオイ、もうちょっとボリューム抑えてくれ。頭がうるさい…」
「ごめん、ごめん。つい、ビックリしちゃって…。<zip>ってめっちゃ有名な美容室だよ!私も何回か行ったことあるし!」
興奮冷めやらぬ様子で謝るアオイに、僕は軽いお辞儀をして礼を伝える。
「おっ、そうなの?御来店いただきありがとうございます」
頭を上げて、充電器から携帯電話を抜き、話を続けた。
「まぁ、そういうことだから他の店にいる美容師さんの教育とかしなくちゃいけないらしくて、全国を飛び回ってるってわけ…」
暑さが蔓延る部屋を後にして、ベタつく足で階段を降りた。
扉の中から忙しない音がする洗面所へ入る。
流水で顔を洗っていると、アオイが不思議そうに声をかけてきた。
「ふぅん、何か、大変そう…。てかさ…テツヤの親族、凄い人多くない?」
「それな…」
激しく同意する!という念をその言葉に乗せて、リビングの扉を開いた。
扉を開くと芳醇なコーヒーの香りが鼻を襲った。
「おう。テツヤ、起きたんか?夏休みなんに早起きやなぁ」
朝から張りのある快活な声が、ソファの方から聞こえてきた。
そこには、丸眼鏡にゆるいパーマをかけた父さんがコーヒーを啜って右手を上げていた。
「あら、今日も早起きね」
そう言う母さんは、台所で忙しなく朝ご飯の準備をしていた。
僕は父さんの向かいのソファに座り、二人に挨拶をした。
「おはよう。父さん、帰って来れたんやね」
細い体躯に鮮麗されたファッションは自分の父親とは思えないほど上品な雰囲気を醸し出していた。
(テツヤのお父さん、めっちゃ雰囲気あってカッコいいだけど…ウチのパパと大違い)
大人の色香を出す父さんに、アオイは驚嘆する。
「いや、大変やったわ!始発の新幹線乗って、さっき家着いたんよ」
「へぇ。大変やったね…」
朝から全力で身振り手振りを使って話すその姿に、今日は少し救われた気がした。
「愛しの家族に会うためやけ、お父さん…頑張ったんよ。あっ、そうやった、そうやった!」
すると父さんは立ち上がり、ソファの横に置いたキャリーバッグの中をガサゴソと漁り始めた。
「テツヤ、今回のお土産は驚くぞぉ…ジャジャーン!!今回は下関のフグ刺しとフグの唐揚げ、あとは…なんか色々、フグのヤツ買ってきた!!夕飯にでも、みっちゃんと食べなさい」
父さんはキャリーバッグから、次々にお土産を出しては自慢げに僕に見せた。
(えっ⁉︎やったーー!!フグだぁ!フグ!ってかさ…テツヤ、みっちゃんって…誰?)
頭の中ではしゃぐアオイが、当然疑問に思うであろう質問をしてきた。
僕は少し恥ずかしい気持ちを抑えて、アオイの質問に答える。
(…母さんのことだよ)
(あっ、そうなの?奥さんの事、あだ名で呼ぶなんて仲良いんだね)
僕はアオイの言葉にあえて反応せずに、父さんに礼を伝えた。
「父さんありがとう。母さんと…ってことは父さんは、またすぐ出るの?」
「せやね。今日は荷下ろしするためだけに寄ったんもあるけど…久しぶりに哲也の髪を切ろうと思ってな!あっ、みっちゃん。コレ…冷蔵庫…」
そう言ってお土産を持って、台所にいる母さんの所へ向かって行った。
「もう!そういう冷蔵するヤツは早く出してよ!」
母さんは濡れた手をタオルで拭きながら、父さんからお土産を受け取った。
「あぁ、ゴメンね。みっちゃん!ついつい、久しぶりにみっちゃんに会って舞い上がっちゃって…忘れてた…わるす。」
頭を掻きながらバツが悪そうにする父さんは、様々なフグ土産を母さんに渡してる。
「もう!テツヤがいるんだから、そういう恥ずかしいことはあまり言わないでって言ってるでしょ!」
母さん達のいつものやり取りを耳に流しながら、キャリーバックの中から出てきたフグの煎餅やヒレを手に取っていると、甘く爽やかな匂いに包まれた。
「いや、だって事実やから。うん、うん。さてさて、哲也くん…父さん、九時前には家出んといけんけ、寝起きのトコ悪いけど、今から風呂場で断髪式だ!レッツら、ゴー!」
僕の肩に手を回してきた父さんが、鼻歌混じりに無理矢理リビングから僕を連れ出した。
(なんか…テツヤのお父さんって…なんていうか…スゴイね…)
アオイが、言葉を選んでいるのがヒシヒシと伝わってくる。
(アオイが言いたいことは分かるよ…うん)
僕の右肩に置かれた練熟されて荒れた手は、楽しそうに垂れ下がっていた。
家の中に響いた低く大きな声が、僕を現実へ呼び戻した。
左瞼だけ開けて部屋を見渡してみるが、アオイの声は聞こえない。
右手で床を弄って携帯電話を探す。
固く四角い物に当たり、それを手にして画面を開いた。
七時半を回った夏空の下、既に虫たちは仕事を始めていた。
右瞼も開けて、汗ばむ上半身を起こした。
朝日で熱せられた空気が、肌に張り付いて身体が重い。
昨日、タイマーを付けたまま寝てしまったようだ。
夢のなごりが今も胸の中で騒ぎ立て、僕は虚空を見つめる。
二日ぶりの静寂が部屋に流れる。
しばらくして、アオイの慌ただしい声が聞こえてきた。
「あ、あれ⁉おはよう、テツヤ。起きたんだ」
「…おはよう…」
乾いた声帯を震わせて、ざらつく声で挨拶をした。
「大丈夫?何か難しい顔してるけど…」
僕の顔がいつもと違ったのか、アオイが心配そうに声をかけてきた。
「あぁ…大丈夫」
まだ、自分の中でもうまく整理できていない状態なので、僕は平然を装った。
「ならいいんだけど…あっ、そうそう…ちょっと前にね、チャイムが鳴って、大きな声がしたから見に行ったの。そしたら、リビングにお洒落なおじさんがいたんだけど…」
問題ないことを聞いて安心したのか、アオイが少し興奮した様子で自分が見てきた様子を伝えてきた。
僕は立ち上がり、敷布団を畳みながらアオイの疑問に答える。
「あぁ…多分、父さんが帰ってきたんだよ」
周章な声を出すアオイが、さらに質問してきた。
「やっぱそうなの⁉お父さん、めっちゃお洒落じゃん!何やってる人なの?」
小さくなった敷布団をクローゼットへ入れながら、父さんの事を話した。
「父さんは、<zip>って美容室を経営してるんだけど?知ってる?」
「え゛~~~!!」
アオイの吃驚した声が、仕事前の頭の中に響き渡った。
あまりの声の大きさに、僕は無意識に耳を塞いでしまった。
「アオイ、もうちょっとボリューム抑えてくれ。頭がうるさい…」
「ごめん、ごめん。つい、ビックリしちゃって…。<zip>ってめっちゃ有名な美容室だよ!私も何回か行ったことあるし!」
興奮冷めやらぬ様子で謝るアオイに、僕は軽いお辞儀をして礼を伝える。
「おっ、そうなの?御来店いただきありがとうございます」
頭を上げて、充電器から携帯電話を抜き、話を続けた。
「まぁ、そういうことだから他の店にいる美容師さんの教育とかしなくちゃいけないらしくて、全国を飛び回ってるってわけ…」
暑さが蔓延る部屋を後にして、ベタつく足で階段を降りた。
扉の中から忙しない音がする洗面所へ入る。
流水で顔を洗っていると、アオイが不思議そうに声をかけてきた。
「ふぅん、何か、大変そう…。てかさ…テツヤの親族、凄い人多くない?」
「それな…」
激しく同意する!という念をその言葉に乗せて、リビングの扉を開いた。
扉を開くと芳醇なコーヒーの香りが鼻を襲った。
「おう。テツヤ、起きたんか?夏休みなんに早起きやなぁ」
朝から張りのある快活な声が、ソファの方から聞こえてきた。
そこには、丸眼鏡にゆるいパーマをかけた父さんがコーヒーを啜って右手を上げていた。
「あら、今日も早起きね」
そう言う母さんは、台所で忙しなく朝ご飯の準備をしていた。
僕は父さんの向かいのソファに座り、二人に挨拶をした。
「おはよう。父さん、帰って来れたんやね」
細い体躯に鮮麗されたファッションは自分の父親とは思えないほど上品な雰囲気を醸し出していた。
(テツヤのお父さん、めっちゃ雰囲気あってカッコいいだけど…ウチのパパと大違い)
大人の色香を出す父さんに、アオイは驚嘆する。
「いや、大変やったわ!始発の新幹線乗って、さっき家着いたんよ」
「へぇ。大変やったね…」
朝から全力で身振り手振りを使って話すその姿に、今日は少し救われた気がした。
「愛しの家族に会うためやけ、お父さん…頑張ったんよ。あっ、そうやった、そうやった!」
すると父さんは立ち上がり、ソファの横に置いたキャリーバッグの中をガサゴソと漁り始めた。
「テツヤ、今回のお土産は驚くぞぉ…ジャジャーン!!今回は下関のフグ刺しとフグの唐揚げ、あとは…なんか色々、フグのヤツ買ってきた!!夕飯にでも、みっちゃんと食べなさい」
父さんはキャリーバッグから、次々にお土産を出しては自慢げに僕に見せた。
(えっ⁉︎やったーー!!フグだぁ!フグ!ってかさ…テツヤ、みっちゃんって…誰?)
頭の中ではしゃぐアオイが、当然疑問に思うであろう質問をしてきた。
僕は少し恥ずかしい気持ちを抑えて、アオイの質問に答える。
(…母さんのことだよ)
(あっ、そうなの?奥さんの事、あだ名で呼ぶなんて仲良いんだね)
僕はアオイの言葉にあえて反応せずに、父さんに礼を伝えた。
「父さんありがとう。母さんと…ってことは父さんは、またすぐ出るの?」
「せやね。今日は荷下ろしするためだけに寄ったんもあるけど…久しぶりに哲也の髪を切ろうと思ってな!あっ、みっちゃん。コレ…冷蔵庫…」
そう言ってお土産を持って、台所にいる母さんの所へ向かって行った。
「もう!そういう冷蔵するヤツは早く出してよ!」
母さんは濡れた手をタオルで拭きながら、父さんからお土産を受け取った。
「あぁ、ゴメンね。みっちゃん!ついつい、久しぶりにみっちゃんに会って舞い上がっちゃって…忘れてた…わるす。」
頭を掻きながらバツが悪そうにする父さんは、様々なフグ土産を母さんに渡してる。
「もう!テツヤがいるんだから、そういう恥ずかしいことはあまり言わないでって言ってるでしょ!」
母さん達のいつものやり取りを耳に流しながら、キャリーバックの中から出てきたフグの煎餅やヒレを手に取っていると、甘く爽やかな匂いに包まれた。
「いや、だって事実やから。うん、うん。さてさて、哲也くん…父さん、九時前には家出んといけんけ、寝起きのトコ悪いけど、今から風呂場で断髪式だ!レッツら、ゴー!」
僕の肩に手を回してきた父さんが、鼻歌混じりに無理矢理リビングから僕を連れ出した。
(なんか…テツヤのお父さんって…なんていうか…スゴイね…)
アオイが、言葉を選んでいるのがヒシヒシと伝わってくる。
(アオイが言いたいことは分かるよ…うん)
僕の右肩に置かれた練熟されて荒れた手は、楽しそうに垂れ下がっていた。