気づくと後から、大介にハグをされたのである。

「…ずっと考えてたんやけど、百合香ちゃん…うちのことどない思う?」

「イケメンだし、面白いし…私は好きだよ」

 だけど、と百合香は、

「でもほら、こないだ話したときのこともあったし…」

 百合香は諦めるつもりでいたらしい。

「うちな、実は…百合香ちゃんのこと好っきゃねん」

 耳もとでささやいた。

 本当は言ってもらいたくてたまらなかったセリフを、しかし何の気持ちの整理もないまま聞いてしまった百合香は、耳まで紅潮させていた。

「なんで…早く言ってよ」

 すべて諦めかけていた百合香の目には、涙が浮かんでいる。

「ごめん…でも軽々しく言いたくなんかなかったし、百合香ちゃんをしあわせに出来るか、個展が終わるまで確証持てんかったし」

 個展が思ったより盛況だったのが決め手になったらしい。


 大介はふんわりと百合香を抱き締めた。

「…個展が片付いたら、言おうって決めとってん」

 それまで、自身の気持ちも見定めたかったらしい。

「ごめんな」

 大介の男らしい手が百合香の頬を包む。

「ね…私なんかで、いいの?」

 ダーリャのほうが美人だよ、と百合香は大介の腕の中で向き直った。

「だって私…」

 潤んだ百合香の眼を真っ直ぐ大介が見つめ返す。

「うちは百合香ちゃん…いや、百合香がいい」

 悩むに悩んで決断したあとは、よほどのことがない限り大介が揺らがないことを、百合香は知っている。

 大介は百合香に優しくキスをする。

 百合香は、大介の首に腕を回して受け入れた。


 夜が明けようとしている。

「…?」

 百合香の隣で眠っていたはずの大介がいない。

 シーツにくるまって百合香がベッドから起きると、大介はすでに服を着て、何やらキッチンにいる。

「あ、百合香おはよ」

 どうやら食事の準備をしていたらしい。

 百合香はシーツを手早くパレオのように巻くと、

「…ありがと」

 百合香は大介の広い背中にもたれた。

「百合香の実家って、北海道やったっけ?」

「うん」

「落ち着いたら、北海道まで挨拶行かなあかんな」

 昨夜あのあと初めて関係を持って、百合香と結ばれたばかりの大介だが、

「悪いがうちは、結婚したい相手としか寝ぇへん」

 早くも百合香とは、前提がある。


 百合香と大介が付き合い始めたのをだりあが知ったのは、少し経ってからである。

「百合香とつきあうことになった」

 大介がわざわざメッセージではなく、だりあを生麦ベースに呼んで面と向かって話したからである。

「だりあちゃんはセレブやから、セレブにふさわしいえぇ王子様がおるはずや」

 そういうと、大介は何やら見慣れない細長い小箱をだりあに渡した。

「これは、だりあちゃん誕生日近いからプレゼント」

 確かに来週にはだりあの誕生日が来る。

「開けていい?」

「もちろん」

 開けると、陶器で出来た桜のチャームに、真っ赤なタッセルがついている。

「桜のは焼いたんやけどね」

 だりあのために、大介は作ってくれたらしい。


 タッセルの付け根には何やら丸い石がある。

「中の丸い石はローズクォーツって言うて、これを持つとしあわせな結婚が出来るって言われとるらしいんやけど」

「…それって?」

「だりあちゃんにえぇ相手が見つかるといいなって」

 大介にはそうした、ピュアなぐらい純心なところがある。

「だりあちゃんからしたら、親友を奪われて腹も立つかも分からんけど、うちは単純にだりあちゃんにもしあわせになって欲しいって、それだけ」

 その混ざり気のない気持ちをさらけ出されると、だりあは怒る気も起きない。

「ありがとね」

 チャームをバッグにしまうと、少しだけ話してリムジンでだりあは帰った。


 週末、生麦ベースには百合香が来るようになった。

 ときには釉薬を混ぜる作業を手伝ったり、ガス窯の記録を仮眠中の大介に代わって取るなど、まるで若妻のようにかいがいしく動く。

 だりあと三人で遊ぶときにはそうでもなかったが、二人きりになるといつも手をつなぎ、見るからにラブラブである…といわんばかりに一緒にいる。

 大介が恋人を大切にする人格であることも分かった。

 例のタッセルつきの桜のチャームは、少しデザインの違う物をお揃いで持っている。

 七月生まれの百合香は誕生石のルビー、三月生まれの大介は誕生石のアクアマリンを、それぞれつけてあって、桜はそれに見合うように百合香は赤、大介は水色に彩色してある。

 百合香は、軽自動車の鍵につけてある。

「これならいつでも一緒だし、なくさないから」

 いっぽう大介は、ウォレットチェーンのついた長財布につけてある。

 そのため、大介がカスタムカブのクラッチをペダルで繰るたびにタッセルごと、さながら提緒(さげお)のように華やかに揺れた。

 

 百合香は大介といるときは、もう明日が地球の破滅になっても構わないぐらいの幸福感で満たされていて、

「ダーリャには悪いけど、ありふれた言い回しかも知れないけど、私は大介さんがいれば何もいらないんだ」

 と、だりあが見たこともないような穏やかな相貌(かお)つきになって、それだけで百合香が大介にどれだけ愛されているか…ということが如実に知れたのであった。

 他方で大介は、

 ──背中に翼が生えたのではないか。

 というぐらいの膨大な作業量をこなすようになり、

「この算段は計算してへんかったなぁ」

 照れ笑いを浮かべながら、しかし嫌な感情は見受けられず楽しげに、ろくろを回していた。


 そうした多忙な大介を手伝いに、美しく長い黒髪が印象深い、制服姿の女子高校生がたまにやって来る。

「京都時代の知り合いの娘なんやけどね」

 大介は百合香に引き合わせた。

「兵藤みのりです」

 女子高生は礼儀正しくお辞儀をした。

「陶芸やりたいって言うから、たまに教えてやってん」

 弟子まではいかないまでも、大介の面倒見は良い。

 ときどき百合香はみのりの宿題を見たりもするうち、妹のようにみのりを可愛がるようになった。

「私ひとりっ子だから、妹が出来たみたいで嬉しい」

 百合香はみのりと打ち解けていた。

 休みが合うと百合香は、大介を助手席に乗せてドライブをしたりもするが、

「タンデムする?」

 百合香はリアシートで大介の腰に腕を回し、男らしい大介の体躯を感じながらタンデムで鎌倉や湘南へツーリングをするのが、最も至福を覚える瞬間である。

 大介の取り回しは上手かった。

 あとから聞いたが、ハーレーからスクーターまで何でもこなす手練(てだ)れで、

「高校が工業やったから、メカだけはいろいろ勉強させられたなぁ」

 百合香が聞いたことのなかった思い出話も聞いた。

 金がないからタンポポや昼顔を茹でて食いつないだこと、大工の見習いをしながら工業高校の定時制を出たこと、稼ぎながら学校に行けるという理由で、山科の窯元で働きながら京都の工芸の専門学校に行き、そこで陶芸を身につけたこと──。

「せやからセレブとは違うし、きっと相容れない面は出てくるかも知れんし、だりあちゃんはきっと誰か、えぇ人あらわれてくれるような気がしとったときに、百合香の気持ちに気づいて」

 なので百合香を選んだ事実に間違いはない、と大介は昂然と言い切ってみせたりもした。