無理もないであろう。

 大介の饗庭家は彦根(しち)名家(めいか)の一つで、

 ──饗庭のお玄関さま。

 とも近隣では呼ばれていた。

 かつて玄関つきの家は彦根井伊家の家中の武士か、それに準ずる格式ある本陣や町名主、または名字帯刀を許された商家にしか認められなかったので、玄関がある饗庭家はお玄関さまと呼ばれていたのである。

 ちなみに大介の祖父の代まで、かなり裕福な資産家であったらしいのだが、

「オトンがバブルで借金つくって蒸発してから、まぁ普通より少し貧乏なくらいかな」

 とは言うものの、別に貧しいことを恥とは思ってはいないらしい。