縁結びの神様に求婚されています ~潮月神社の甘味帖~

 今までは、怒涛の展開についていけず、ただ彼に無言で歩調を合わせていたけれど、だんだん疑問が渦巻いてくる。

 本能ではこの人を怖くないと言っている。きっとそれは間違っていない。大叔父さんのお店の常連さんは、みんな温かかったから。――だけど、でも。

 私を一体どこに連れて行こうとしているのだろう。そして一体この人は何者なのだろう? さっきから一言もしゃべらないし……。


「あ、あの!」


 私は勇気を出して声を張り上げた。すると彼はぴたりと足を止めて、振り返る。


「おお、元気があるじゃないか。ずっと黙っているから、疲れているのかと思ってお喋りは控えていたんだが」


 まるで本当に愛する結婚相手に向けるような、ひどく優しい微笑みを浮かべていた。ぐるぐると胸中を旋回していた疑念が、少し和らぐ。


「あの、どうして私を……。私をどこに、連れて行くんですか?」

「ん? 今さら何を。俺には、君に恩があるから。困っていたようだったから、俺の元で世話をしてあげようと思ったのだが」

「恩……? すみません、まったく心当たりがないんですけど……」

「え?」


 心外だ、という表情だった。まるで私の方が間違ったことを言ってしまったのではないかと、そんな錯覚に陥る。

 でもどう記憶を呼び起こしても、昨日初めて会った人だし、名前だって分からない。

 すると彼は、何度か瞬きしながらも私の顔をじっと見つめて、深く嘆息をした。

「まさか、覚えていないのか」

「何をですか?」

「そこまで俺は力を失っていたというのか……。なるほど。君が来てくれなくなったわけだ」

「……?」


 まったく意味の分からないことを立て続けに言われる。だけど、彼には彼なりの道理があるように見えた。決して適当なことを言っている風ではない。


「あの、ちょっと意味が」

「いや、なんでもないさ。まあ深いことは考えないでくれ。君の大叔父殿にも言われていたんだ。『俺がいなくなったらこの子には身寄りがなくなるんだ。よろしく頼むぞ』ってな」


 なんでもない、で片付けられるようなことではないような気がしたけれど、話の後半部分がとても納得のいく内容だったので、追及の優先度が下がる。

 大叔父さんは家族とは疎遠だったけれど、近所の人や常連さんたちには深く慕われていた。中には血よりも濃い付き合いをしていた人たちもいたようで、今日の四十九日の法要にも、たくさんの人が彼の死を忍んでいた。

 だから、大叔父さんが親族ではない誰かに私のことを言づけていても、不思議はなかった。


「なるほど、そういうことだったんですね」

「俺の名前は紫月(しづき)。今から行くのは、俺の屋敷だ。従者の者もたくさんいるから、君も不自由なく暮らせるはずだ」

「屋敷、従者……」


 庶民の口からはなかなか出てこないような単語が次々と飛び出し、気後れしてしまう。やっと彼の名前は分かったものの、親族でもない私がいきなり御厄介になっていいのだろうか。


「あ、あの。ご迷惑ではないでしょうか……」

「迷惑? なぜだ? 俺の妻なのだから、そんなこと思うわけないじゃないか」
「えっ……⁉」


 確かにさっき親族の前で婚礼だの結婚だの、そういう話をしたけれど。あの場から逃れるための方便だと私は思い込んでいた。


「あ、あれは私の親戚たちを黙らせる嘘じゃなかったんですか⁉」

「本気だが? 君も結婚する!と啖呵を切っていたじゃないか」

「それは……言いましたけど!」

「抱擁も受け入れてくれたし。てっきり了承したのかと」

「あ、あんなにいきなり抱きしめられて、逃げられるわけないじゃないですか!」


 私がそう言うと、彼はくくっと喉の奥で笑った。


「なるほど、それもそうだ。確かに少し急だったかもしれないね。考えを改めるとしよう」


 その一言にほっと安堵する。

 昨日会ったばかりの人だ。まだ恋愛関係でもないのに、結婚だの婚礼だの、十代の私にはあまりにも性急過ぎる。

 すると不意に、私の頬を紫月さんが優しく包み込んだ。撫でるように急に触れられてしまい、私は硬直する。


「だが俺は君……陽葵を本気で娶りたいと思っている。そのことは肝に銘じておいてくれ」


 どこか切なさを帯びた瞳でまっすぐと見つめられ、ゆっくりと彼は言った。ふざけている気配はない。本気で、心からそう思って、彼は言葉を紡いでいる。


「え……あ、あの?」


 いきなりの、ほぼプロポーズに面食らってしまう。しかしそんな私には構わずに、紫月さんは私の手を握って再び歩き出した。


「とにかく君は行くところがないのだから、俺の屋敷に来るがよいさ。とりあえずは俺の婚約者ということにしておくから」

 確かに行くところはない。準備もなく飛び出してきたから、財布やスマートフォンすら置いてきてしまった。文字通り無一文だが、私物を取りに行くためにあの家に戻るのは御免だった。もう二度と、あの人たちの顔は見たくない。

 わらにでも縋る思いで、とりあえずこの人の言う通りにするしかない。屋敷では、積極的に掃除や炊事をして、居候としての恩を返すことにしよう……。

 ぼんやりとそんなことを考えていると。


「必ず君の心を動かしてみせる。君の方から、俺と結婚したいって言わせてあげよう。覚悟しておくがいい」


 お茶目にウィンクをしながら、自信満々に歯の浮くようなセリフを言われた。男性に口説かれ慣れていない私は、ドギマギしてしまって何も言えなくなる。

 そんな私とは対照的に、この人は女慣れしている印象がある。しかしそれに嫌悪感はなかった。

 少し強引だけど、大半の女子は引っ張ってくれる男性にはやっぱり弱い。今まで知らなかったけれど、私もそうだったらしい。

 正体はいまだに不明だけど、なぜか憎めないし、どこか温かい。魅力的な人だなと思う。

 それにしても、なんで紫月さんは私なんかと結婚したいのだろう。これだけ見目麗しければ、引く手あまただと思うのだが。屋敷だの従者だのなんて言っているから、きっと財産もたくさんあるのだろうし。

 不思議に思いながらも、無一文な上に行くあてのない私は、彼の後に続いて歩くしかなかった。
 紫月さんに引っ張られてたどり着いたのは、潮月神社という、古びた神社の鳥居の前だった。

 大叔父さんに連れられて、何度かお参りに来たことはある。しかし神主は不在で、普段あまり人の往来があるのを見ない。大叔父さんが町内会費が余った時にたまに修繕費にあてている、と言っていた気がする。

 要するに廃れた神社だが、建立されたのは室町時代らしく、社は歴史ある建造物だ。十三年前の地震による大津波の被害は、周囲を覆う防潮林によって奇跡的にほとんど受けず、その歴史はいまだに細々と続いている。


「ここ……ですか?」


 これがこの人の屋敷? まさか。社は今にも朽ち果てそうだし、人が住んでいる気配なんて皆無だ。神社周りを取り囲む林で見えないだけで、近くに住居があるとか?


「そうだ。とりあえず入ろうか」

「本当にここ……?」


 さっきから握りっぱなしの私の手のひらを引っ張りながら、紫月さんは悠然とした足取りで鳥居をくぐる。

 いやいや、こんな風が吹いただけで崩れそうな神社に人が住んでいるわけないじゃない――そう思いながらも、紫月さんの後に続く。

 ――すると。


「えっ⁉」


 ところどころ色褪せた、朱色の鳥居をくぐった瞬間。景色が一変した。

 掘っ立て小屋のようだった社は、端が見えないほど広大で荘厳な佇まいの日本家屋へ。雑草が鬱蒼と生い茂っていた境内は、整然と敷き詰められた石畳へ。

 屋敷の傍らには、鹿威しの鳴る透き通った水が溜められた池まである。金色や、錦色の美しい鯉が悠々と泳いでいるのが見えた。

 また、屋敷内の渡り廊下は、忙しそうに人影が蠢いていた。紫月の従者たちだろうか。先刻は人っ子ひとりいなかったというのに。
 鳥居をくぐる前は、大叔父さんの家の土地よりも狭かったように見えた境内だったけれど、今は地域の公民館よりも広大な土地になっている。敷地面積まで広がっているようだ。


「こ、これは……?」


 一体何が起こったって言うの……? 幻覚? いろいろなことがありすぎて、私とうとう頭がおかしくなっちゃったのかな……?

 超常現象を目の当たりにして、私は口をあんぐりと開けたままその場に立ち尽くしてしまう。――すると。


「紫月さま!」


 かわいらしい声が響いてきた。日本家屋の方を呆然と眺めていた私だったが、誰かが近寄ってきた気配を察する。


「ああ。千代丸、琥珀」

「おかえりなさいませですニャー!」

「ただいま」

「紫月さま、このお方は……?」


 私の傍らにいた紫月さんが、寄ってきた従者ふたりを会話を始めたので、やっと私は彼らに視線を移す。

 そこで私は、さらに驚愕の光景を目の当たりにする。


「ああ、俺の婚約者だ」

「ニャんと⁉」

「婚約者様ですか! とうとう身を固める決意を!」


 紫月が当たり前のように会話をしていた、従者らしきふたりは。

 ――人間ではなかった。

 ひとり(一匹)は、茶トラ模様の猫。グリーンのつぶらな瞳、にょろんと伸びた長い尻尾。紺色の作務衣を着用しているが、袖からはぷにぷにとしていそうなかわいらしい肉球が見えている。外見は明らかに猫そのものなのに、二本足で直立し人間語を話している。

 もうひとりは、一見十代後半の人間の少年に見えるけれど、こげ茶色のサラサラとした髪の隙間から、とんがった狐のような耳がにょきっと生えている。とんぼが舞っている水色の浴衣を着て、作業しやすいようにか、紐で袂をたすき掛けしている。しかしその裾からは、ふさふさで黄土色の尻尾が覗いていた。

 ふたりとも、私の知識からすると人間のくくりからは大きく外れる。あり得ない。あり得ない生物だ。

 そして、よく見てみると。

 屋敷の渡り廊下をせわしなく移動している人型の何かは、眼前に居るふたりのように、一様に獣のような耳が頭頂部に生えていた。

 先ほどまで遠目であまり見えなかった、境内を履き掃除している従者らしき人(?)にも、オオカミのような灰色の三角形の耳ともふもふの尾が生えている。


「動物が……立って、歩いて、しゃべ……」


 あまりに現実離れしている光景だった。ちょっと頭が追い付かなかった。

 混乱極まったせいか、私はその場で倒れて意識を失ってしまったのだった。



 目が覚めたら、ふかふかの布団をに全身がくるまれていた。自分の部屋の掛布団とは少し匂いが違う気がしたけれど、いまだまどろみの中にいる私は、気に留めないことを決め込む。

 えっと、私いつの間に眠ってしまったんだっけ? すごく不思議で驚かされるような夢を見た気がするんだけど。

 大叔父さんの四十九日のあと、いきなり紫月さんっていう謎の美形に求婚されて、潮月神社に連れて来られたこと思ったら社がいきなり豪邸に変わって、猫や狐耳をはやした男の子に出迎えられるとかいう。

 突拍子もないし、あまりにもメルヘンな夢すぎる。きっと四十九日が終わって気が抜けてしまったんだろうな。

 そうひとり納得し、私はようやくしっかりと眼を開く。――すると。


「ニャっ! 目が覚めたのですね陽葵さま~! 二時間ほど眠ってらっしゃいましたニャ!」


 寝っ転がっている私の傍らには、作務衣を着たモフモフの茶トラ猫がいた。私が目覚めたことを喜んでくれたのか、少し涙ぐみながら微笑んでいる。


「夢じゃなかった……」


 私は敷布団の上で上半身だけ起こし、頭を抱える。よく見たら、ここは大叔父さん宅の自室の洋間ではなかった。落ち着いた香りの漂う、畳敷きの和室だ。窓際の障子は、薄っすらと桜の花弁が散っている柄だった。


「え、ニャんと申されたのです?」

「……なんでもないわ」


 かわいらしく首を傾げる茶トラ猫くんに、私は苦笑を浮かべて答える。出会った瞬間は疲れもあってか、驚愕して倒れてしまったけれど、幾分か睡眠をとった今、落ち着いた私の心は彼を受け入れつつあった。

 そもそも私は猫が大好きなのだ。犬もかわいいけれど、断然猫派だ。人間の子供のような大きさの猫が、立って歩いて服を着て、ときどき「ニャ」と言いながらも人間語を喋っているなんて。

 常識を取っ払って考えたら、「かわいい」という感想しか残らない。


「あの……。猫くん、お名前は何というの?」

「僕は千代丸と申しますー!」


 尖った犬歯を猫口の端からかわいらしく出しながら、元気よく千代丸くんは言う。


「千代丸、くん」

「さようでございますニャ! 紫月さまの婚約者である陽葵さまに名を呼んでいただけて、嬉しいですニャ!」


 高めの少年の声で、勢いよく言われる。

 成り行きで紫月さんの婚約者になってしまっているけれど、私まだ彼と結婚するつもりはないんだけどな……。

 しかしそんなことを言ったら混乱を招きそうなので、ここではその件については触れないことにした。


「千代丸くん、ありがとうね。倒れた私を看病してくれていたの?」

「看病と言っても、様子を見ていただけですニャ! たいしたことはしておりませんニャ~」


 大袈裟に首を横に振る千代丸。揺れるとんがった猫耳が、なんともかわいらしい。


「いいえ。目覚めた時に千代丸くんがいてくれて、なんだか安心したの。……ところで、いろいろあなたに聞きたいのだけど……」

「僕の答えられることならなんなりと!」

「ここがどんな場所で、紫月さんやあなた達が何者なのか、教えてほしいの」

「ニャ……? と、申されますと?」