子供の時から泥棒になることがあった。

 いつかのかくれんぼ、行けなかった家族旅行、七月七日の催涙雨。
 死んだ子の歳を数える母親、伝えられなかった恋心、真夏のオリオン。
 皆、いなくなってしまった。
 忘れられてしまったのだろう。小さな僕は、そう思って気にも止めなかった。
 だからその「事件」は、僕の人生を大きく変えた。

「もーいーかーい」

 小学校一年生の春。僕は同じ年頃の子供達と遊んでいた。
 そこには友達とその妹がいて、今でもその日したかくれんぼを覚えている。
 けれど翌日、友達はそれを覚えていなくて、それどころか「妹なんていないけど」と言う。周りも、知らないと言う。

 似たようなことは何度だって起こった。
 落として割った皿がヒビもなく元に戻っていたり、短気だった知人が急におおらかになったり。
 その度に僕は、どこか違う世界に来てしまったと鍋覚してしまう。
 いつしか僕は、自分自身が正しかった世界を盗む、泥棒なのだと考えてしまうようになった。
 その考えが何故素直に出てきたのかはわからない。きっと幼児特有の、思考の跳躍か何かだろう。

『君の人生の主人公は君だ! 』

 通りすがった本屋のガラスに、デカデカと貼られた自己啓発本の広告。
 眼鏡の中年男性が掲載されたそれに舌打ちを残して、僕は歩き続ける。
 昔は僕も、何百万部も売り上げる冒険小説の主人公になれると思っていた。

 けれど今となっては、それが叶わないことだとも知っている。
 もしもこの世界が物語で溢れていて、人の一生でさえもドラマでしかないのなら。
 僕の物語はきっと、古本屋の隅で埃を被っている三文小説のようなもの。
 物語に登場するのは忘れん坊の泥棒で、正義のヒーローも、悪の秘密結社も登場しない。
 そんな平凡な物語を、一体誰が読んでくれるというのだ。
 少なくとも僕は、そんな人間を一人しか知らない。
 だからこそ僕は、この物語を、この不思議なかくれんぼを終わらせられないでいる。
 これは初めから、彼女一人のために紡がれていた物語なのだから。

《──入院中の女子高生刺され死亡 ストーカーの男を逮捕》

 地方新聞の、小さな切り抜き。
 褪せて消えかけたその記事の記憶を、そっとなぞる。
 この地方都市で起きた、小さな事件。あるはずだったその事件を覚えている人は、もういない。

 ──一緒に、優しい世界を探してくれませんか?

 天月時乃。
 成長と共に忘れられていく、宝物みたいに純粋な雨ざらしの記憶。
 それは触れれば崩れてしまいそうで。けれど星の光のように強かなその名前を、僕は何度も思い出す。

「誰かのために傷付いてあげられない世界なんて、こんなにも冷たかったよ、天月」

 いなくなった天月への舌打ちを呑み込んで、空を見上げる。
 相変わらず冷たい世界は、退屈に回っていた。

 この奇妙な平凡を、たったーつの物語とするのなら。
 僕たちの恋物語は、十年前のかくれんぼの日に終わっていたのかもしれない。