遊羽は首をひねり、音のほうを向いた。親子連れの参拝客が、社殿の前で手を合わせえている。が、変わった様子はない。
 気のせいか。異変がないとみて、遊羽は視線を社殿から外した。おおかた、子供が床板でも踏んでしまったのだろう。話を続ける老人に視線を戻す。

「――人々は山の音に恐怖し、ほとほとに困り果てていた。ちょうどそこに旅をしている偉い宮司が通りかかったわけだ。
 人々が相談してみると、宮司はこれも縁だという事で、音の正体を調べてくれることになった。が、宮司が山に入ると、その音はパタリと止んでいた。それに、獣の一匹も見当たらなくて、山は静まり帰っていた。
 それから何日かして、一匹のキツネが山から下りてきた。そのキツネの左耳はボロボロでな、ひどく衰弱していた。神社の娘は可哀相に思い、介抱してあげたそうだ」

 ――ドンドン。

 まただ。木板を叩く音がする。さっきよりも大きい。ふたたび首をひねり、社殿を見た。親子連れはいなくなっていた。他の参拝客も気にしていない様子だった。
 老人は訝しげに遊羽を見た。さすがに話の最中に二度も見回したので、気を悪くしたかもしれない。

「どうかしたか?」
「いえ、大したことじゃないんですが……」遊羽はきいてみることにした。「社殿から音が聞こえませんか?」
「…………」老人たちは一同黙りこくり、顔を見合わせて緊張が走った。が、直後に笑い声をあげた。
「わっはっはっ、いいねぇ! 盛り上げるのがうまい。さすがイマドキの子は違うねぇ」
「昔もな、社殿から音が聞こえると言いよる子供がおったんだ。女の子が閉じ込められているから開けよう、って言いよってな。まぁ、その時は声だったんだがな。
 社殿に行くと、戸口には錠がかかっているし、中から声もしない。二畳ほどの小さな社殿じゃ。誰か入っていたらすぐに分かる」
「……実際に中を見てみたんですか?」遊羽はきいた。

 みしみしみし……、きぃきぃきぃきぃきぃきぃきぃ……。

 今度は木板が軋む音だ。古い乾燥した木材を、内側から引き剥がそうとしてるようだ。老人たちを見るも、まるでその音が聞こえてないかのように、話を続ける。

「いいや、その時は開けなかった。外から声をかけても返事はないし、物音一つしない。結局はその子供の勘違いだろうということになった。
 だがその晩、その子供はこっそりと社殿を開けようとしたんだ。社殿の板を剥がそうとしていたところを見つかってな、罰として――」

 ドンドンッ、ガンガンッ。

 打ち付ける音。まるで社殿を壊そうとしてるようだった。遊羽はビクッと肩を震わせた。が、老人たちはまるで意に介していないので、遊羽は無視を決め込んだ。
「――耳を切り落としたんじゃよ、その声が聞こえると言っていた左耳をな」
「………………」遊羽は言葉を失って自分の左耳を触った。
「と、子供たちに言うとな、社殿にイタズラする悪ガキはいなくなったよ。まぁ、耳を切り落としたってのは、ワシの爺さんから聞かされた話だからな。ウン十年以上も前じゃ。正直、ウソかホントかも分からん話じゃがな」
「………………」
 老人は緊張を解いて豪快に笑ったが、遊羽には笑えなかった。
「そうそう、毎年一回、この祭りの時期に、社殿の中を開けるんじゃよ。中の札を張り替えるんじゃ、掃除もしてな」
 老人は思い出したかのように付け加えた。
「そうそう。子供が女の子の声を聞いたのも、ちょうど祭りの日だったかのぅ」

 遊羽は言葉に詰まり、助けを求めて視線を送ったが、紗枝はおとなしくお茶を啜っていた。
「野山を駆け回っていた世代は、そう教わって育ってきたんだ。今の子供に聞かせても鼻で笑われてしまうだろうな」
「いえ、私は……」
 世代が違うのに、なんとなく懐かしさを感じる話だった。もしかしたら幼いころに、似たような話を聞いたのかもしれない。

 酒を飲む手を止めて、ふと老人は腕時計を見た。

「さて、そろそろ神楽が始まるな」

 その一言に他の老人たちも上機嫌な雰囲気を一瞬で改め、テーブルの上を片づけ始めた。