「よ、西岡ー」
「……」
出やがったな、自称座敷わらし。
桜が満開の中庭で、先輩はにこにことした人畜無害なあの笑顔で佇んでいた。
あたしの通うこの学校はやや特殊で、中等部と高等部の敷地が繋がっている。共通の校門を入って正面の道を進むと中等部高等部共有の職員、事務舎があり、その裏に今立っているここ、第一中庭がある。右側が中等部の敷地、左側が高等部の敷地で、この中庭はどちらの校舎からも出入りが簡単な、そんな場所ではある。その中で佇む先輩は、昨日の服装とは違って高等部のブレザー姿だけど、それもまた良く似合っているとは思う。あたしは何も言葉を発することなく、静かに先輩を睨み上げた。あの写真の中で、お兄ちゃんと肩を組んでいた人畜無害なあの笑顔を。春の陽射しと同じ、穏やかな笑顔を。
「怖い顔」
先輩はそう言って、小さく笑った。目じりが落ちる笑い方は、あの写真の中のそれとやっぱり同じだ。二年分歳をとった、それだけだ。お兄ちゃんの傍にいつもあった笑顔。あたしが望んで仕方なかった、お兄ちゃんと一緒の学校へ通うことをあたりまえに過ごした人。それなのに、あたしに対してはお兄ちゃんのことを一切訊いて来ない人。
知らずにこくんと喉が鳴った。飲み下した唾が喉を潤して、だけど乾いたままの唇を一度舌でなぞってから、あたしは強張った声を漏らした。いつもより、半音高い気がした。
「何の用ですか」
「昨日の話。考えてくれた?」
間髪いれず、先輩が被せるように問うて来る。頭上には空を覆い隠すほどの満開の桜。中庭は桜色に染まっていたけれど、芽吹いている花は桜だけじゃない。十字に走った煉瓦造りの道以外の場所には、春の花が咲いている。雪柳。花壇にはチューリップ。足元には無意味にけなげに咲いているオオイヌノフグリ。雪柳の落ちた白い花を踏みつけて先輩が歩き出した。十字路の真ん中、校舎から見ると半ば以上晒し者になるためにあるような場所に備え付けてある、ペンキのはがれた白いベンチへと。どちらの校舎からもばっちり見下ろせる――こんな趣味の悪い場所に置いてあるベンチに座る人物なんて、ほとんどいないと思っていた。だけど先輩は何のためらいもなくそのベンチに腰を下ろした。あたしはほとんど何も考えずに、先輩の後を追っていた。
一陣の風が吹き付けて、桜の花びらを中庭に舞い上がらせた。ざわめくように、雪柳も揺れた。
吐き気がするほどに纏わりつく花の匂いは、雪柳とチューリップが混ざり合ったそれだろう。園芸部か何かが適当に植えているのかも知れないが、もう少し秩序とかそういったものを考えてくれても良いように思う。
吹き付ける桜吹雪に、先輩が柔らかな笑みを浮かべて見上げている。
「綺麗だよね、桜。西岡は桜、好き?」
「大嫌いです」
「桜が嫌いな日本人もいるんだ」
先輩はそう言ってまたくすくすと笑った。額ごと木からはがれ、くるくると踊りながら落ちてくる桜を器用に右手でキャッチする。今日もつけている銀の指輪がまた、光に反射した。
「――本気なんですか」
気付くと、あたしは正面から先輩を見据えてそう言葉を発していた。先輩は手の中の桜の花を見下ろしたまま、動きだけを止めた。
「本気なんですか。昨日の事」
「西岡はどう思う?」
桜から視線を外し、目だけをあたしに上げて先輩が唇をゆがめた。制服の裾がはためくのをおさえながら、あたしは静かに言葉を返した。
「いかれてるとしか思えません」
「だろうね。俺もそう思う」
先輩はそう言って笑って――そして、無造作に桜を持っていた右手を閉じた。
先輩の手の中で、桜の花が潰された。
「――でも、本気」
「……」
出やがったな、自称座敷わらし。
桜が満開の中庭で、先輩はにこにことした人畜無害なあの笑顔で佇んでいた。
あたしの通うこの学校はやや特殊で、中等部と高等部の敷地が繋がっている。共通の校門を入って正面の道を進むと中等部高等部共有の職員、事務舎があり、その裏に今立っているここ、第一中庭がある。右側が中等部の敷地、左側が高等部の敷地で、この中庭はどちらの校舎からも出入りが簡単な、そんな場所ではある。その中で佇む先輩は、昨日の服装とは違って高等部のブレザー姿だけど、それもまた良く似合っているとは思う。あたしは何も言葉を発することなく、静かに先輩を睨み上げた。あの写真の中で、お兄ちゃんと肩を組んでいた人畜無害なあの笑顔を。春の陽射しと同じ、穏やかな笑顔を。
「怖い顔」
先輩はそう言って、小さく笑った。目じりが落ちる笑い方は、あの写真の中のそれとやっぱり同じだ。二年分歳をとった、それだけだ。お兄ちゃんの傍にいつもあった笑顔。あたしが望んで仕方なかった、お兄ちゃんと一緒の学校へ通うことをあたりまえに過ごした人。それなのに、あたしに対してはお兄ちゃんのことを一切訊いて来ない人。
知らずにこくんと喉が鳴った。飲み下した唾が喉を潤して、だけど乾いたままの唇を一度舌でなぞってから、あたしは強張った声を漏らした。いつもより、半音高い気がした。
「何の用ですか」
「昨日の話。考えてくれた?」
間髪いれず、先輩が被せるように問うて来る。頭上には空を覆い隠すほどの満開の桜。中庭は桜色に染まっていたけれど、芽吹いている花は桜だけじゃない。十字に走った煉瓦造りの道以外の場所には、春の花が咲いている。雪柳。花壇にはチューリップ。足元には無意味にけなげに咲いているオオイヌノフグリ。雪柳の落ちた白い花を踏みつけて先輩が歩き出した。十字路の真ん中、校舎から見ると半ば以上晒し者になるためにあるような場所に備え付けてある、ペンキのはがれた白いベンチへと。どちらの校舎からもばっちり見下ろせる――こんな趣味の悪い場所に置いてあるベンチに座る人物なんて、ほとんどいないと思っていた。だけど先輩は何のためらいもなくそのベンチに腰を下ろした。あたしはほとんど何も考えずに、先輩の後を追っていた。
一陣の風が吹き付けて、桜の花びらを中庭に舞い上がらせた。ざわめくように、雪柳も揺れた。
吐き気がするほどに纏わりつく花の匂いは、雪柳とチューリップが混ざり合ったそれだろう。園芸部か何かが適当に植えているのかも知れないが、もう少し秩序とかそういったものを考えてくれても良いように思う。
吹き付ける桜吹雪に、先輩が柔らかな笑みを浮かべて見上げている。
「綺麗だよね、桜。西岡は桜、好き?」
「大嫌いです」
「桜が嫌いな日本人もいるんだ」
先輩はそう言ってまたくすくすと笑った。額ごと木からはがれ、くるくると踊りながら落ちてくる桜を器用に右手でキャッチする。今日もつけている銀の指輪がまた、光に反射した。
「――本気なんですか」
気付くと、あたしは正面から先輩を見据えてそう言葉を発していた。先輩は手の中の桜の花を見下ろしたまま、動きだけを止めた。
「本気なんですか。昨日の事」
「西岡はどう思う?」
桜から視線を外し、目だけをあたしに上げて先輩が唇をゆがめた。制服の裾がはためくのをおさえながら、あたしは静かに言葉を返した。
「いかれてるとしか思えません」
「だろうね。俺もそう思う」
先輩はそう言って笑って――そして、無造作に桜を持っていた右手を閉じた。
先輩の手の中で、桜の花が潰された。
「――でも、本気」