「真ー衣っ!」
がばっと後ろから抱きつかれ、あたしは思わず体を逸らした。……重い。
首を回して見ると、少年じみたはにかみ笑顔がそこにあった。よく見知ったクラスメイトの顔。廊下と教室の間でとりあえず彼女を振り払い、あたしはこっそりため息を漏らした。
「英語? 数学?」
「……数学」
挨拶代わりのあたしの問いかけに、彼女――佐川薫はへらっと頼りない笑顔を返してきた。鞄の中からノートを引っ張り出して、薫の薄っぺらい胸に押し付ける。
「ほら。たまには自分でやれば?」
「あたしがやったところで間違いだらけのものが出来るだけだし、真衣のを写させて貰ったほうが効率いいじゃん」
「まぁ別にいいけど……」
「さんきゅっ。真衣ちゃん愛してるっ」
薫は嬉々として投げキッスを残すと、スカートを翻して教室の中へ入っていく。数学一時間目だけど、間に合うんだろうか。まぁ、あたしが知ったことじゃないけどさ。
ちょうど薫の前の席――窓際、前から二番目の自分の席へつく。すでにノートを広げて黙々と写しに入っている薫の姿を見下ろして、肩をすくめた。鞄の中から手鏡を取り出して机にのせて覗き込む。
――あーあ。酷い顔。
別に元々可愛い顔、という訳でもないけれど、この顔はちょっと酷すぎるな。不機嫌顔の女子が鏡の向こうから覗き返してきている。高い位置で二つに結んだセミロングの髪の毛。腫れぼったいまぶたと、やや充血した目。唇だってかさかさだ。泣きつかれて、そのくせ寝不足だというのがよく判る。何て顔だろう。
「死刑囚みたいな顔」
真後ろからの声に、あたしはむすっとさらに顔をしかめてしまう。手鏡を鞄の中に放り込む。
薫はこちらの様子に気付いているのか気付いていないのか、相変わらずのさほど興味があるわけでもなさそうな声で続けてくる。
「何かあったん?」
「別に何もないよ」
「あそ」
明らかに嘘だと判るはずのあたしの台詞に、薫はそれ以上つっこんでこなかった。一瞬止まっていたシャーペンの音が再開される。今度はその音も止めることなく、やっぱり興味がなさそうな声のまま訊ねてきた。
「昨日のおデートはいかがだったざんすか?」
「最悪」
「それはよござんして」
薫はまた、それ以上この事には触れてこなかった。それがありがたいし、だからこそ薫とあたしは付き合いつづけていられるんだろうと思う。根掘り葉掘りきかれるのも、友達顔されて心配されるのも、あたしは嫌いだ。
朝、ホームルームが始まる前の教室は騒がしい。開けっ放しの扉から、また一人誰かが入ってくる。薫より背の低い、よく日焼けしたやんちゃ坊主のような顔の少年。
「薫、木村くん来たよ」
何の気なしにそう言ってみると、面白いほど見事にシャーペンの音が途絶えた。軽く振り返ってみると、あわてたように髪を正す薫と目が合う。さっと頬を染めた薫をぬるく見つめていると、薫は物騒な低い声をもらしてきた。
「……何も言うなよ真衣……?」
「言わないよ。とりあえずノートとっとと返してね」
「……」
無言になった薫から視線を外して、くすりと思わず笑みをこぼす。判りやすくてからかいがいがある。
少しして木村くんが近付いてくる。薫が多少上ずった挨拶をする。全く気付いていないらしいど鈍の木村くんは、あたしと薫に同じように挨拶をしてくる。あたしも適当に挨拶を返す。そんな、あたりまえすぎるあたりまえの日常。昨日の事がすべて夢のようにすら思えてくる。
戸部先輩とのデートも、先輩が口走った阿呆な台詞も何もかも、ただの夢のように。
だけどあたしのそんな考えは、放課後、全ての授業が終わって中庭に出たとたんぶち壊された。
がばっと後ろから抱きつかれ、あたしは思わず体を逸らした。……重い。
首を回して見ると、少年じみたはにかみ笑顔がそこにあった。よく見知ったクラスメイトの顔。廊下と教室の間でとりあえず彼女を振り払い、あたしはこっそりため息を漏らした。
「英語? 数学?」
「……数学」
挨拶代わりのあたしの問いかけに、彼女――佐川薫はへらっと頼りない笑顔を返してきた。鞄の中からノートを引っ張り出して、薫の薄っぺらい胸に押し付ける。
「ほら。たまには自分でやれば?」
「あたしがやったところで間違いだらけのものが出来るだけだし、真衣のを写させて貰ったほうが効率いいじゃん」
「まぁ別にいいけど……」
「さんきゅっ。真衣ちゃん愛してるっ」
薫は嬉々として投げキッスを残すと、スカートを翻して教室の中へ入っていく。数学一時間目だけど、間に合うんだろうか。まぁ、あたしが知ったことじゃないけどさ。
ちょうど薫の前の席――窓際、前から二番目の自分の席へつく。すでにノートを広げて黙々と写しに入っている薫の姿を見下ろして、肩をすくめた。鞄の中から手鏡を取り出して机にのせて覗き込む。
――あーあ。酷い顔。
別に元々可愛い顔、という訳でもないけれど、この顔はちょっと酷すぎるな。不機嫌顔の女子が鏡の向こうから覗き返してきている。高い位置で二つに結んだセミロングの髪の毛。腫れぼったいまぶたと、やや充血した目。唇だってかさかさだ。泣きつかれて、そのくせ寝不足だというのがよく判る。何て顔だろう。
「死刑囚みたいな顔」
真後ろからの声に、あたしはむすっとさらに顔をしかめてしまう。手鏡を鞄の中に放り込む。
薫はこちらの様子に気付いているのか気付いていないのか、相変わらずのさほど興味があるわけでもなさそうな声で続けてくる。
「何かあったん?」
「別に何もないよ」
「あそ」
明らかに嘘だと判るはずのあたしの台詞に、薫はそれ以上つっこんでこなかった。一瞬止まっていたシャーペンの音が再開される。今度はその音も止めることなく、やっぱり興味がなさそうな声のまま訊ねてきた。
「昨日のおデートはいかがだったざんすか?」
「最悪」
「それはよござんして」
薫はまた、それ以上この事には触れてこなかった。それがありがたいし、だからこそ薫とあたしは付き合いつづけていられるんだろうと思う。根掘り葉掘りきかれるのも、友達顔されて心配されるのも、あたしは嫌いだ。
朝、ホームルームが始まる前の教室は騒がしい。開けっ放しの扉から、また一人誰かが入ってくる。薫より背の低い、よく日焼けしたやんちゃ坊主のような顔の少年。
「薫、木村くん来たよ」
何の気なしにそう言ってみると、面白いほど見事にシャーペンの音が途絶えた。軽く振り返ってみると、あわてたように髪を正す薫と目が合う。さっと頬を染めた薫をぬるく見つめていると、薫は物騒な低い声をもらしてきた。
「……何も言うなよ真衣……?」
「言わないよ。とりあえずノートとっとと返してね」
「……」
無言になった薫から視線を外して、くすりと思わず笑みをこぼす。判りやすくてからかいがいがある。
少しして木村くんが近付いてくる。薫が多少上ずった挨拶をする。全く気付いていないらしいど鈍の木村くんは、あたしと薫に同じように挨拶をしてくる。あたしも適当に挨拶を返す。そんな、あたりまえすぎるあたりまえの日常。昨日の事がすべて夢のようにすら思えてくる。
戸部先輩とのデートも、先輩が口走った阿呆な台詞も何もかも、ただの夢のように。
だけどあたしのそんな考えは、放課後、全ての授業が終わって中庭に出たとたんぶち壊された。