私はただ、わざわざ理人さんにこんなことを言わせたくはなかったのだ。
彼だって、私の気持ちに気づきたくなどなかっただろう。

「雨音」

悔やむ気持ちでいっぱいになっていると、理人さんが強い声で私の名前を呼んだ。

顔を上げてほしいということだろうか。
悲しいし怖いけれど、おそるおそる視線を上げれば、今度は辛そうに顔を歪ませた彼の表情が目に映った。
その表情を、心苦しく思いながら見つめていると。

「でもね。このあいだ、あなたが颯司に抱きしめられているところを見てしまったでしょう」

「うん……」

「あのときアタシ、嫌だと思ったのよ」

ふいに、話の流れが変わったことに気づいた。

「え……?」

私が颯司くん抱きしめられているところを見たとき、理人さんは嫌だと思った……?

思わず、訳が分からないという視線を理人さんに送る。
彼は私からの視線を受け止めたまま、一瞬だけ思いつめたような顔をすると、すぐに諦めの感情が混ざった笑みを浮かべた。

「颯司に雨音を取られるのが嫌だって思ったの。親心じゃなく男として。アタシ、颯司に嫉妬したのよ」

息を吐き出し、呟かれた言葉。
それは私にとって、あまりにも思いがけないものだった。

曇っていた思考が、さらにかき回される。
理人さんは一体何を言っているんのだろう。

「それで気づいたの。アタシ、あなたを妹としてじゃない。一人の女の子として見てるんだわ」

「本気で言ってるの……?」

「こんなときに嘘なんか言わないわよ」

眉を下げたまま、それでも私から目を逸らさない理人さんは、とても誠実な瞳をしていた。
きっと彼の言うとおり、嘘でも冗談でもフォローでもないのだろう。

けれど、いきなりそんなことを言われても信じられない。
私が理人さんに向ける感情と同じものを、彼が私に抱いてくれているかもしれないなんて。
まさか、そんなこと。

「アタシ、間違ってた。家族を好きになる辛さなら誰よりも分かっているはずなのに。あなたのことを考えていたつもりで、あなたをずっと傷つけていたのよね」

理人さんの声を聞きながら、私はのどの奥からこみ上げてくるものを感じていた。
ずっと堪えていた涙がじわりと溢れ、ぼたぼたと流れ落ちていく。

違う、理人さんは悪くない。
そう伝えたいのに、もう何も声にできなくて、ひたすらに首を振った。

「女の子をこんなに泣かせて。アタシったら本当に情けないわ」

理人さんはそう言うと、静かにイスから立ち、私の元まで来てくれた。
そのまま、私が夢に魘されたときと同じ優しさを持って、もう一度抱きしめられる。
嬉しいのか信じられないのか、今でもまだ怖いのか。
よく分からない、たくさんの感情がこもった涙は、留まることを知らない。

「アタシはこんな男よ? それでも雨音は、アタシを選んでくれるのね?」

柔らかい声で、核心をつかれる。
私はいまだに下がったままの自分の両腕を思い出しながら、その問いに躊躇いを見せていた。