三日目の朝。
意を決してトロイメライに戻ると伝えると、暖花さんは少し驚いた表情をしてから、ホッとしたように微笑んだ。
「よかった。実はね、理人の方も大変だったのよ」
「大変?」
「お客様から見えないところで、ため息ばっかり吐いてたの。あんなに打ちひしがれてる理人、初めて見た」
「よっぽど雨音に家出をされたのが堪えたのね」と.暖花さんはおかしそうに言った。
彼女はなんともなさそうにしてくれるけれど、やはり私は、二人にたくさんの心配をかけてしまったのだ。
そんな当たり前のことを今さらながらに悔やんでいると、ふいに暖花さんがぎゅっと抱きしめてくれた。
ふわりと香るシトラスノートに、ゆっくりと身を寄せる。
何度となく与えてもらった優しさにもう一度浸りながら、私はその華奢な体に縋った。
「辛かったら、またここに来なさい」
耳元で囁かれた言葉に頷き、顔を上げる。
「ありがとう、暖花さん」
感謝の気持ちを笑顔で表して、私はそのまま暖花さんの家を出た。
空には薄く雲の刷いた青が広がり、澄んだ空気が心地よく、朝日の眩しさに目を細める。
二日間、私はずっと理人さんのことを考えていた。
けれども、やはり私の意志は変わらなかった。
理人さんにこの想いを伝えることはない。
たとえ隠し通すことで彼を困らせてしまったとしても、絶対に伝えてはいけない。
そもそも彼を傷つけるだけだと分かりきっていることを、私にできるはずもないのだ。
願うのは、理人さんの幸せだけ。
それで、十分だ。
改めて自分の気持ちを確認しながら歩いていくと、すぐにトロイメライの前に着いた。
定休日のため、ドアにはcloseと書かれた掛け看板が下がっている。
中に人がいるような気配もない。
理人さんはもう起きているだろうか。
会ったら、まず何と言ったらいいだろう。
そんなことを考えながら家の玄関の方へと回ると、ドアの前で俯きながら寄りかかる理人さんの姿を見つけた。
「理人さん……」
どうしてそんなところにいるのだろう。
そんな驚きの混じった声で、彼の名前を呼んだ。
呼んだと言うより、呟いたと言った方が正しいくらいの声量だったかもしれない。
それでも理人さんは、私の声にパッと顔を上げてくれた。
「さっき姉さんから、雨音が帰ってくるって連絡があって。居ても立っても居られなかったから、ここで待ってたの」
自嘲するような笑みを浮かべた理人さんは、そう言って私の元に駆け寄った。
普段の彼ならばすることもない表情に、胸の痛みを覚える。
しかし、彼にそんな表情をさせてしまったのは、他でもない私なのだ。
「おかえりなさい」
「ただいま」
努めて冷静さを保つようにしながら、いつもどおりの挨拶を交わし、私たちはともに家の中へと入った。
理人さんの後ろ姿を追いながら、お互い何も言えずに廊下を進む。
彼もきっと、次の言葉に迷っているのだろう。
「……突然家を飛び出したりしてごめんなさい」
このまま黙ったままでいては、何事もなかったかのように話が流れてしまうかもしれない。
そう危惧した私は、リビングのドアを抜けるなり、先手を打って謝った。
迷惑をかけてしまったのだから、きちんと謝らなければならないと思ったのだ。
まっすぐ前を向いたままでいると、私の言葉を聞いた理人さんは、慌てた様子で振り向いた。
意を決してトロイメライに戻ると伝えると、暖花さんは少し驚いた表情をしてから、ホッとしたように微笑んだ。
「よかった。実はね、理人の方も大変だったのよ」
「大変?」
「お客様から見えないところで、ため息ばっかり吐いてたの。あんなに打ちひしがれてる理人、初めて見た」
「よっぽど雨音に家出をされたのが堪えたのね」と.暖花さんはおかしそうに言った。
彼女はなんともなさそうにしてくれるけれど、やはり私は、二人にたくさんの心配をかけてしまったのだ。
そんな当たり前のことを今さらながらに悔やんでいると、ふいに暖花さんがぎゅっと抱きしめてくれた。
ふわりと香るシトラスノートに、ゆっくりと身を寄せる。
何度となく与えてもらった優しさにもう一度浸りながら、私はその華奢な体に縋った。
「辛かったら、またここに来なさい」
耳元で囁かれた言葉に頷き、顔を上げる。
「ありがとう、暖花さん」
感謝の気持ちを笑顔で表して、私はそのまま暖花さんの家を出た。
空には薄く雲の刷いた青が広がり、澄んだ空気が心地よく、朝日の眩しさに目を細める。
二日間、私はずっと理人さんのことを考えていた。
けれども、やはり私の意志は変わらなかった。
理人さんにこの想いを伝えることはない。
たとえ隠し通すことで彼を困らせてしまったとしても、絶対に伝えてはいけない。
そもそも彼を傷つけるだけだと分かりきっていることを、私にできるはずもないのだ。
願うのは、理人さんの幸せだけ。
それで、十分だ。
改めて自分の気持ちを確認しながら歩いていくと、すぐにトロイメライの前に着いた。
定休日のため、ドアにはcloseと書かれた掛け看板が下がっている。
中に人がいるような気配もない。
理人さんはもう起きているだろうか。
会ったら、まず何と言ったらいいだろう。
そんなことを考えながら家の玄関の方へと回ると、ドアの前で俯きながら寄りかかる理人さんの姿を見つけた。
「理人さん……」
どうしてそんなところにいるのだろう。
そんな驚きの混じった声で、彼の名前を呼んだ。
呼んだと言うより、呟いたと言った方が正しいくらいの声量だったかもしれない。
それでも理人さんは、私の声にパッと顔を上げてくれた。
「さっき姉さんから、雨音が帰ってくるって連絡があって。居ても立っても居られなかったから、ここで待ってたの」
自嘲するような笑みを浮かべた理人さんは、そう言って私の元に駆け寄った。
普段の彼ならばすることもない表情に、胸の痛みを覚える。
しかし、彼にそんな表情をさせてしまったのは、他でもない私なのだ。
「おかえりなさい」
「ただいま」
努めて冷静さを保つようにしながら、いつもどおりの挨拶を交わし、私たちはともに家の中へと入った。
理人さんの後ろ姿を追いながら、お互い何も言えずに廊下を進む。
彼もきっと、次の言葉に迷っているのだろう。
「……突然家を飛び出したりしてごめんなさい」
このまま黙ったままでいては、何事もなかったかのように話が流れてしまうかもしれない。
そう危惧した私は、リビングのドアを抜けるなり、先手を打って謝った。
迷惑をかけてしまったのだから、きちんと謝らなければならないと思ったのだ。
まっすぐ前を向いたままでいると、私の言葉を聞いた理人さんは、慌てた様子で振り向いた。