「ねぇ。もしも将来、雨音が結婚式を挙げるときがきたら――」

理人さんが幸せそうに目を細める。

お願い、やめて。
もう何も言わないで。

「――姉さんのときみたいに、アタシがあなたとバージンロードを歩いてもいいかしら」

その目は私を妹としてしか見ていない。
彼が私に恋愛感情を向けてくれることなんてない。
それを感じさせる決定的な一言に、ついに私の心は悲鳴を上げた。

私のこの想いは、彼を困らせ、悲しませるだけのものだと知っている。
だからこそ、気づかれないようにしようと決めたのは私自身なのだ。
そんな私が、彼の言葉に傷つく筋合いなんてないのに。
それなのに、どうして。
どうしてこんなにも、悲しみでいっぱいになってしまうのだろう。

「そうだね……。一緒に歩いてくれる……?」

「ええ、もちろんよ。でもそのときはアタシ、もしかしたら泣いちゃうかもしれないわ。娘を持つ父親って、こんな気持ちなのかしら」

「あはは……」

無理やり出した笑い声は、かすかに震えていた。
これ以上声を出せば泣いてしまいそうで、唇をぎゅっとかみしめ、俯く。
けれども悲しみの波はちっとも静まってはくれない。

「雨音……?」

心を持て余し、どうすることもできなくなった私は、ガタリと音を立てて席を立った。
このままでは悲しみに飲まれて、何もかもをめちゃくちゃにしてしまいそうだった。
だから、逃げるしかなかった。

耐えきれなかった涙が、頬を伝って落ちていく。
後ろから理人さんの戸惑った声が聞こえたものの、その声を振り切るようにして、私は家を飛び出した。



「雨音!? どうしたの、こんな時間に」

「突然ごめんね、暖花さん」

何も持たずに家を飛び出してしまった私は、迷った末に、暖花さんが旦那さんと暮らしているマンションに向かった。

こんなときに私が頼れるのは、颯司くんか暖花さんくらいしかいない。
けれど理人さんとのことで心配をかけつづけている颯司くんに、これ以上の迷惑をかけるわけにもいかず、暖花さんの元を訪れたのだ。

彼女は突然押し掛けた私に驚きながらも、すぐに部屋へと上げてくれた。
ちょうど旦那さんが急用で出て行ったところだったらしく、部屋はしんと静まり返っている。

「理人とケンカでもした?」

二人並んでソファーに座ると、暖花さんは優しく問いかけてくれた。
その問いを、ゆるゆると首を振って否定する。

「理人さんは悪くないの。私が勝手に飛び出してきただけ」

「そう? でも、雨音は理由もなくそんなことをする子じゃないでしょう?」

そう言って、暖花さんはその長くて真っ白な手を伸ばし、私の頭を柔らかくなでた。
彼女の優しい声と手に、張りつめていた気持ちが安らいでいくのが分かる。
しかし私は、家を飛び出してきた理由をどうしても伝えることができなかった。

私の想いを一から十まで説明するためには、理人さんが暖花さんに抱いていた想いにも触れなくてはならないと思ったのだ。
けれどそんなことができるはずもなく、かといってはぐらかすことも、適当な理由をつけることも、余裕のない今の私には難しい。