いつから彼に恋をしていたのだろう。
理人さんのことは、ずっと昔から好きだった。
けれどその好きは、親愛や憧れからくる感情で、恋なんてものではなかったはずなのに。

ううん、いつからかとか、どうしてかなんて、この際どうだっていい。
私が理人さんに恋をしていることは紛れもない事実で、考えるべきは、ひょんなことからその感情に気づいた私が、もう今までの私でいることができなくなってしまったということだ。

「雨音、眉間にしわが寄ってる」

「ま、また……?」

颯司くんに指摘され、眉間を指でさする。
このやりとり、今日はこれで3回目だ。

「どうせ英文の訳じゃなくて、理人のことでも考えてるんだろ」

「うっ……」

何も言い返せずに俯くと、颯司くんは呆れたようなため息を吐いた。

――9月。

夏休みもとうに終わり、受験生である私は毎日勉強に明け暮れている。
今日は自分の部屋ではなく、裏庭の木陰に置いてあるガーデンテーブルの上に教科書を広げていた。
室内にこもりきりでは息が詰まるから、私はこうして、たまに外で勉強をするのだ。
そこに突然「暇だ」と言って現れた颯司くんは、私の向かいで静かにバイク専門の雑誌を読んでいたのだけれど。

「そんな調子だと試験に落ちるぞ」

「嫌なこと言わないでよ……」

相変わらずの辛口で諭され、肩を落とす。

私が理人さんに恋をしていることは、私がそれを自覚してから間をおかずに颯司くんにばれていた。
颯司くん曰く、彼が鋭いのではなく、私が分かりやすすぎるのだそうだ。

彼がふらりと私の元に現れたのは、ここ最近、私が理人さんのことばかり考え、勉強に集中できていないと気づいたからなのだろう。
先ほどから雑誌を読むふりをして、ずっと私を見張ってくれている。
言葉つきはぶっきらぼうだが、本当にとてつもなく優しい人なのだ、颯司くんは。

「理人のことは、試験が終わってから好きなだけ考えればいいだろ」

そんな彼の忠告は、極めてもっともなことばかりだった。
私が勉強以外のことにかまけている余裕なんて、今はどこにもないというのに。

「頭では分かってる。でもどうしてなのか、すぐに理人さんのことが浮かんできちゃうの」

けれどいくら集中しようと参考書の英文を追っていても、気づけば理人さんのことを考えてしまうのだ。
恋の病とはよく言ったもので、まるで悪い病気にでもかかってしまったかのように、私はここのところずっと熱に浮かされている。
勉強なんて、とても身が入らないくらいに。

「こんな気持ち、忘れられたらいいのになぁ」

手に持っていたシャーペンを芝の上に放り、私が投げやりな調子で呟くと、颯司くんは戸惑ったように眉をひそめた。

「忘れたりしたら困るだろ」

「……困らないよ」

むしろこんな想いは早く捨て去らなければならないのだ。
それは勉強に集中できないからではない。
私が一番恐ろしいのは、ふとした瞬間、この想いが理人さんに気づかれてしまうかもしれないということだった。

「私ね、理人さんに告白するつもりはないんだ」

そう言うと、颯司くんは驚きに息を呑んだようだった。
彼にしては珍しく、言葉を探すように視線を彷徨わせている。