そのときだった。

ふと誰も居ないはずの庭に、たおやかな声が響いたのだ。
ゆっくりと振り向けば、私のすぐ傍に、一人の女性が立っているのが見える。

「さるびあ……?」

「その花の名前よ。こうして並んで咲いていると、美しいわよね」

女の人は私の横に座ると、触れていた赤い花の名前を教えてくれた。
覚えこむように、もう一度“サルビア”と呟き、それから彼女の顔を見上げる。

艶のある黒髪に、はっきりとした美しい顔立ち。
たぶん、私のお母さんよりも年上だろう。
けれど決して年老いた雰囲気はなく、むしろ堂々としていて格好いい、大人の女の人だ。
唇を彩るのは、この花と同じ赤い色。
母とは真逆の印象をもつ女性を前にして、私は少しだけ緊張した。
この人も、親戚の一人なのだろうか。

「あなた、花が好きなの?」

頭の中でいろんなことを考えていると、彼女は落ち着いた声で私に問いかけた。

「お花……?」

返す言葉に迷い、俯いて考える。

「好き」と言えるほど、私は花のことを知らない。
咲いているのを見れば綺麗だと思うけれど、ただそれだけだ。

けれど、私のお母さんは花が大好きだった。
いつか家の花壇を花でいっぱいにすることが夢なのだと言って、たまに小さな花を買ってきては、私や妹と一緒に育てるのを楽しみにしていた。
幼い少女のように花を愛でるお母さんを見て、私も嬉しくなったのを覚えている。
お金がなかったからその夢はなかなか叶わず、そしてもう二度と果たされることはないけれど。

「……好きです」

考えあぐねた末に、私はそう答えた。

花はお母さんを幸せにしてくれたから。
それに私はお母さんが好きなのだから、お母さんが好きなものだって、きっと好きになれるだろうと思ったのだ。
すると、それを聞いた彼女は満足げに顔を綻ばせ、私の目を見つめた。

「美しいものを愛でる時間は、とても豊かなものでしょう? 花を愛する余裕があるのは、あなたがいい女である証拠よ」

彼女の話は少し難しく、私は曖昧に頷くしかなかった。
ただ、彼女の目は眩しいものを見るかのように細められ、懐いているあたたかな感情は見て取れる。
よくは分からないけれど、彼女もきっと、花が好きなのだろう。

「これはジニア。日本語では百日草。夏には育てやすい花ね」

「かわいい。……こっちはなんですか?」

「それはゼラニウム。特にそういう赤い花弁のものには、“君ありて幸福”っていう花言葉があるのよ」

「きみ、ありて?」

「あなたがいるから私は幸せ、ってこと」

それからしばらく、私たちは共に庭の花々を眺めた。
曰く、彼女は“フラワーデザイナー”という、花を扱う芸術家なのだそうだ。
ゆえに花の知識をたくさん持っており、問えばすぐに答えてくれて、それらはしばしば私を驚かせた。

私が特に一番興味を引かれたのは、花言葉の話だった。
花は種類や色、特質などによって、特定の言葉を与えられているらしい。
例えばユリは“純粋”、マーガレットは“恋占い”、アネモネは“はかない恋”といった具合に。