降りしきる蝉時雨と、キャリーケースの車輪がアスファルトを擦る音に包まれながら、今野初音は歩いていた。
 ぎらつく夏の日差しが水分と体力を容赦なく奪う。初音は右手に持つ、とっくに空になったペットボトルを見つめた。さっきの自動販売機を見逃してしまったのが悔やまれる。あそこからもう結構進んでしまったので、今更引き返すのも億劫だった。
 携帯のバッテリーも無い。こと切れる瞬間に目に焼き付けた地図の情報を頼りに進んでいるのだが、もし間違っていたら一巻の終わりである。
 辿り着く前に熱中症で倒れてしまうのではないかと絶望しかけるが、ふと辺りが見覚えのある景色になっていることに気づく。
 懐かしさに記憶をくすぐられ、初音は思わず顔をほころばせる。勿論その笑みには、ようやく涼しい部屋で水が飲める、そして行き倒れになる心配も無くなった、という安堵の意味も含まれていた。
 前方で高い塀に囲まれた古い木造家屋を背景に、一人の老女が大きく手を振って呼びかけている。
 今野恒子――初音の祖母である。そしてその祖母の家こそが、彼女の目的地なのだ。初音は最後の力を振り絞るように駆け足になった。
 家の前に着く。七年ぶりに見る祖母は、記憶の中の姿とちっとも変わっていなかった。米寿も近いというのに元気そのものである。足腰を悪くしたとは聞いていたものの、それ以外は至って健康そうだ。
 「おばあちゃん久しぶり」
 「いやあ、よう来たな。ばってん、昨日ん夜いきなり電話してきたけん驚いたばい。恒一と敏子さんと喧嘩でもしたとね?」
 恒一と敏子というのは初音の両親の名前である。
 恒子の言ったことは図星だった。勘の鋭いところも昔のままである。
 初音は、『ある秘密』――家出の原因でもある――までも勘繰られているのではないかと疑ったが、流石にそれはないだろうと思い直す。何せ恒子とは小さい頃以来なのだ。
 恒子は「やっぱりか」と快活に笑った後、詮索することもなくすぐに初音を通してくれた。言いにくい事情があることは察してもらえたらしい。
 屋内は冷房がよくきいていて、生き返るような心地がした。冷房をつけたがらない高齢者が熱中症で死亡、というニュースを最近よく聞くが、恒子を見ているとそれは本当かと疑問に思えてくる。