「おい、千紗さん!」
呼びかけられて、ふっと目を覚ます。立ったまま眠ってたみたいだ。
わたしは今のが夢だったことにほっとする。
理子はあんな人じゃない。置き去りにされて寂しかったのと、体調が悪くて、あんな風に夢の中で理子のイメージがおかしくなっちゃっただけ。
自分に言い聞かせながら目をこすったわたしは、ふと道路の先を見た。
折良く、歩いてきた方向から響く車のエンジン音に気づいた。
「籬さんたちが、車を呼んできてくれたんだ!」
そう喜んだのもつかの間。
やがて視界にはっきり見えるようになったタクシーを見て、ドン引きしそうになった。
屋根の上に、老人二人が仁王立ちになっていたのだ。
「……たくしっ、まっ、くず……なんでぇぇぇぇぇっ!?」
思わず大声を上げてしまったわたしに、悠司くんは淡々と「大声を上げられるなら、随分元気になったみたいだな」と呟く。
や、ちょっと驚こうよ! それともこの三人はいつもこんなことしてるわけ? 町で有名なタクシーの上に仁王立ちになるご老人だったとか!?
口をぽかんと開けたままのわたしの前に、やがてタクシーが停車する。すると老人二人がひらりとタクシーの屋根から飛び降りてきた。
「さ、車は呼んだからのぅ。さっさと乗るとえぇよ」
タクシーの運転手が開いてくれたドアに向かって、久住さんがわたしの背中を押す。
「うひゃっ」
座席に倒れ込むように乗車し、急いで起き上がった時には、入り口に蓋をするように悠司くんが乗ってくる。いつの間にか、助手席には籬さんが座っていた。
そして久住さんは。
「……え?」
悠司くんが着席した所で、タクシーのドアは閉まる。
「久住さん、一緒じゃないの!?」
わたしは悠司くんを押しのけ、久住さんに近い窓に身を乗り出す。あ、でも窓締まってるから声が聞こえないかも? と思ったら、悠司くんがさりげなく窓を開けてくれた。すぐに窓枠にかじりつく。
「久住さん乗らないの!?」
「ああそうだよ」
なんでもないことのように肯定された。
確かにタクシーの屋根に仁王立ちなんてワザができる人だ。このまま置いていったって、一人で帰れるだろう。だけどわざわざタクシーを呼びに行ってもらったのに、歩いて帰らせるのが心苦しい。
「気にせんでええよ。わしゃゆうちゃんに借りを返しただけじゃ」
しゃっしゃっしゃ、と変な笑い声を上げた久住さんは、悠司くんに視線を向ける。
「今回の借りはこれでええかの?」
「ああ、助かった。また用があったら呼んでくれ」
「できれば呼ばんで済む方がええ。度々墓の修理が必要なんてのは、勘弁してほしいのぅ」
二人が話しているまっ最中に、運転手さんが空気を読まずに話しかけてくる。
「お客さん、どちらまで?」
「門ノ橋へ向かって、ゆっくり進んで下さい。じゃあ」
運転手に応えた悠司くんは、短い別れの言葉を久住さんに告げて窓を閉じる。すぐにタクシーが走り始めた。
わたしは久住さんに手を振るために、リヤウインドの方へ振り返ろうとした。が、車のドアにつっぱって体を支えていた腕を引かれ、悠司くんの膝の上に落下する。
「ひっ!」
男の子の膝の上、膝の上に頭のせちゃった! やっぱ女の子と違って柔らかくないっていうか……。
驚いて起き上がったが、悠司くんは全く平然としている。その狼狽えなさぶりに自分だけ妙に意識してるんじゃないかと思って、恥ずかしくなった。
「悠司くん、急に腕を引っ張らなくてもいいじゃない!」
「悪い、なんか邪魔だと思ったからつい」
「言ってくれたらいいのに」
拗ねながら改めて後ろを見たが、カーブを曲がった後だったので、久住さんの居た場所は見えなくなっていた。
ほんの数十分しか一緒にいなかったけど、迷子のわたしに付き添ってくれたり、なんだかんだとよくしてもらったのだ。せめて見えなくなるまで手を振りたかった……。
私はしょんぼりとした気持ちで席に座り直す。
その後は静かだった。
助手席にいる籬さんも、さっきとは違って真剣な表情で前を向いたまま。
なぜか運転手がしきりに横を気にして、寒そうに身震いする。車の中は別に寒くないとんだけど、この運転手さんも風邪をひいてるんだろうか?
車はそのまま走り続ける。ゆっくり進んでいるとはいえ、自動車の速さで五分、十分と時間が過ぎていっても、まだ周りの景色は一向に変わりばえしない。
一度別な方向に伸びる道があったが、変化はそれぐらいだ。山間に囲まれた山道はどこまでも続いているような錯覚に陥る。
先を見ても、あるのは灰色の道だけ。町の姿一つ見えない。
おかしい。だってバスを乗り過ごしたのはほんの十数分くらいのはず。なのに、どうして目的地の町に着かないの?
「……っ」
疑問を持った途端、なんだか胸が苦しくなる。
呼吸がうまくできなくて、なんだかつま先から少しずつ水の中に浸されていくような、冷たい感覚に襲われた。
うずくまるとすぐに、横から伸びた腕にくるまれた。慣れ始めた悠司くんの腕。ひそめた声に口から心臓が飛び出しそうなほど驚いた。
「おい、しっかりしろ。妙な事を考えるな」
「妙なことって……」
悠司くんに命令されるが、こんな苦しい状態で一体何を考えろというんだろう。
抱きしめられている状態に心臓がどきどきして、少し具合の悪さは遠ざかったのだけど……。これ、ストレスなんだろうか?
でも油断すると、手足の先から冷えて行く感覚がまた襲って来る。
「いいから。何か別なことを考えろ」
「だって、一体何を考えればいいの?」
目をきつく閉じる私に、悠司くんも応えに詰まったようだった。
「お嬢ちゃん。名前はなんだったかな?」
突然助手席の籬さんが話しかけてくる。目を開いてみたが、籬さんはこちらを振り返っているわけではなかった。
「千紗……」
「千紗さんか。一緒に旅行に来ていると言っておったな。その友達は?」
「イズミと、理子」
続きは悠司くんが引き取った。
「千紗さん、その二人はどんな人なんだ?」
促されるままに話し出す。すらすらと口から最初に出てきたのは、イズミのことだった。
「イズミは……ほんとは名前が佳恵なんだけど、ダサイから苗字でよんでくれって言うの。だからイズミってみんなで呼んでて」
話していると、本当に息苦しさが治まってきた。周りに気を配る余裕がでてきて、わたしの言葉に籬さんがいちいちうなずいてくれている事に気づく。
「そのイズミさんは、いつから友達なんだ?」
「高校で同じクラスになって……」
「その人の気になるところは?」
イズミの短所ならすぐ思いつく。
「短所は、お化粧に熱が入っているわりに、行動に関しては女の子の自覚がないことかな。学校の椅子の上で片足あぐらかくのやめてほしい。でも、悩んでるとすぐ気付いてくれて……」
そうして「そんなの気にすんじゃないよ」と笑い飛ばしてくれる。
「もう一人は?」
「理子……理子は、一生懸命な子」
恋にいつでも一生懸命だ。
「たまに恋愛以外のことも考えた方がいいんじゃないかと思う。失恋のせいで勉強が手に着かなくなって、赤点とったこともあるし。惚れっぽいんだけど、失恋すると傷つくのに、でもすぐに次に行くから、強い人だと思ってて」
理子だって怖いんだよね。次もだめかもしれないって。だからおまじないに頼りたくなったんだ。
「おまじないに頼ってること聞いた時、初めてそれに気づいて」
どうか叶いますようにって、わたしはおまじないの石にそう願ったのだ。
呼びかけられて、ふっと目を覚ます。立ったまま眠ってたみたいだ。
わたしは今のが夢だったことにほっとする。
理子はあんな人じゃない。置き去りにされて寂しかったのと、体調が悪くて、あんな風に夢の中で理子のイメージがおかしくなっちゃっただけ。
自分に言い聞かせながら目をこすったわたしは、ふと道路の先を見た。
折良く、歩いてきた方向から響く車のエンジン音に気づいた。
「籬さんたちが、車を呼んできてくれたんだ!」
そう喜んだのもつかの間。
やがて視界にはっきり見えるようになったタクシーを見て、ドン引きしそうになった。
屋根の上に、老人二人が仁王立ちになっていたのだ。
「……たくしっ、まっ、くず……なんでぇぇぇぇぇっ!?」
思わず大声を上げてしまったわたしに、悠司くんは淡々と「大声を上げられるなら、随分元気になったみたいだな」と呟く。
や、ちょっと驚こうよ! それともこの三人はいつもこんなことしてるわけ? 町で有名なタクシーの上に仁王立ちになるご老人だったとか!?
口をぽかんと開けたままのわたしの前に、やがてタクシーが停車する。すると老人二人がひらりとタクシーの屋根から飛び降りてきた。
「さ、車は呼んだからのぅ。さっさと乗るとえぇよ」
タクシーの運転手が開いてくれたドアに向かって、久住さんがわたしの背中を押す。
「うひゃっ」
座席に倒れ込むように乗車し、急いで起き上がった時には、入り口に蓋をするように悠司くんが乗ってくる。いつの間にか、助手席には籬さんが座っていた。
そして久住さんは。
「……え?」
悠司くんが着席した所で、タクシーのドアは閉まる。
「久住さん、一緒じゃないの!?」
わたしは悠司くんを押しのけ、久住さんに近い窓に身を乗り出す。あ、でも窓締まってるから声が聞こえないかも? と思ったら、悠司くんがさりげなく窓を開けてくれた。すぐに窓枠にかじりつく。
「久住さん乗らないの!?」
「ああそうだよ」
なんでもないことのように肯定された。
確かにタクシーの屋根に仁王立ちなんてワザができる人だ。このまま置いていったって、一人で帰れるだろう。だけどわざわざタクシーを呼びに行ってもらったのに、歩いて帰らせるのが心苦しい。
「気にせんでええよ。わしゃゆうちゃんに借りを返しただけじゃ」
しゃっしゃっしゃ、と変な笑い声を上げた久住さんは、悠司くんに視線を向ける。
「今回の借りはこれでええかの?」
「ああ、助かった。また用があったら呼んでくれ」
「できれば呼ばんで済む方がええ。度々墓の修理が必要なんてのは、勘弁してほしいのぅ」
二人が話しているまっ最中に、運転手さんが空気を読まずに話しかけてくる。
「お客さん、どちらまで?」
「門ノ橋へ向かって、ゆっくり進んで下さい。じゃあ」
運転手に応えた悠司くんは、短い別れの言葉を久住さんに告げて窓を閉じる。すぐにタクシーが走り始めた。
わたしは久住さんに手を振るために、リヤウインドの方へ振り返ろうとした。が、車のドアにつっぱって体を支えていた腕を引かれ、悠司くんの膝の上に落下する。
「ひっ!」
男の子の膝の上、膝の上に頭のせちゃった! やっぱ女の子と違って柔らかくないっていうか……。
驚いて起き上がったが、悠司くんは全く平然としている。その狼狽えなさぶりに自分だけ妙に意識してるんじゃないかと思って、恥ずかしくなった。
「悠司くん、急に腕を引っ張らなくてもいいじゃない!」
「悪い、なんか邪魔だと思ったからつい」
「言ってくれたらいいのに」
拗ねながら改めて後ろを見たが、カーブを曲がった後だったので、久住さんの居た場所は見えなくなっていた。
ほんの数十分しか一緒にいなかったけど、迷子のわたしに付き添ってくれたり、なんだかんだとよくしてもらったのだ。せめて見えなくなるまで手を振りたかった……。
私はしょんぼりとした気持ちで席に座り直す。
その後は静かだった。
助手席にいる籬さんも、さっきとは違って真剣な表情で前を向いたまま。
なぜか運転手がしきりに横を気にして、寒そうに身震いする。車の中は別に寒くないとんだけど、この運転手さんも風邪をひいてるんだろうか?
車はそのまま走り続ける。ゆっくり進んでいるとはいえ、自動車の速さで五分、十分と時間が過ぎていっても、まだ周りの景色は一向に変わりばえしない。
一度別な方向に伸びる道があったが、変化はそれぐらいだ。山間に囲まれた山道はどこまでも続いているような錯覚に陥る。
先を見ても、あるのは灰色の道だけ。町の姿一つ見えない。
おかしい。だってバスを乗り過ごしたのはほんの十数分くらいのはず。なのに、どうして目的地の町に着かないの?
「……っ」
疑問を持った途端、なんだか胸が苦しくなる。
呼吸がうまくできなくて、なんだかつま先から少しずつ水の中に浸されていくような、冷たい感覚に襲われた。
うずくまるとすぐに、横から伸びた腕にくるまれた。慣れ始めた悠司くんの腕。ひそめた声に口から心臓が飛び出しそうなほど驚いた。
「おい、しっかりしろ。妙な事を考えるな」
「妙なことって……」
悠司くんに命令されるが、こんな苦しい状態で一体何を考えろというんだろう。
抱きしめられている状態に心臓がどきどきして、少し具合の悪さは遠ざかったのだけど……。これ、ストレスなんだろうか?
でも油断すると、手足の先から冷えて行く感覚がまた襲って来る。
「いいから。何か別なことを考えろ」
「だって、一体何を考えればいいの?」
目をきつく閉じる私に、悠司くんも応えに詰まったようだった。
「お嬢ちゃん。名前はなんだったかな?」
突然助手席の籬さんが話しかけてくる。目を開いてみたが、籬さんはこちらを振り返っているわけではなかった。
「千紗……」
「千紗さんか。一緒に旅行に来ていると言っておったな。その友達は?」
「イズミと、理子」
続きは悠司くんが引き取った。
「千紗さん、その二人はどんな人なんだ?」
促されるままに話し出す。すらすらと口から最初に出てきたのは、イズミのことだった。
「イズミは……ほんとは名前が佳恵なんだけど、ダサイから苗字でよんでくれって言うの。だからイズミってみんなで呼んでて」
話していると、本当に息苦しさが治まってきた。周りに気を配る余裕がでてきて、わたしの言葉に籬さんがいちいちうなずいてくれている事に気づく。
「そのイズミさんは、いつから友達なんだ?」
「高校で同じクラスになって……」
「その人の気になるところは?」
イズミの短所ならすぐ思いつく。
「短所は、お化粧に熱が入っているわりに、行動に関しては女の子の自覚がないことかな。学校の椅子の上で片足あぐらかくのやめてほしい。でも、悩んでるとすぐ気付いてくれて……」
そうして「そんなの気にすんじゃないよ」と笑い飛ばしてくれる。
「もう一人は?」
「理子……理子は、一生懸命な子」
恋にいつでも一生懸命だ。
「たまに恋愛以外のことも考えた方がいいんじゃないかと思う。失恋のせいで勉強が手に着かなくなって、赤点とったこともあるし。惚れっぽいんだけど、失恋すると傷つくのに、でもすぐに次に行くから、強い人だと思ってて」
理子だって怖いんだよね。次もだめかもしれないって。だからおまじないに頼りたくなったんだ。
「おまじないに頼ってること聞いた時、初めてそれに気づいて」
どうか叶いますようにって、わたしはおまじないの石にそう願ったのだ。