「そこの椅子でいい、ちょっと来い」

 年下とは思えぬ横柄な呼びつけにむっとしたが、彼の言う通りにするわけにはいかない。

「あの、そこ座ってる人がいるんだけど……」

 そう言うと、彼を囲んでいた老人達がわたしを一斉に振り向く。しかも目を丸くして。

「ちょっ、ちょっと何?」

 一歩後ろに下がりかけたが、それよりも先に立ち去った人がいた。

「……ああ、確かにゆうちゃんのお客さんだね。じゃ、よろしくね」

 そう言って店員のおばあちゃんはカウンターへ戻ってしまった。
 座席についている老人達もざわざわと囁きながら移動を始める。

「うわーほんとじゃあ」
「これは久々に来たのぅ」
「そうしたら、わしらは邪魔じゃな。先帰るわ」
「んだな」

 少年の正面にいた二人のおじいさんが席を立った。

「またのぅ、ゆうちゃん」

 ゆうちゃん本人は面倒そうに去っていく老人二人に手を振り、再度わたしに席を勧めてきた。
 人もいなくなったので腰掛けると、ゆうちゃんと呼ばれていた少年は、ドーナツを自分の正面から追いやりながら言った。

「初めまして、僕は笛吹悠司(うすいゆうじ)だ」
「あ、水城千紗(みずしろちさ)です……あの」

 今のは一体何なのかと尋ねようとしたが、それを悠司くんに遮られた。

「とりあえず急いだ方がいいみたいだし、君の事情を聞こうか、千紗さん」

 そう切り出され、早く理子たちと合流したかったわたしは、疑問を解消したい気持ちをひっこめた。

   ***

 一通り現状を話し終えるまでの間、なぜか悠司くんはわたしの顔をじっと見つめていた。
 なんか、観察されているような感じだ。

「というわけで、門ノ橋まで戻りたいの」

 話し終えると、悠司くんは何かを納得したようにうなずいて、ようやく視線を外してくれた。
 ほっとした瞬間に、妙な倦怠感に襲われる。道を教えてもらいたいだけなのに、なんか疲れた……。が、悠司くんはすぐに行動を開始する。

「よし。そっちへ行くバスはないだろうから、門ノ橋まで歩くぞ」

 彼が立ち上がったので、急いでそれに習う。すると悠司くんの左右を固めていた老人達まで「よっこいせ」と立ち上がった。
 ちょっと待って、その二人も一緒なの? 途中で足を痛めたり、腰が痛くて歩けなくなったりするんじゃないだろうか。

 はらはらとしながら見ていると、もんぺを履いた小柄なおばあさんの方がこちらを向いた。にやっと笑いかけてくる。

「わたしゃ久住(くずみ)という。今日は同行させてもらうからの。ゆうちゃんのお役に立たんといかんのじゃ」

 久住さんが自己紹介してくると、もう一人のかくしゃくとした動きの着物姿のおじいさんも、名乗ってきた。

「悠司のお目付役の(まがき)である」

 そう言ったとたん、悠司くんから突っ込みがはいる。

「お目付役って何だよ……。むしろこっちが不良じいさんのお目付役してんだろ」
「なんのことかいな?」

 悠司くんの言葉は図星だったようだ。籬さんはあさっての方向を向いてすっとぼけた。
 籬さんから視線をそらした悠司くんは、ポケットから取り出したビニール袋の中に、残ったドーナツをせっせと入れはじめる。

「悠司くん、あんなに嫌そうに食べてたのに……」
「必要なんだよ。おまえも一個食っとけ」

 ぽいと渡されたドーナツは、ココア味だ。
 見た瞬間、口の中に唾液があふれてくる。すごく食べたい。なぜ今まで気付かなかったのかと思うぐらいに甘い物がほしくなる。

 結局その場で一個ぺろりと食べてしまった。
 甘さが頭にじんわりしみこんでいくようで、ひどく心地よい。なんだか、さっきまで感じていた疲れも溶けていく。

「さ、もたもたしてると日が暮れるぞ」

 急かしてくる悠司くんにうなずいて一緒に店を出た。
 四人でぞろぞろと向かったのは、バス停を降りたのとは違う道だ。

 五分もしないうちに家の姿は木々に飲み込まれて見えなくなり、わたし達は山の中を歩き始めていた。

 薄暗い森の中に作ったようなコンクリートの道を、先頭の悠司くんが無言で進む。
 その後ろにわたしがいて、なぜか左右を籬さんと久住さんに固められていた。なぜ彼らがわたしをサンドイッチするのかと思ったが、二人は知りたがりだったらしい。

「なぁお前さんは、バスに乗って家に帰る途中だったんだか?」
「いえ、旅行の途中で……」

 久住さんが感心したような声を出す。

「あんれまぁ。最近は女の子だけで旅に出るんかい? 世の中変わったもんじゃのぅ」
「久住のばあさんが時代遅れなだけであろ。それで千紗さんとやら。一体どこに住んでおるのだ?」

 籬さんは偉そうなしゃべり方だが、その目は好奇心でぎらぎら輝いている気がする。

「隣の県の……玖木市なんですけど」
「そっから一人でかの?」
「友達と三人です」

 久住さんに応えたとたん。右手側から籬さんが声を潜めて尋ねてくる。

「まさか……一緒に来たのは、男じゃあるまいな?」
「えっ!? ちょっ、おおお男って!」

 否定しようとしたところに、久住さんが割り込んできた。

「婚前旅行かいの? ふしだらじゃのぅ」

 ちょっと待って! 男が一緒だなんて肯定してないし、しかも婚前旅行て何! この年で結婚なんていつの時代の話!?

「ちがっ! わたしまだ高校生だし!」
「最近の子供はずいぶん進歩的なようだな。学生が異性同士で旅行とは。悠司もまもなく高校生になるなのだし、一つ忠言をしておかねばな」

 悠司くんは中学生だったんですか。って、どうして男と旅行ってのが確定なわけ!?
 涙目になって抗議したところで、前方から助け船が出た。

「お前ら、あんまり人の事情に顔突っ込むなよ」

 冷静な声に、両側二人は「いやぁ、あんまりからかいがいがあるもんでのぅ」とか「ちょっと遊んだだけに決まっておるだろ」と笑って誤魔化す。

 老人二人を叱った悠司くんは「たまに他の奴と話す機会があると、ひっついて離れなくなるんだからな」と呟いて前に向き直る。

 そうか。田舎町だから、よそから来た人がめずらしいのだろう。もしかしたら過疎化で子供の数も少なくて、顔なじみの老人以外とはめったにしゃべらないのかもしれない。
 そんな事を考えていたら、隣で久住さんがぽつりと言った。

「あんたぁ、良い子じゃのぅ」
「……え?」

 心を読んだのかと思って驚くが、久住さんは悠司くんの背中を見つめたまま、こちらを向いてもいない。今のは、空耳だろうか?