その後、わたしは悠司くんともども病院で手当を受け、警察から簡単な事情聴取も受けた。

 事故の被害者な上、事故当時眠ってたせいで記憶がなかったということで押し通し、比較的早く事情聴取は終わった。
 むしろタクシーの運転手さんと悠司くんの方が、長く事情を聞かれたみたいだ。何のかかわりもなかったのに現場に行った悠司くんの行動が、不思議すぎたらしい。
 ちなみに未成年なので、わたしや悠司くんの元には親族が飛んできた。事故に遭ったと聞いて真っ青な顔をして駆けつけたお母さんは『自力でバスからは下りたものの、ふらついて崖から落ちかけた』わたしを助けたことになってる悠司くんに、大層感謝していた。

 悠司くんの保護者としてやってきたのは、ドーナツ屋のおばあちゃんだ。
 何もかも承知しているらしいおばあちゃんは「ほっほっほっ、虫を探して遠くまで行って偶然見つけたんでしょうね、虫探しも人様のお役に立つことがあるものですね。うちの子も結局落ちかけたのですから、気になさらず……」と笑っていた。
 悠司くんは虫とりにわざわざあそこまで行ったことになっている。……無理がある言い訳っぽいけど、誤魔化す方法が思いつかない山の中で色々発見した時は、いつもそう言っているらしい。

 バスの運転手さんは、病院に運ばれてからすぐに意識を取り戻したと聞いた。その話によると、あの場所にさしかかった所で急にハンドルがきかなくなり、事故をおこしてしまったのだと、警察の人から教えてもらった。
 どうもあの付近では時折そういう事故が起こっていたようだ。
 相当あの幽霊達は飢えていたらしい。
 このままでは、また事故が起こるんじゃないかと悠司くんに話したら、

「少し餌付けして、自分たちでなんとかするようにしつけておく。気にするな」

 と頼もしいのか微妙にサドっぽいのか、わからない発言が返ってきた。
 でもすっかりこの口調に慣れてしまったのか、わたしは妙に安心する。
 言い切ったのだから、悠司くんは絶対にそうさせてみせるだろう。わたしの手を、離さずにいてくれた時のように。

 そんなわたしはすぐ帰らず、警察や病院に行った後に予定通りの宿に一泊した。帰ると深夜になるから……ということで、お母さんも一泊して行くことにしたからだ。
 おかげでイズミや理子とも話す時間ができて、おまじないや恋愛に関するわだかまりも、だいぶん解けた。

 そうして朝、メールが来た。
 別れ際「明日様子を見に行く」と言った悠司くんからだ。
 荷物をまとめたわたしは、ジュースを買いに行くと言って一人でこっそりと宿の外へ出た。
 旅館を囲む塀を出たそこに、悠司くんの姿があった。昨日よりも少し年が近い男の子のように見えるのは、服装が変わったからだろうか。黒のジャケットを着て、少し大人びた気がする。
 ま、同じ服を着ているわけもないか。木や地面にこすって汚れただろうし。わたしもそうだったから、今は軽いからと鞄に詰めてたワンピースを着ているし。

「昨日は本当にありがとう。悠司くんがいなかったら、本当にどうなってたかわからないもん」

 出会い頭にわたしは頭を下げて御礼を言った。
 最悪、気付いた時にはバスと一緒に奈落の底にいたかもしれないんだし、それを助けてくれて本当に感謝している。

「なんて御礼をしたら……あ、せめて旅館で菓子折でも買って来たら良かったんだ! ちょっと待っててくれる?」

 慌てて旅館に戻ろうとしたわたしを、悠司くんが止めた。

「いや、今はいい! 今度俺が金欠の時にでも、甘い物おごってくれれば。あのじいさんたちがまた集ってくるだろうからな」

 結局は籬さんたちに必要になったらよろしく、というような内容だった。自分用のはいらないだなんて、こういうところがさりげなく優しいんだよねと思う。
 しかし、ここまで来るのは難しい。旅行じゃないと足を運ばない場所だ。郵送するしかないのかな。

「うん、いいけど。でもあの町まで呼ばれてすぐ行くのは難しいから宅急便かなにかで送るよ。住所どこ?」
「いや、俺の家はあそこじゃない。久住のばーさんに呼ばれて仕方なく行っただけだ」

 そして、何故か言いにくそうに告げてくる。

「玖木市だから……千紗さんと同じだ」
「えっ、同じ市内なの? どこの区?」
「中央区」
「うちの隣? まさか中学って玖木中央?」

 まさか結構近かったりするのかもと尋ねてみたら、意外な答えが返ってきた。

「四月から高校。緑丘だ」
「高校……同じ……」

 間違いなく、わたしと悠司くんには縁があったようだ。きっと縁結びのおなじないが、出会う時期を早めたのだろう。

「じゃ、放課後に先輩がおごってあげよう」
「……春休み開けに忘れたりしないか?」

 やや仏頂面になって言う悠司くんに、私は笑う。

「そっちこそ、二年上の先輩に声かけ難くて素通りとか、連絡しないとかありそう」

 悠司くんのことだから、人に見られるのが嫌でそういうことしそうだな、と思ったのだ。
 それが悠司くんの気に障ったのだろうか。ムッとした表情になったので、わたしは慌てたんだけど。

「そっちこそ、逃げると思うんだけどな?」
「ないない。友達じゃない」

 そう言いながら悠司くんの肩を叩いたら、その手が掴まえられて。
 あ、と思った時には、指先に悠司くんの唇が触れていた。

「約束、破るなよ?」
「…………う」

 悠司くんは表情も変えずに、そのまま立ち去った。
 私は追いかけることもできずに、呆然とその背中を見送る。
 な、何? 今のもしかして……。だけど指先って。
 どうして、と聞きたい。だけど聞くのが怖いような気がする。しかも次に会った時どんな顔をしたらいいのかと思うと……新学期になったら、猛烈に逃げたくなった。

 呆然としていると、くすくすと笑い声が聞こえてくる。
 振り返れば、宿の塀の影から顔を出した理子達がいた。二人とも顔がニヤけている。

「ちょっと千紗―。随分いい雰囲気だったんじゃないのー?」
「送ってくれたの? ね、何話してたの?」

 イズミと理子に質問責めにされたわたしは、少し考えてからひきつった笑みをうかべて答えた。

「うん、ちょっとドーナツ食べにいく約束したんだ」

 そうとしか言えない。
 でもまた会えると思うと、なんだか息苦しいような気がして……。口づけされた指先が気になってしかたなくなったのだった。