人の声が聞こえてきたのは、それから数分後のことだった。
 状況的に仕方ないとはいえ、さすがに男女がくっついている様子を見せるのは恥ずかしい。

 とっさに離れようと身じろぎしたが、なぜか悠司くんはがっちり捕まえて離してくれない。
 落ちそうになるんじゃないかと、心配してくれたんだろうか。
 そうこうするうちに近づいてきた声は、明らかに救助隊員や警察のものじゃなかった。

「これっ! わたしら乗ってたバスじゃないーーー!?」
「やだっ、人が倒れてる!」
「運転手か? しっかりして下さい!」

 イズミと理子の声に驚く間もなく、もう一人の聞き覚えのある声に首をかしげる。

 ――なんでこんなとこに栢山くんが?

 疑問に首をかしげた瞬間、思い出したのはあの妙な白昼夢だった。やっぱり、あれは本当のことだったのか……。

 真っ先に思ったのは、理子と顔を合わせた時に、どんな表情をしたらいいのかわからないことだった。それにもし理子が嫉妬しているのだとしたら、どうやったらそれを解消できるだろう。
 すると悠司くんが耳元でささやいてきた。

「大丈夫だ。いつも通りにしてろ」

 悠司くんの顔を見ると、なぜか楽しそうにうっすらと笑みを浮かべている。

「バスん中に千紗がいないんだけど!」
「運転手さんは外にいるのに!?」
「はぁっ? でもここまでの間にバス停なんてないだろ。一体どこで降りたっていうんだ」

 わたしは心の中で呟いた。実は降りたのは隣町のバス停で……。そうだ、この後みんなに説明しなきゃいけないのに、幽霊騒動のことまで話すとややこしくなりそうだ。
 黙っておこうと考えながら、わたしは三人に呼びかけた。

「みんな、わたしここにいるよ!」

 三人は一斉に崖下をのぞいて、

「千紗ーっ!?」
「ちょっ、大丈夫か?」
「千紗、そいつ誰よー!」

 一通り叫んで、三人はなんとかわたし達を引き上げようとしてくれた。
 が、それにはやや時間がかかった。なにせロープはわたしと一緒に崖下にあるのだ。
 ロープを栢山くんが見つけてきた細い枝にまきつけるのに、意外に手間取った。
 そしてようやく体にロープを巻き付け、わたしは崖上にたどり着いた。

「千紗……」

 目の前に、じっとこちらを見つめてくる理子がいた。どうしよう。何を話せばいいのかと思った瞬間、

「よかったぁぁぁぁっっ!」

 イズミが横からかっさらうようにしがみついてきた。

「ちょっ、くるし……」

 わたしの抗議に、イズミは「あ、悪かった!」と慌てて離れる。理子は「無事でよかった」と小さい声で言い、わたしはなんとか笑顔をつくってうなずくのが精一杯だった。

 その間に、栢山くんは一人で悠司くんを引き上げていた。栢山くんは、胴からロープをほどいた悠司くんに手を差し出した。

「友達を助けてくれて、ありがとう」

 悠司くんは何か迷っているような目で栢山くんを見上げ、握手をする。

「ねー千紗。あの子誰よ? 知り合い?」

 さっきからそこが気になっていたらしいイズミに、どう答えたらいいもんかと悩む。
 今日知り合ったばかりなんだけど、そのまま話すのは……。だから知り合いと嘘をつこうとして、はたと気付く。

 わたし、悠司くんのことそんなに良く知らない。
 籬さんや久住さんみたいな幽霊と仲良しで、ちょっと傲慢そうな話し方で、中学生で……とても優しいってことだけはよく分かってるのに。

「いや、その……」

 まごついている所へ、栢山くんがやってくる。

「水城さん大丈夫か? ああ、腕怪我してるじゃないか」

 栢山くんが腕の怪我に気付いた。理子が慌ててハンカチを取りだそうと、手持ち鞄の中をあさり始める間に、栢山くんは土で汚れた膝の辺りを払ってくれようとする。

 親切だとわかってるけど、思わず後退りしてしまった。
 目の前に理子がいて、いままさにまだ嫉妬され真っ最中だってのに、理子の好きな相手に気遣われるのって、すんごい居心地悪い。

「あの、いいよ気にしないで。ほら、なんか救急車の音も聞こえてきた気がするし」

 木の葉のざわめきの中、ドップラー効果を引き連れた懐かしい音が耳に届く。

「予想より早く来たみたいだけど、ほっとくと行きすぎるんじゃない? 捕まえてくるわ!」

 イズミが駆け出し、それでも栢山くんは心配そうに「歩けるか?」とか「背負うか?」と言ってくる。
 どうしていいのか困ってしまった時、ふと悠司くんと目が合った。彼はふっと口元に笑みを浮かべて、慣れた様子でわたしを横からかっさらい、肩を抱きしめてきた。

 ようやく居心地の悪さから解放されたことと、慣れた感覚にわたしはほっと息をつく。
 すると栢山くんと理子が、最大限まで目を丸くした。人間っておどろくと、本当に目を見開くんだなぁ。
 悠司くんは二人の様子に目もくれない。

「まず救急車で病院に行くべきだ、千紗さん。その後警察に事情を聞かれるかもしれないし」
「あ、それもそうだね」

 気絶したままのバスの運転手さんも病院に運んでもらわないと。
 そこへイズミが走ってくる。

「救急車来たよー! まずこのオジサンなんとかする?」

 イズミに尋ねられた栢山くんが「あ、ああ」と生返事しながら、運転手さんの方へ近寄っていく。
 栢山くんの方を向いたイズミも、わたしの方を見て目を丸くした。

 悠司くんは栢山くんが離れていったのを見て、さりげなく肩にまわしていた腕をほどいてくれた。助けてくれて本当に有り難かった。顔を見合わせて、わたしたちは思わず微笑み合う。

 それから理子の方を見ると、呆然とした状態の理子から、ふっと黒い靄が離れていった。風に飛ばされて見えなくなる。

 もしかして今ので、嫉妬心が和らいだ?
 なら、理子はもうわたしへの嫉妬心を捨ててくれたのかもしれない。わたしは、その考えに勇気を得て、なるべく気にしてない風を装ってあのストラップの件を話した。

「そうだ理子。さっき崖に落ちかけた時に、もらったストラップなくしちゃって……」
「あんなのは、もういいよ」

 理子は真剣な表情で首を横に振った。それから何かを決意するように、まっすぐにわたしを見つめた。

「それより、ごめんね千紗。バスに乗せたままにして。起こしていたらこんなことにならなかったのに」
「ううん、無事に助かったから……でも、栢山くんはどうしてここにいるの?」

 わたしは答えを知っている。だけど理子はどう返事するだろうと思った。誤魔化すだろうか。正直に話してくれたら、きっとわたしは理子のことをもう怖く思わないでいられる。
 だけど答えてくれなかったら……。
 尋ねられた理子は、一瞬うろたえた表情になる。やがて、うつむき加減に告白した。

「あのね、本当は栢山くんがここの親戚の家に行くって話、聞いてたの」

 息を吸い込んで、一気に彼女は小声で言った。

「ずっと黙ってて本当にごめん。実はね、春休み前に栢山くんが気になってる相手が千紗だって話を聞いちゃったの」
「理子……」

 話してくれたことに、わたしはなんだか胸が熱くなる思いがした。
 友達を続けるなら、別に黙っていても良かったことだ。だけどこのままわだかまりを持っていたら、そのうち理子からわたしは離れるしかなかっただろう。今度はわたしが理子を疑って、信じられなくなるだろうから。

「だから千紗と一緒に会ったら、栢山くんが千紗の方を気にするんじゃないかって、思って。先に千紗抜きで会いたくてこんなこと……ごめんなさい」

 謝る理子の杞憂を、わたしは笑えない。ついさっき、まさにその栢山くんに心配されたせいで、すごく居心地悪い思いをしたばかりなのだから。

「別にいいよ。わたしもそんな事になったら、すごい困っただろうし」

 理子は泣きそうな顔でもう一度謝って、その上でさらなる真実を明かした。

「あと、ほんとにストラップのこと、気にしないで。実はね……千紗に持っててもらったの、縁結びのおまじないなの」
「え、えんむすびっ!?」

 あまりに予想外なおまじないの内容に、わたしは驚いた。
 なんでまた縁結び? てっきり、お邪魔虫に持たせて遠ざけるおまじないなのかと思った。

「千紗が早く誰かとくっついたら、栢山くんのことで嫉妬しなくて済むって……黙ってて、ごめん」
「え、あ、いや……縁結びなら、うん、別に」

 問題なかったわけじゃないけど、おまじない自体は悪意のあるものじゃなかったので、安心した。
 でも恋敵に縁結び……もし栢山くんと縁が強くなってたら、どうする気だったんだろ。

「でも、なんかすごい効いたみたいだし、わたしも今度はそのおまじないしよっかな」
「え?」
「きっとそこの彼、縁結びのおまじないの効果だよ」

 目をきらきらと輝かせながら、理子がそう言い出す。
 同じ方向を見ると、わたし達が話し始めてからさりげなく離れてくれた悠司くんが「悪口でも言ってるのか?」と言いたげな仏頂面になっている。

 そういえば悠司くんも『縁』の話をしていた。
 縁があったから、わたしは魂になって彼の元へたどりついたのだと。けれど今までわたしは、悠司くんという人のことを全く知らなかったのだ。何かが縁を作ったのだと考える方が自然なのかもしれない。

 だとすると、おまじないのせい……?